9.メイド男爵、メイドさんらしくゴブリン汚れを撃退する!
「あわわわわ、どうしよう……」
「私、何か持ってきますよっ! 登って来たら、ぶんなぐってやります!」
マツは腕まくりをすると、急いで下の階に降りていった。
いや、ぶん殴るって言ったって、王兄様が武器の類いは全部持って行っていたはず。
置いてあるのは掃除用具ぐらいなものである。
「ぐるぎげごぉおおおお」
ゴブリンには恐怖心なんてものがないのだろう。
奴らは壁をせっせと登ってきて、あと数メートルでこちらに到達しそうだ。
ひぃいい、やばいよ。
私って、か弱いし、このままじゃ死ぬ。
ど、ど、どうしよう!?
それにしても、体がむずむず気持ち悪い。
一体何なのよ、これ!?
「ほらほら、男爵もぼさっとしてないで戦いますよっ!」
体中に広がるチクチクに耐えていると、マツが戻ってきてくれた。
彼女が持っているのはモップやホウキ。
他には、雑巾やロープなんかも持ってきている。
掃除用具入れの中のものをあらかた運んできた形である。
しかし、モップかぁ。
投げつけるにしてもダメージなんかなさそうなのに。
「こんなので戦うのぉ!?」
モップを渡されて愕然とする私。
それは正真正銘の木製のモップで、刃が仕込まれているとかそういうのじゃない。
それに、お分かりだと思うが、私は暴力は苦手なのである。
メイドのスキルのおかげでモンスターの死体は平気で解体できるけど、殴るとか殴られるとかは不得意なのだ。
そう、私は心優しい元・伯爵令嬢。
ひぇええ、痛いの嫌。暴力反対。
「ぎげぎゃああああ!」
「来ましたよっ! でりゃあああ!」
怖じ気づく私がタジタジしていると、ゴブリンが一匹壁を登りきりそうになる。
マツはそれをホウキで押し戻し、砦から突き落とそうと懸命に頑張る。
もちろん、ゴブリンだって落とされまいと必死に踏ん張るわけで、一進一退の攻防が始まろうとしていた。
「こなくそぉおおお!」
マツは小柄な女の子である。
そんなに力が強いわけでもなく、大分、苦戦しているようだ。
ゴブリンは余裕があるのか私たちの方を見て、ニヤニヤと笑う。
ひぃいい、怖い。
助けてあげたいけど、足ががくがくと震えてしまう。
「ぐぎぎゃああああ!」
ゴブリンはマツの押し戻しをもろともせずに登ってきてしまう。
その顔は喜びのためか醜悪に歪み、私の背筋に悪寒を起こさせる。
「これでも喰らいなさぁあああい!」
マツは諦めることなくホウキをつきつけていた。
頑張れ、マツ!
負けるなマツ!
不潔な涎を垂らしたゴブリンなんか落っことしちゃえ!
……ん?
……涎?
よくよく見れば、砦の淵部分にべっとり汚いシミができているのである。
その正体はゴブリンの涎だった。
先ほど、喜んだ顔をしたときにだらーっと垂れたのである。
このゴブリン、なんてことをしてくれてんのよ。
私がせっかくキレイにした砦を何の権利があって汚してくれるわけ!?
「何なのコイツ! 私の砦を汚すなんて許せないんだけどっ!」
私の中で何かが弾けたのを感じた。
領地を汚すことへの怒りとでもいうのだろうか。
下品な言葉で言えば、私はキレてしまったのだ。
そもそも私は不快だった。
偶然かもしれないけど、私の首筋辺りに妙にねっちょりした感覚があるのだ。
粘液が張り付いている感じと言うか。
ねばねばした何かが広がっているというか。
「よ、ご、す、なぁあああ!」
私はゴブリンが涎を垂らしたところに、素早くモップを伸ばす。
モップは人を殴るためじゃなくて、掃除をするためにあるのだから!
「お足元を失礼いたします、ご主人様ぁああっ!」
さっ、さっ、さっと軽やかにモップを繰り出す!
家事魔法で浄化されたそれは青白く輝き、ゴブリンの粘液質な涎をきれいにふきとっていく。
私にメイドのなんたるかを教えてくれた指導教官譲りの浄化モップだ。
ちなみに「ご主人様」というのは掛け声であって、深い意味はない。
教官から勇気の出るおまじないだと聞いたことがあるけど。
「ぐぎきゃあああああ!?」
そうこうするうちにゴブリンの足にモップがヒット。
哀れな魔物はバランスを崩して、そのまま地面へと落ちていく。
数秒後、どご、ぼぎ、どちゃ、などという鈍い音。
どうやら他のゴブリンも巻き添えにしたらしい。
うぅう、ごめんなさい。
でも、掃除しているのにぼぉーっと突っ立ってるのが悪いんだよ!?
ママにも言われたでしょ?
掃除の邪魔をしちゃいけなさいって。
「男爵、すごいです! もんのすごい攻撃でしたよ!?」
「いやいや、偶然だよ!? 狙って落としたわけじゃないし。……ただアイツの涎が許せなくて! 私、人んちに来て部屋を汚すやつって大っ嫌いなんだよね。はぁ、汚れがとれてスッキリだよ」
私が涎をキレイにし終えると、マツがやたらと褒めてくる。
悪い気はしないけど、これは別に攻撃じゃない。
モップを伸ばした先にゴブリンがいただけなのである。
「な、なるほど。こういう類いの変態ですか……。これは使えそうですね」
彼女は眉間にシワを寄せてブツブツと独り言を言う。
それから砦の壁を見下ろして、こう言うのだった。
「男爵、あっちからもゴブリンが汚い手足で登ってきてますよっ!? うへぇ、壁がどろどろに汚れてます!」
「うっそぉおお!? あんにゃろぉおお!」
私の頭に再び血が上る。
砦の屋上から身を乗り出して見ると、砦の外壁には嫌な感じのシミができていた。
ゴブリンの手足には特殊な粘液を出せるらしく、それで外壁を登ってきたのだ。
ぐぅむ、ゴブリンめ、私の砦を何だと思ってるんだ。
涎だけに飽き足らず、妙な体液で砦を汚すなんて。
戦うことのできない私だけれど、奴らが汚したところぐらいは掃除できるよっ!
私の砦を汚すやつは何人たりとも許さないよっ!
ぞろりぞろりと登ってくるゴブリンたちを私はにらみつけるのだった。
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