美容室には秘密がつきものでございます【伍】

高峠美那

第1話 都会の片隅で咲くサザンカ

 黒く淀んだ空から雪がちらついていた。


 手足の感覚はとうになく、髪も服もじっとりと湿り気を含んでいる。


 日ごとに弱弱しくなった陽射しは、街路樹の葉を全て落とし、自分と同じで誰一人仰ぎ見る者はいない。


 夜が明けるまでは、あとどれくらいだろう…。


 始発電車に乗り…微かな暖かさを思い描いて…ふと、気付く。


「そういえば、切符を買うお金もつきてたな…」


 空が白むも、目の前は灰色だ。

 色の無い景色…。

 建物も、道も、ライトを照らして通り過ぎる車さえ、全てが灰色。


 ちらつく雪だけは、嫌に白く見えていた。


 寒い…。

 もう少し…。もう少しだけ…。

 違う生き方ができれば…良かったのに。


 白い息が妬ましく、少しでも温まろうと両手で口を覆った、その時だった。


「…え?」


 目の前で紅色の花が舞った。

 鮮やかな、赤い花びら。

 花の中心は鮮黄色。

 つややかな濃い緑の葉っぱは、いきいきとその色艶を主張している。


 その花を、三海みうみは知っていた。


 サザンカ…。

 

 懐かしくて…泣きたくなるくらい、三海みうみにとって思い出の花。


 記憶の中にある景色がよみがえる。

 

 …家の庭を囲む、サザンカの垣根。

 夏から秋に咲いていた花が色を無くし、寂しく感じはじめた庭を、冬の日差しをあびた赤い花々が咲き誇る。


 幼い頃…、サザンカを見るたび口ずさんだ歌は…『たき火』だった。


『かきねの かきねの まがりかど

 たきびだ たきびだ おちばたき

 あたろうか あたろうよ

 きたかぜぴいぷう ふいている…』 


 都会と違い、時間も人も、何もかもがゆったりとした海辺の街。

 波の音と、潮の香り、季節の花々が咲き競う母の庭。

 母との二人暮らしを寂しいと感じたことは一度もなかった。


 三年前の…中学卒業を控えた…あの日まで。


『さざんか さざんか さいたみち…』


 そう。あの赤いサザンカが、目の前に立つ女の着物に咲いていた。

 華やかな柄の着物は、りんとした美しさの女性に、驚くほど良く似合っている。


 時刻は始発前の暁闇あかつきやみ


 あまりに現実味がなく、死ぬ前の走馬灯なのかとさえ、思う。


 女の横にいる、同じく着流し和服に羽織りを引っ掛けたあだっぽい男が、三海みうみを覗き込むように腰をかがめた。


「坊や、生きてる? 大丈夫?」 


 あきらかに男とわかるが、女みたいな口調。


 横から小柄な少女が、真っ白な小さな手を、三海のおでこにのせた。


 少女は長い黒髪に、ちょこんと小さな帽子を飾り、黒いリボンに白いレースのゴスロリ。


 思わず少女の手から逃れる為に仰け反ると、少しだけ眉をしかめた彼女はユナと名乗った。


 ユナを左右で挟むように、丸メガネにバンダナを頭に巻いた男はゲンスケ。


 ハリネズミみたいに短髪をたてた男はエモト。

 片耳の長いピアスは、眠らない都会のネオンを反射させ煌めいている。

 

 そして、おネェ言葉に違和感を感じないこの着流し和服の男はセキ。


 劇団か、ミュージカルの出演者なのだろうか?


「オーナー。どうする?」


 セキが着物美人を振り返る。


 皆の視線を集めたオーナー…と呼ばれた女性は、殊更ゆっくりと空を見上げた。


 風が出てきたのか…彼女の緩く結い上げた髪がゆれる。

 だが、不思議と寒くはない。


 たった今まで、三海の景色は灰色しかなかったはずだ。

 だが、彼女達が現れてから、まるでむせ返るような色彩に溢れている。


 あれ程妬ましく感じた雪さえ、結晶みたいにたっとく、キラキラと眩しい。


 オーナーの何を感じたのか、セキがクスクス笑いながら三海の腕を取った。


「いらっしゃい、坊や。うんと、可愛がってあげるから♡」


 ゲンスケとエモトが、足の感覚を失った三海の身体を支える。


 ユナは自分の肩を覆っていた真っ白なショールを三海の首に巻いた。


「や、ちょっと、なに?!」

 

「…あったかくない?」


 傷ついたような顔でユナに見つめられれば、三海はあわてて首を振った。

 間近で見たユナの可憐さに、冷えていた身体は急速に熱を持つ。

 

「あ…あったかいっ。あったかいよ! でも、な…なに?」


「大丈夫よ。アタシ達、悪いではないからねぇ」

 

 相変わらずクスクス笑いながら、セキは首をかしげてウインクした。

 

 連れて行かれた場所は…。


Hair dressingヘアドレッシグ Lifeライフ


 レトロな看板に、柑橘系かんきつけいの香りに包まれた、古民家を改築したような和風モダンな美容室。


 店の前には、たわわに実ったレモンの木。

 だけど、不自然に切られた枝がある。

 だが、そのアンバランスも、この不可思議な場所に似合ってさえ見えた。

 

 明かりが灯った木目の扉が開く。


 リン!


 涼やかな音が、静まり返った路地に響いた。


 店内の眩しさと、家主が留守をしていたとは思えない暖かさに、三海の緊張が緩んでいく。


 入口近くのソファーに座らされた三海が顔を上げれば、いつの間に着替えたのか…レースが施されたブラウスを、肘まで折り上げたオーナーと、着流し和服にタスキを回したセキがいた。


 ユナに、ゲンスケ、エモトも背筋を伸ばし、まるで舞台挨拶でもするかのように、オーナーの後ろに並ぶ。


「「いらっしゃいませ。Lifeライフへようこそ」」


 優雅で…自信に満ち溢れたオーナーと、綺羅びやかなスタッフ達。

 

 …母を亡くして以来、長いこと笑顔をつくれなかった三海の唇が綻んだのは、神様が死ぬ前に与えた小さな幸福なのかもしれない。



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