大下の悔恨(1)
「あなたは何なんです? 目的は何なんてす?」
「私は、私立探偵の工藤淳作です。わざわざ来てもらってすみません」
対する工藤は、ペコリと頭を下げる。かしこまった態度で座っているが、その目からは鋭い光を放っていた。
そもそも、大下はこんな場所に来たくはなかった。
昨日の昼、いきなり家の固定電話が鳴った。出てみると、聞いたこともない男の声が聞こえてきた。相手は工藤と名乗り、是非とも会って話をしたいと言ってきたのだ。
大下は唖然となった。どこの何者かも知らない相手と、なぜ会わねばならないのか。すぐに断ったが、直後に聞き捨てならないセリフが飛んでくる。
「私は、あなたの秘密を知っているのですよ。あなたは、若い頃に渋谷で良からぬ集団の一員となっていましたよね。しかも、違法薬物にも手を出しています」
この瞬間、大下は思わず受話器を落としてしまった。
工藤と名乗る男の話は事実である。今は、平凡な家庭の主婦として暮らしているが……かつて、東京で女子大生をしていた時、チーマーと呼ばれる男たちと付き合っていた。中でも、鈴原健介という男は彼女にとって特別な存在だった。
当時の大下は、鈴原を心底から愛していた。彼の方が歳下であるにもかかわらず、言うことには……いや、命ずることには逆らうことが出来ない。彼に命令されたことは、何でもやった。
結果、おぞましい犯罪に手を染めたのだ。あの頃のことは、二度と思い出したくない。
そんな大下に、工藤は構わず話を進めていく。
「どうしても嫌だ、と言うなら面倒なことになりますよ。私としては、そういうことはしたくない。また、あなたの方もそういうことになって欲しくはないでしょう。ならば、私の言う通りにした方が無難ではないでしょうか。私は、ただ会って話をしたいだけです。話が終われば、すぐに帰ります。少額ですが、謝礼もお支払いします。何より、あなたの前には二度と姿を現しません。どうですか?」
結局、大下は会うことを承諾した。
そして今、彼女は工藤と名乗る探偵と共に駅近くのカラオケボックスにいる。帽子を被りサングラスをかけ、トレーナーとデニムパンツという出で立ちの大下に対し、工藤はいつもと同じ灰色のスーツ姿だ。
「で、用は何なんです?」
切り出したのは大下だった。工藤はというと、静かな口調で答える。
「あなたに、お聞きしたいことがあります」
「何をですか?」
「現在、行方不明になっている鈴原健介さんについてです」
途端に、大下の表情が変わった。目線を逸らし、うつむきながら答える。
「は、はい? そんな人、知りません」
しどろもどろになっている。彼女が動揺しているのは、バカでもわかるだろう。工藤は、さらに畳みかける。
「嘘をつかないでください。十三年前、あなたと鈴原が深い関係にあったのはわかっています」
その言葉に、大下はビクリとなって顔を上げた。表情を歪め、工藤の顔を見つめる。いや、睨みつけると言った方が正確か。
対する工藤はというと、平然としていた。大下の敵意のこもった視線を、真正面から受け止めている。
「私は、あなたから金を巻き上げようなどとは思っていません。また、あなたの人生をどうこうしようとも思っていません。知りたいのは、鈴原の情報だけです。それさえ教えてくれれば、速やかに引き上げます。あなたの生活には、今後いっさいかかわりません」
言われた大下は、戸惑うような素振りをしながら口を開いた。
「だから、本当に知らないのよ。あいつが今、どこにいるかとか……」
「私が知りたいのは、あなたの目から見た鈴原の印象です。彼の居場所を、あなたが知っているとは思っていません」
すると、大下は下を向いた。未だに葛藤があるのだろう。本人にしかわからない何かが、頭の中に浮かんでは消える……そんな状態のようだ。工藤は黙ったまま、彼女の次の言葉を待った。
ややあって、大下は大きな息を吐く。観念したらしい。
「鈴原の何が聞きたいの?」
「まずは、あなたと鈴原の馴れ初めです。どうしても言いたくないことは、言わなくても構いません。ただし、答えてもらわねばならないこともありますがね」
「それ、どういう意味?」
「後で説明します。今は、あなたと鈴原の出会いから聞かせてください」
そう言われ、大下はもう一度大きな溜息を吐く。あの頃のことは、思い出したくもない。今まで、ずっと記憶の奥底に閉じ込めていた。
今、その封印を解こうとしている。ぽつりぽつりと語りだした。
「いつか、こんな日が来るんじゃないかと思ってたよ。あたしが鈴原と出会ったのは、大学生の時。あの頃のあたしは、狂ってた」
「狂ってた、とはどういう意味です?」
「わからない。ただ、今になってみると、狂ってたとしか言いようがないんだよ。なんか、洗脳でもされてたような気がする。あれが全部、悪い夢だったらって思うよ」
「でも、夢ではないのですよね」
「うん、そうだよ。夢みたいだったけど、夢じゃない。あいつは、あたしの人生を滅茶苦茶にしてくれた」
鈴原さえいなければ、あんなことはしなかった。大下の脳裏に、おぞましい記憶が蘇る。今にも叫び出しそうな思いに耐えながら、再び語り出した。
「鈴原と出会った時、あたしは何も知らないガキだったよ。渋谷に行って、スクランブル交差点の人波に驚いたり、有名な店を見て回る……それだけのことが、凄く楽しかった。あとは、たまにノトーリアスの連中を遠くからそっと見ているだけ。たぶん、鈴原さえいなければ、それで終わってたんだと思う」
「鈴原の方から、あなたに声をかけてきたのですか?」
「そう。鈴原は、ノトーリアスの他の連中とは、まるで違ってたよ。どっから見ても地味なオタク少年なのに、村川や藤田たちと対等の感じで喋ってる。いったい何者なんだろう、みたいなことは、ずっと前から思ってた。で、あの日に……いきなり鈴原と目が合った。そしたら、あいつ笑いながら近づいて来たんだよ」
あの日のことは、はっきり覚えている。
渋谷のセンター街にて、座り込んで話していたノトーリアスの面々。当時「渋カジ」などと呼ばれていたファッションに身を包み、自信に満ちた表情を浮かべ通りを睥睨していた。そんな少年たちは、大下の目にとても眩しく映っていた。
一方の大下は、これまで田舎で地味な生活をしていた。小学校、中学校、高校と、門限が六時の家で 育ってきたのである。タバコや酒はやったことがなく、それどころか信号無視すらしたことがない。
大学生になり、東京に出てひとり暮らしを始めた大下の目には、ノトーリアスのメンバーは別世界の人間に見えていた。地元で不良少年といえば、改造した制服を着てリーゼントやパンチパーマで街を徘徊したりバイクで暴走したり……中には、シンナーで前歯がボロボロになっている者までいる。
そんな旧態然……いや、バカ丸出しの不良少年たちに比べると、チーマーはスマートでお洒落な雰囲気の者ばかりだった。彼らは当時、流行の最先端にいた少年たちである。そのファッションを見るためだけに、わざわざ渋谷まで足を運んだ人間が大勢いたくらいだ。
ところが、そんな中にあって鈴原健介だけは違っていた。地味な服装で冴えない風貌だったが、チーマーたちと対等に話していた。いや、チーマーたちからも一目置かれているような雰囲気だ。何者だろう? と好奇心をくすぐられる存在であったのは確かである。
そんな鈴原が、自分に声をかけてきた……大下は戸惑いながらも、彼のペースに抗うことが出来なかった。
気がつくと、ノトーリアスの少年たちと共に行動するようになっていた──
「それから、あなたたちは付き合うようになったのですか?」
「そうだよ。あたしにとって、まさに夢の時間だった。何もかもが、初めての体験だからね。男と付き合ったのも、鈴原が初めてだったんだよ。笑えるよね。あいつは、見た目は地味だったし体もヒョロかった。けど、ノトーリアスの中で喧嘩最強だって聞いた。そのギャップに、やられちゃったんだよね」
そう言うと、大下は自嘲の笑みを浮かべる。
鈴原と知り合ってから、大下はタバコや酒を覚えた。服装も派手になり、喋り方も変わった。クラブにも出入りするようになる。もっとも、ここまでならいわゆる「大学生デビュー」の一言で終わっていたことだろう。
やがて彼女は、恐ろしい犯罪に手を染めることとなっていく──
「鈴原には、他にも付き合っていた女性がいたことは知っていましたか?」
「知ってたよ。でも、そんなことどうでも良かった。ノトーリアスでも喧嘩最強で、チーム内の誰も逆らえない……そんな鈴原が、あたしを愛していてくれている。ただ、それだけで幸せだったんだよ。今から思うと、どうかしてるとしか思えなかった」
そう、本当にどうかしていた。
ある日、鈴原が大下の住むアパートにやって来た。ビニール袋に包まれたものを渡し、これを預かってくれ……と言ってきた。縦三十センチ横十センチほどの大きさで、手触りからして粉末のようだった。
大下は、なんの疑いもなく受け取った。ビニール袋をカバンの中に入れると、押入れの中に置いた。中身が何なのか気にはなったが、鈴原は教えてくれなかった。それだけでなく、中を覗くことも禁止されていたのだ。
当時の彼女にとって、鈴原に覗くなと言われれば、そうせざるを得ない。言われたことに素直に従い、中身が何なのか知らぬまま保管していた。
中身が覚醒剤であることを知ったのは、それから間もなくのことだった──
「あなたは、鈴原と付き合っている間に犯罪行為を目撃したことはありますか?」
当時を思い出し、悔恨の思いに苛まれていた大下だったが、工藤はいっさい遠慮しない。不意に飛んできた質問に、大下はビクリとなった。確かに目撃している。それどころか、犯罪行為の隠蔽を手伝うことすらしたのだ。だが、それは言えない。
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