半グレたちの襲撃

「あんた、私立探偵らしいなあ。工藤淳作って名前、ネットで検索したけど出てこなかったんだよ」


「申し訳ありません。まだ駆け出しなものですからね」


 ペコリと頭を下げ、工藤は周囲を見回した。

 彼は今、ボロボロのパイプ椅子に座らされていた。周りはコンクリートの壁に囲まれており、床は得体の知れないものが散乱している。異様な匂いが漂っており、生活の雰囲気がまるで感じられなかった。

 それも当然だった。彼が今いるのは、病院の跡地である。院長の放漫経営が祟り破産宣告をしたが、取り壊す予算もないため、建物はそのまま放置されている……という、いわく付きの場所である。

 さらに、工藤の目の前には三人の男がいた。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者。スキンヘッドより、細身の方がやや年上に見える。両者の年齢は、十代後半と二十代前半といったところか。

 残るひとりは、スーツを着た若者だ。軽薄そうな顔立ちだが、三人の中でもっとも立場が上のようだ。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。




 今から、三十分ほど前のことだった。

 工藤は、人と会うため人気ひとけのない裏通りを歩いていた。相手方が、どうしてもここに来てほしいと言ってきたのだ。

 裏通りを進み、待ちあわせ場所である病院の跡地に辿り着いた時だった。突然、この人相の悪い三人組に囲まれたのだ。スキンヘッドが背後に立ち、両脇に残りのふたりが密着して来る。

 次の瞬間、スーツの男が囁いた。


「工藤淳作さん、だよね? あんたに話があるんだわ。悪いけど、ちょっと付き合ってくれねえかな」


 直後、工藤は三人組に廃虚へと連れ込まれた。いや、拉致されたと言った方が正確だろう。




「私に何の用でしょうか?」


 パイプ椅子に座らせられた状態の工藤は、毅然とした態度で尋ねた。すると、スーツの男は口元を歪める。


「ああ、それは簡単だよ。実はな、あの件を調べるのを、やめて欲しいんだわ」


「はい? 何のことです?」


 工藤がそう言ったとたん、スーツの男は眉間に皺を寄せた。


「何? とぼけてんの? そういうのやめようよ。俺だってさ、人格変わっちゃうかも知れないよ」


 その目が、凶暴な光を帯びる。だが、工藤は平静な態度で答えた。


「ひょっとして、鈴原健介の件ですか」


「そうだよ。ボケてもらっちゃ困るな」


 スーツの男は、ニヤリと笑う。その時、突然スキンヘッドが吠えた。


「黒沢さん、すみません! 今、銀星会から電話きまして……下手打ちました!」


 それは、工藤に向かい発せられた言葉ではなかった。スキンヘッドはスマホ片手に細身の男の方を向き、ペコペコ頭を下げている。どうやら、別の件でヘマをしたらしい。

 すると、細身の男の表情が変わった。


「んだと! てめえブッ殺すぞゴラァ!」


 喚いた直後、スキンヘッドは殴り倒された。さらに細身の男は、倒れた体を蹴りまくる。

 これは、ヤクザや半グレといった裏社会の人間がよくやる脅しの手口だ。直接の暴力ではなく、間接的な暴力で脅す。暴力に慣れていない人間というのは、他人が殴られている場面を見るだけで恐怖を抱くケースが多い。結果、冷静な判断が出来なくなり、こちらの意のままになる。

 しかも、本人には指一本触れていない。したがって、後で訴えられることもない。

 一方、スーツの男はニタリと笑った。


「あそこにいる黒沢はさ、キレたらすぐに手が出るんだよね。実はあいつ、ポン中なんだよ。あんた、ポン中の意味は知ってるよね?」


 すぐ近くで、肉を打つ生々しい音が聞こえてくる。にもかかわらず、スーツの男の声は落ち着いていた。何事もなかったかのように聞いてくる。


「そうでしたか。それは困りましたね」


 工藤は、恐れる様子もなく頷いた。ポン中とは、覚醒剤の依存症になってしまった者を指すスラングだ。となると、あの細身の男の痩せかたは、覚醒剤が原因らしい。


「あいつさ、ほっとくとやり過ぎちまうんだよね。俺が言っても、止まらない時があるんだよ。本当に、困っちまうよな」


 そう言って、ゲラゲラ笑い出した。つられたのか、工藤も笑みを浮かべる。

 すると、スーツの男の笑顔は一瞬にして硬直した。


「おい、何がおかしいんだ?」


「はい?」


「お前は今、笑ってたよな? 何がおかしいんだ? 言ってみろ」


 スーツの男は、真顔で聞いてきた。これまた、裏社会の人間がよく用いる手段だ。クスリと笑うような状況を作りだす。相手が笑ったら、そこを突いて責め立てる。悪いのは相手であり、自分は被害者……その構図を作るのが、彼らの常套手段なのだ。


「黙ってちゃわからねえだろ。なあ、俺の話の中に笑うような要素があったのか? 俺は、お前と話し合うためにここに来てる。極めて真面目な気持ちだ。しかし、お前は俺との話し合いがおかしくてたまらねえってか。俺をなめてんの? バカにしてんの?」


 予想通り、スーツの男はねちねちと責めてきた。工藤が黙っていると、今度は別の攻撃が始まる。


「おいゴラァ! てめえ、山下の兄貴をなめてんのか!」


 怒鳴った直後、スキンヘッドが顔を近づけてきた。だが、スーツの男が彼の肩を掴む。


「おい、てめえは引っ込んでろ。横からしゃしゃり出てくんじゃねえ」


 低い声で凄むと、スキンヘッドはペコペコしながら下がって行く。

 山下と呼ばれたスーツの男は、ゆっくりとこちらに向き直る。


「とにかく、あんたが何のために鈴原を探してんのかは知らないし、そんなことはどうでもいい。だがな、今になって消えた人間の行方をほじくり返してどうすんだ? 誰も得しねえだろうが。だいたいな、鈴原がどこにいようが、あんたに見つけることは出来ねえんだよ。あんただって、薄々はわかってんだろ?」


 その言葉に、工藤は眉をひそめた。


「それは、依頼主が決めることです。私が決めることでも、あなたが決めることでもありません」


「俺はな、お前のためを思って言ってやってるんだぜ。この状況を、わかってないみたいだな」


 言いながら、山下はポケットから何かを取り出す。

 一瞬、工藤はビクリと反応した。だが、出てきた物はタバコだった。男は一本抜き取り、口にくわえ火をつける。

 うまそうに煙を吐きだし、話を続けた。


「ここにいるのは、俺たち三人とお前だけだ。何が起きようが、誰にも気づかれないんだよ。わかるよな?」


「その通りですね」


「そこでだ、お前にはひとつ約束してもらいたい。鈴原健介の件について調べるのは、今日を限りにやめるんだ」


 その時、工藤の表情が変わった。先ほどまでとは、違う雰囲気を醸し出している。


「もし、嫌だと言ったら、どうします?」


「てめえ! 山下の兄貴をなめてんのか!」


 喚いたのは、細身の黒沢だった。彼は、工藤の襟首を掴み強引に立ち上がらせようとする。だが、中年男が拳を振るった。

 その拳は、黒沢の顔面に炸裂する。


「るせえぞ! てめえは引っ込んでろ!」


 黒沢を一喝すると、山下は再び工藤を見つめる。


「わかってないみたいだな。俺たちの稼業はな、なめられたら終わりなんだよ。特に、お前みたいな素人になめられたら、この業界ではやっていけねえんだよ。そんな評判が広まったら、俺たちは廃業しなくちゃならない。だがな、俺はまだ廃業したくねえんだよ。わかるな?」


「はい、わかりますよ」


 答える工藤の表情は、先ほどより鋭くなっていた。だからといって、虚勢を張っているわけでもない。

 一方、山下の顔には奇妙な表情が浮かんでいた。こいつは、何を考えているのか……という感情が湧き上がってきていたのだ。目の前にいる男は、今まで彼が脅してきた者たちとは違うらしい。

 だが、山下はそんな感情を押さえつけ話を続けた。

 

「俺はな、出来ることなら話し合いで終わらせたい。だがな、話が通じないバカも世の中にはいる」


 言いながら、山下は吸っていたタバコをもみ消す……隣に立っている黒沢の、手の甲に押し当てて消したのだ。

 黒沢はぴくりと反応したが、声ひとつ出さずに耐える。山下は構わず、タバコの箱を取りだし一本抜き取った。

 火をつけ、うまそうに煙を吐きだす。


「なあ、名探偵何ちゃらとか、何ちゃらの事件簿とかいうドラマがあるだろ。あれに出てくる犯人な、本当に頭悪いんだよ。金と時間かけてアホなトリックを仕掛けたり、アリバイ工作したり……あんなんするより、もっといい方法があるんだよ。知ってるか?」


「いいえ、知りません」


「私立探偵やってるなら、覚えときな。プロは人を殺したら、死体そのものを消しちまうんだ。そうすれば、ただの行方不明だからな。殺人事件なら、警察は目の色変えて動き出す。しかし、行方不明なら動かない。毎年、数万人の人間が行方不明になってるからな。そんなもんに人員を割くほど、奴らも暇じゃない」


 自信たっぷりの口調で言った後、山下はニヤリと笑った。だが、工藤の表情は揺るがない。身じろぎもせず、話を聞いている。

 眉をひそめながら、山下は話を続けた。

 

「人を殺したら、死体を消す……これ、俺たちの業界じゃ常識なんだよ。山ん中に深い穴掘って埋める、それだけだ。面倒なトリックやアリバイ工作もする必要なし。ところで、あんた家族はいるか?」


「いません」


「いない? どういうことだ?」


「両親は、私が幼い時に事故で死にました。兄弟はいませんし、妻も子もいません。天涯孤独の身です」


 その時、工藤の目に不気味な光が宿る。

 山下は、背筋に寒気を感じた。自分でも理解できない感覚に、思わず顔が引き攣る。裡から湧き上がる感情をごまかすように、彼は笑って見せた。


「そうか。それは気の毒だな。天涯孤独となると、いきなり姿が消えたとしても捜してくれる人がいない。仮に今、お前が不幸な事故に遭って行方不明になっても、警察に届けてくれる人がいない。本当に、哀れな話だよ」


「なるほど。つまり、言うことを聞かなかったら私を殺して死体を消すよ……というわけですね」


 そう言って、工藤はニヤリと笑った。不気味な笑顔である。山下の背筋に、冷たいものが走った──


「か、勘違いされちゃ困るな。俺は、そんなことは言ってない。ただ、世の中はいろんなことが起こる。崖から落ちたり、海に落ちたり、山の中で遭難した挙げ句に熊に食われたりする。特に、この辺りは人気ひとけのない場所だ。何が起こるかわからないし、何か起きても誰も気づかない。だから、俺は忠告してるんだよ。何もかも忘れてさっさと家に帰れば、あんたにはいつもと同じ平穏な日々が待っている。ところが、あんたがこれ以上、この件にかかわるとなるとだ……どうなっても、俺は知らないよ。なあ工藤さん、あんたのためを思って言っているんだぜ」


 脅し文句にしか聞こえないセリフだが、山下の声は微かに震えていた。彼の隣にいる黒沢も、異変を感じたらしい。明らかに、顔色が変わっている。

 一方、工藤はウンウンと頷いた。


「あなたの言いたいことはわかりました。ですが、私はここで引き下がるわけにはいきません」


「んだと? どういうことだ?」


「私はね、まだ終われないんですよ。依頼主にも言われていますし、最後までやり遂げるつもりです。ところで、あなた方は鈴原さんと会ったことがありますか?」


「はあ? お前、自分の立場がわかってんのか?」


「立場がわかっていないのは、あなたの方です。答える気がないなら、こちらも相応の手段を取らせていだきます」


 そう言うと、工藤はすっと立ち上がった。その動きはあまりにも自然で、三人が止める間もなかった。

 一方、工藤は語り続ける。


「あなた方は、本当に愚かな選択をしましたね。こうなった以上、この世の地獄を見てもらいましょう」


「な、なんだと! てめえ、なめてんのか!」


 怒鳴ったのは黒沢だった。しかし次の瞬間、その顔が青ざめる──

 今、工藤が右手をぶんと振ったのだ。横殴りの掌底打ちである。何の予備動作もなく、無造作に放った一撃だった。

 その一撃が顔面に当たり、山下はバタリと倒れていた。拳銃で撃たれたかのように、声も出さず崩れ落ちてしまったのだ。掌底打ちにより脳震盪を起こし、意識が途絶え立っていられなくなったのである。

 他のふたりは、思わず後ずさっていた。彼らとて暴力には慣れているが、ここまで綺麗に人が倒れる場面は見たことがない──


「先ほど、この山下さんは言いました。ここなら、何が起きようが誰にも気づかれないと。そう、ここで何が起きようが、誰もやって来ません。ただし、例外はあります」


 工藤は、何事もなかったかのような表情で言った。

 直後、灰色のスーツに包まれた体が音もなく動く。ふたりは、慌てて身構えた。

 しかし、それは無駄な足掻きであった──




 数分後、工藤は廃虚から出てきた。その顔は、入る前と変わっていない。息は乱れておらず、汗もかいていない。

 平静な表情のまま、工藤は廃虚を後にした。さらに五分ほどした後、入れ替わるかのように、数人の男たちが現れた。作業服を着ていて、様々な道具や薬品の入ったケースなどを持ち、首からは身分証のようなものをぶら下げている。全員、真面目そうな雰囲気を漂わせていた。偶然に通りかかった人が彼らを見ても、役所の人間が廃虚の様子を見に来たのか……くらいにしか思わないだろう。ただし、彼らには奇妙な共通点がある。よく見れば、全員が国籍不明の顔立ちなのだ。

 彼らは無言のまま、廃虚の中へと入っていった。









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