東野の真実

「俺が誰だか、わかっているのか!? こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」


 その問いに、工藤は真面目な顔で頷く。


「もちろん、わかっていますよ。あなたは、東野幹雄さんです。かつて、ノトーリアスというチームに所属していました。そして今では、真幌会なる組織のリーダーですよね。素晴らしい経歴です」


 その言葉に、東野は表情を歪めた。ここがどこなのか、全くわからない。目の前にいる男が、何者なのかもわからない。目的が何なのかもわからない。

 何もかもが、理解不能だ──


 ・・・


 その日、東野は酔っていた。

 近頃、運の悪いことが続いている。まず初めに、鈴原健介の行方を探しているという私立探偵が現れた。そこから、彼の身の回りで不運な偶然や不可解な出来事が頻発する。東野は憂さ晴らしのため、あちこち飲み歩くようになっていた。

 今夜も、東野は飲んでいた。お気に入りのキャバ嬢がいる店でしたたかに酒を飲み、ボディーガードと共にタクシーで帰る……いつものこと、なはずだった。

 しかし、今日はいつもとは違っていた。タクシーを降りて、ほろ酔い気分で歩いていた時のことだ。

 ふと、ボディーガードが消えていることに気づく。どうしたのだろう、と足を止め周囲を見回した。

 突然、背後から首に何かが巻き付く。はっと思った時には既に遅く、東野の首は強靱な何かで絞め上げられていたのだ。抵抗すら出来ず、ほんの数秒で絞め落とされていた。




 どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 東野は、意識を取り戻した。と同時に、体が動かないことに気づく。頑丈なダクトテープで両手首と両足首をぐるぐる巻きにされた挙げ句、パイプ椅子に座らされていたのだ。周囲はコンクリートの壁が剥き出しになっており、床には埃やゴミくずなどが散乱している。

 そして目の前には、パイプ椅子に腰掛けた男がいた。灰色のスーツを着た国籍不明な男……工藤淳作である。


「お目覚めですか」


 そう言うと、工藤は立ち上がった。丁寧な動きで、お辞儀をする。その仕草は、とても洗練されており、かつ自然なものだった。一朝一夕で身につくものではない。

 東野は混乱しながらも、どうにか今の状況を整理しようと努めた。


 ・・・


「お前は誰なんだよ!? 一体、何が目的だ!?」


 怒鳴りつけた東野に、工藤はすました表情で口を開く。


「あなたも、ずいぶんバカな真似をしましたね。あんな三流以下の連中を差し向け、挙げ句に探偵を雇うとは。あれで、全て丸く収まるとでも思ったのですか?」


「いったい何のことだ?」


 その時、工藤の片眉がピクリと動いた。目には、凶暴な光が宿る。


「とぼける気ですか? 山下を私のところによこしたのは、あなたですよね。彼らは、ちょっと脅したら洗いざらい白状してくれましたよ」


 その言葉に、東野ははっとなった。山下といえば、行方不明になった部下ではないか──


「お、お前が工藤淳作か」


 東野は、ようやく今の状況を理解した。自分を拉致監禁したのは、私立探偵の工藤淳作であるらしい。十三年前、行方をくらました鈴原のことを、いろいろ探っていた男のはずだ。


「はい、その通りです。私が工藤淳作ですよ。ついでに言っておきますと、この周囲には誰も住んでいませんし、何人なんびとも訪れることはありません。したがって、どんなに大声を出そうが、誰にも聞かれません」


 東野は、顔を歪めて周りを見る。その目に映るのは、灰色のコンクリートだけだ。ボロボロで、得体の知れない染みがあちこちに付着している。人の住むような場所でないのは確かだ。


「何が目的だ?」


 声を震わせながら聞いた東野に、工藤は真剣な表情で口を開いた。


「あなたは、鈴原健介の居場所を知っているそうですね。どこにいるのか、教えていただけませんか?」


 予想通りだった。東野は、慌ててかぶりを振る。


「そ、それは言えない。言ったら、俺が殺されるんだ」


「殺される? どういうことです?」


「お前も聞いたはずだ。鈴原はな、本当に恐ろしい男なんだよ。あいつは、これまで大勢を殺しているんだ。あいつの周りで、何人の人間が行方不明になったかわからない。そのほとんどが、鈴原に消されたんだよ」


 そう、東野は何人もの死体を見てきたのだ。

 いきなり鈴原に呼び出され、行ってみたら死体の処理を頼まれた。仕方なく山の中に死体を運び、深い穴を掘り埋める……そんなことを、何度もしてきた。

 しかも鈴原は、ためらうことなく裏社会の奥深くへと入っていく。いつの間にか、広域指定暴力団・銀星会の矢口と話をつけ薬物を捌くようになっていた。それに伴い、東野らを取り巻く世界も変わっていく。

 気がつくと、東野は半グレたちのリーダー格となっていた──


「ええ、それは聞きました。ですが、そんなことはどうでもいいです。私は、鈴原健介がどこにいるか……それを知りたいのですよ。教えなければ、非常に困ったことになりますよ」


「お前何なんだ? ただの探偵じゃないのか?」


 声を上擦らせながらも、どうにか尋ねた。まずは、時間を稼ぐのだ。同時に、相手が何者か探っていく。上手くいけば、言葉による取り引きが出来るかもしれない。

 しかし、工藤にその気はなさそうだった。


「聞いているのは私です。あなたではありません。もう一度聞きます。鈴原は、今どこにいますか?」


「だから、それだけは言えねえんだよ!」


 涙目で喚く東野を、工藤は冷ややかな目で見つめる。

 少しの間を置き、口を開いた。


「そうですか。では、これを見てください。あなたの部下だった山下さんです」


 直後、タブレットの画面を見せる。途端に、東野のが歪んだ。

 画面には、彼の手下である山下の顔が映っていた。いや、正確に言うと山下の生首である。胴体から切断され、作業台の上に置かれていたのだ。

 それだけでも、充分に異様である。しかし、この映像は始まったばかりであった。やがて、何者かの手により顔の皮膚や髪の毛、さらには眼球などが取り除かれていく。その様は、吐き気を催すほどひどいものだった。

 半グレである東野ですら、耐えられるものではなかった。映像が進むにつれ、我慢できなくなり胃の中のものを全て戻してしまう。室内には、たちまち汚物の匂いがたちこめた。もっとも、工藤に気にする素振りはない。

 やがて、山下の顔を覆うものは全て削ぎ落とされた。残されたものは頭蓋骨だけだ。ただし、骨格標本のように綺麗なものではない。血や細かい肉片などが、こびり付いたままの状態である。

 

「あなたも、こうなりたいのですか? なりたいなら、そのまま口を閉ざしていてください。なりたくないなら、胃の中のものを吐くより鈴原健介の居場所を吐いてください」


 すました顔で語った工藤を、東野は震えながら見上げた。心臓が高鳴り、呼吸が乱れて言葉が出てこない。

 どうにか呼吸を整え、ようやく口を開く。


「すまねえ……嘘なんだ。鈴原は今、どこにいるかわからないんだよ」


「どういうことです? あなたは、今も連絡を取っているのではなかったのですか?」


「だから、鈴原はいないんだよ! 十三年前に、姿を消したっきりなんだ!」


 その時、工藤はふうと溜息を吐いた。


「そんなことだろうと思っていましたよ」


「は、はあ?」


「あなたは、鈴原の名前を利用しました。あの男は、一部では大変に有名だったようですね。ヤクザですら、恐れる存在となっていた。ところが、そんな鈴原は忽然と姿を消してしまった。あなたとしても、非常に困ってしまったのでしょう。そこで、あなたは考えた。鈴原という男の幻影を利用しようとね」


 東野は、何も言えず下を向いた。

 工藤の言っていることは真実である。十三年前、鈴原はいきなり姿を消してしまった。しかも、それから間もなく酒井が通り魔事件を起こす。さらにリーダー格の村川も事件を起こし逮捕され、藤田もチンピラたちに襲撃され亡くなってしまった。

 気がつくと、東野はたったひとりになっていた。今までは、村川や藤田や酒井がいた。ヤバい時には彼らを矢面に立たせ、自分は後ろに隠れる……それが、東野のやり方だった。

 しかし今は、矢面に立たせる者がいない。自分ひとりで下の人間に命令を降し、裏の組織を仕切らねばならないのだ。

 ならば、あの男の名前を使うしかない。一部の人間の間では、鈴原健介は伝説と化している。その威光を利用するのだ──


「あなたは、今も鈴原が自分のバックにいる……そんなふりをして、裏の世界で活動していました。姿を現さない鈴原の幻影は、さらに大きくなっていくわけです。結果、大きな組織のトップに立てていたのですね。まあ、予測は出来ていましたよ。裏の世界では、有りがちなやり方ですからね」


「じゃあ、なんでこんなことを……」


「万が一、ということもありますからね。一応、確かめてみる必要がありました。しかし、全くの無駄に終わったわけですよ」


 不意に、東野の体が震え出した。目の前にいる男は、普通ではない。ヤクザなどより、ずっと恐ろしい人間だ。

 そんな東野に、工藤はじっくりと語りかける。


「あなたが余計なことをベラベラ言ってくれたばかりに、いらぬ手間がかかりましたよ。はっきり言って不愉快です。ですが、一応は聞きましょう。鈴原は、今どこにいると思います?」


「そんなの、俺にはわからねえよ。あいつは、たぶん外国にいるんじゃねえかな」


「では、鈴原はまだ生きていると言うのですね?」


「あ、当たり前だよ。あいつは、殺されても死ぬようなタマじゃねえ」


「わかりました。あなたから聞きたかったのは、そこだけです。もう、あなたは用無しですね」


 途端に、東野の顔が歪んだ。このままでは、確実に殺されてしまう──


「待てよ! 全部はけば、助けてくれるって言ったじゃねえか!」


「私は、そんなことは言っていませんよ。ただ、こうなりたくないなら、鈴原の居場所を吐いてくださいと言ったのです。あなたは、居場所を知らなかった。ゆえに、契約は不成立です」


 言いながら、工藤はタブレットの画面を指で差す。

 山下の頭蓋骨が、こちらをじっと見ていた──


「ちょっと待て! お、俺を殺したら、ただじゃ済まねえぞ! 真幌会が動くことになるんだ! お前を必ず殺す! お前の家族も皆殺しだ!」


 その言葉は、怒りから発せられたものではない。恐怖ゆえに出たものだった。このまま何もしなければ、確実に殺されてしまう。

 だが、工藤は怯みもしない。


「あなたは、何もわかっていないようですね。そんなことを言われて、私が引き下がると思っているのてすか? だとしたら、あなたは呆れるほどの愚か者ですよ」


 東野は、恐怖を隠しきれなくなった。全身の震えを止めることが出来ない。口の中で、カチカチと歯が当たる。

 実際の話、東野には警察の上層部にも知り合いがいる。裏の世界との繋がりも深い。これまで、かなりの数のヤクザや半グレを見てきたのだ。その中には、人を殺した経験のある者もいたし、ヒットマンと呼ばれる者もいた。

 しかし今、東野の目の前にいる者は……根本的に違う。ヤクザや半グレなどとは、完全に違う次元にいる人物だ。


 工藤淳作……この男、何者だ?

 そして、目的は何なんだ? 自分はどうなる?


「あんな連中を差し向ければ、私が手を引くとでも思ったのですか? その上、探偵を雇い私の身辺を調査させようとしましたね。しかし、あなたは何もわかっていない。この世の中には、あなたには想像もつかない世界があるのですよ。私は、そんな世界から派遣された人間です。そして、あなたは私のことを断片的にせよ知ってしまった……申し訳ないですが、死んでもらいます」


 鋭い口調で語る工藤だったが、東野はもはや聞いていなかった。かつて聞いたことのあるニュース……いや、都市伝説を思い出していたのだ。

 一九九九年初頭、中国の山奥に小さな集落があった。そこに住んでいる者は全て、ある新興宗教団体の信者たちであったという。

 その宗教団体の教義では、一九九九年に世界は終末を迎えるとされていたらしい。村人たちは毎日、山奥で何やら怪しげな儀式に興じていた。時おり訪れ食料や日用品などを運んでいた業者は、気味悪がりながらも取り引きを続けていたのだ。

 ところが、数百人の村人は何の前触れもなく姿を消してしまう。村は一夜にして、無人の廃墟と化してしまった。

 出入りしていた業者が村で最後に見た者は、灰色のスーツを着た見慣れぬ男だったらしい。車で訪れ、集落の周囲をうろうろしていたのだ。何者だろう? と不思議に思ったが、この村の事情にはあまり深入りしたくない。業者は話しかけることもなく、そそくさと引き上げる。

 翌日、村人は全て消えていた──


「お前……まさか……」

 


 








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