弐拾弐:サムライガールは斬る
朝起きて部活の朝練に出て、授業を受けて、部活をして帰る。
七海阿斗里の生活ルーチンはほぼ決まっていた。とりとめのない平和な日常。
「アホか。世の中金やで」
「流石ですね、大先輩」
気の合う友人。自分を慕ってくれる後輩。
世界のどこかで戦争や抗争は起きているけど、遠い海の向こう側。命の危機などない平和な国。
(かつて存在した平和な世界。時空嵐が起きる前の世界。大地の記憶はそれを正確に再現し、魂を閉じ込めた。
逃れる術はない。魂をその世界に紐づけた以上、肉体が死ぬまでそれを嘘だと疑いすらしない)
TNGKは学校生活を送る阿斗里の魂を感じながら、勝利を確信していた。術を維持するだけでも五感が狂い、肉体が悲鳴を上げる。だがそれでいい。現実のアトリはこれで死ぬ。
(下層踏破など夢なのだ。ダンジョンは危険なのだ。ダンジョンは毒なのだ。無様に死体を晒し、ダンジョンの残酷さを世界中に知らしめ――)
「斬る」
七海阿斗里――アトリは日本刀を手にして振り下ろした。
(…………………………………………は?
どこから日本刀を!? 何故学校でそんなことを!? 平和な日常に魂レベルに染まっていたはずなのに! 何故そんな行動ができる!?
魂の奥底から闘争を求めていない限り、そんなことはあり得ないぞ!)
振るわれた刀は術式を切り裂き、その鋭さと気迫は術式を通して繋がっていたTNGKを貫いた。
……………………
「斬る」
1手。
クリハラの打撃を受け流しながら振り下ろした刀は、クリハラを切り裂いた。
「――ダメージがレッドラインに達したので、業務を放棄する。
履行不能による損益は契約に従い全て我が社が請け負おう」
切り裂かれたクリハラはそう言って光の粒子となって、消え去った。カラン、とクリハラの魔石が地面に落ちる。
「びじねす、は理解できぬ領域だがその心意気は見事であった」
刀を納め、魔石に一礼するアトリ。それと同時にコメントも沸いた。
『一本!』
『IPPON!』
『御見事!』
『うひゃあああああああ! 勝った!』
『懐に入られた時はヤバいと思ったぞ!』
「か、勝ちました! アトリ大先輩の勝利です! 株式会社オルタンダートのビジネスマン侮りがたし! 恐るべきダンジョンのサラリーマン! 大人の風格を最後まで崩さない態度に敬礼!
そしてそれを切り裂いたアトリ大先輩はもはや伝説! 三年前の『ワンスアポンアタイム』以降成し遂げられなかった下層突破が為されるのです!」
里亜のコメントもこれまで以上に高く響く。配信の目的が達されたこともあるが、アトリの戦いの興奮が抜けきっていないのが大きい。
「……ふむ? 今違和感があったような?」
そんな空気の中、アトリは首をかしげていた。TNGKが命を賭して行った魔術。魂すら汚染して大地の記憶に結び付けた攻撃。並の人間ならその世界の住人だと信じて疑う事すらできないというのに。
それを意に介さず切り裂いたのだ。現実世界では刹那の時間すら立っていない。それ以上の時間をかければクリハラにやられていた。TNGKは本当にベストのタイミングで魔術を仕掛けたのだ。
――ただ、仕掛けた相手の魂が闘争の塊だったというだけだ。
「よくわからぬが、大したことではあるまい」
平和な日常の記録をそう言って一蹴し、アトリはクリハラの魔石を拾った。そんな世界に未練などないと言わんがばかりに。
そしてその瞬間、目の前の門に変化が生まれる。稲光が走り、門内部の空間が真っ黒になる。転送門が起動した合図だ。ここを通れば、深層エリアになる。
「深層……か。ここまで来るのに三年かかったな」
三年。
アトリの姉、<武芸百般>
「そうです! 三年前に深層に消えた『ワンスアポンアタイム』にはアトリ大先輩の姉である鳳東がいるのです!
インフィニティック・グローバルのスキル王こと<登録王>トーロック・チャンネルーン! エクシオン・ダイナミクスの万能羊使い<無形>もふもふわっふるん! アクセルコーポの不死身回復タンクこと<化け蟹>カルキノス! そして企業無所属の<武芸百般>鳳東!
姉を追うアトリ大先輩の悲願が今、ここに果たされようとしているのです!」
アトリと鳳東の関係は同接者も知るところだ。
『そうだよな……深層到達ってそういう意味を持つんだよな』
『三年ぶりの偉業、ってだけじゃなかったか』
『アトリ様、感無量だろうな』
『三年間の努力がかなう時か』
『生きてるかどうかもわからんが……』
『アトリ様の姉だぞ! きっと生きてるさ!』
三年。その期間をどうとらえるかは人それぞれだ。だがダンジョンから三年戻らない人間は、死亡していると思われても仕方ない。
それでもアトリは姉が生きていると信じている。あの姉が死ぬはずがない。その背中に追いついて、そして――
「うむ。姉上を見つけ、成長した某の剣を受けてもらうのだ。
今度こそ勝つ。我が刃の煌めきで三途の川を渡らせようぞ」
『物騒だな、このサムライ!?』
『……ええと、生きているかもしれないけど殺しに行くのか』
『これ感動していいのかなぁ!』
『にげてー。お姉ちゃんはやくにげて―』
『し っ て た』
『アトリ様の悲願はそれだってずっと言ってたもんなぁ……』
『三年かけて追いかけて……姉を斬りたいとかどーなんだ?』
『まああれだ。とにかく下層突破おめ(目逸らし)』
『んだんだ。ともあれそれは喜ばしい(その後は見ないふり)』
瞳を滾らせ物騒なことを言うアトリに、コメントの温度は一気に下がった。
そしてそんなアトリを見たTNGKは――
「ダンジョンという魔窟はこのような魂の持ち主を産み出してしまうというのか……。
やはりダンジョンはあってはならぬ存在。人類を汚染する悪なのだ……!」
言葉通り血を吐きながら呟くTNGKを見ながら、里亜はこれは反論できないなぁと治療スタッフにSOSコールしながら思うのであった。
……………………
さて、ここからは後日談。
深層に言ったアトリは、その位置をマーキングしてとんぼ返りで地上に戻る。これは深層の恐ろしさに弱気になったのではなく、初めからその予定だった。
「ええか。深層に行った奴らが生きてたとして連絡ないってことは、通信が通じてへん可能性があるわ。まあ基地局とかないし当然やけどな。
うち等と通信できへんようになったらすぐ戻りぃや。アンタも姉ちゃんみたいに迷惑かけたくないやろ」
下層突破の際にタコやんから提案されたことだ。事実、浮遊カメラも笠からの通信もなくなったので、アトリはすぐに戻ったのである。
『アトリ様無事か!?』
『配信途絶えたぞ!』
『まさか、アトリ様もワンスアポンアタイムみたいに……』
「戻りました! 今アトリ大先輩との通信が回復しました! 深層エリアをマーキングして、戻ってきたようです!
よがっだあああああああああ! もどっでぎでぐれで! じんぱいじだんですがらあああああ!」
「ったく。深層の魔物と戦って帰ってこおへんとかやったら、どつき倒してたるで!」
戻ってきたアトリを迎え入れたのは、コメントと里亜とタコやんの声。アトリの体感ではすぐに戻ったつもりだったが、どうやら10分近く音沙汰がなかったようだ。
「……物理法則だけやなく、時間の流れまで
アトリの報告に頭を抱えるタコやん。アトリには全く理解できないが、深層が普通ではないということは確かなようだ。
下層突破配信は大盛況のまま終わりとなった。最終的な同接者は102万2976人。『ワンスアポンアタイム』に続く下層突破という偉業。しかもそれを
「突破できたのは一人ではないよ。タコやんや里亜殿のサポート。応援してくれたコメントや同接者含めて全員での突破だ」
『単独突破おめでとう!』といったコメントなどに頑なにそう答えた。戦力としてはアトリ単独だが、突破は皆で行ったのだと譲らなかったという。
そしてそれを機会にアンチアトリの動きはばったりと止んだ。ゼロではないが、一気に下火になったのだ。
理由は大きく三つ。
一つ目は、アトリの配信を見て委縮したからだ。軽い気持ちで叩いていた相手が実は恐ろしい相手だと気づいた。人間離れした剣術の動きだけではなく、成功を個人の手柄にせず皆のものだという器の大きさを見て己を恥じたのだ。
これに関してはタコやんの言うように正攻法が功を奏した形だ。攻撃する声を無視し、己の為すことをやる。その在り方に感動できるだけの精神を持っていれば、己の行為を恥じて矛を収めるのである。そんな精神があれば、だが。
二つ目は、TNGKが動けくなったことでアクセルコーポ内のアンチアトリ活動が収まったからだ。アトリに術式を斬られたTNGKは心身ともに疲弊し、かつての威厳も権力も里亜の撮った動画で吹き飛んだ。
それにより、TNGKについてきた人間の9割が彼を見限った。これはマダム・ベルことヒバリが裏で工作していたこともある。そしてダンジョン配信の流れがアトリを応援していることも、アンチダンジョンのTNGK離れにつながったのである。
そして三つ目は――
『インフィニティック・グローバルは強力なスキルを隠ぺいして、裏でお金を儲けている!』
『エクシオン・ダイナミクスは秘密裏に魔物と契約しているに違いない!』
『アクセルコーポは原材料を密売して、ポーションの値段を釣り上げているんだ!』
――等、他に叩くネタを見つけただけに過ぎない。アトリ叩きのムーブは終わったとばかりに別の事を叩きに行く。自分勝手で反省をしない愚か者。クズはどこまでいってもクズなのだ。
そう言った発言は当然のように総スカンを食らうか、或いは無視されるか。その反応に怒りを募らせ、その怒りをまた別の何かにぶつける。そんな悪循環に陥っていることに、気付かずに彼らは何かを叩き続ける。
「『怒りにしがみついているのは、誰かに投げるために真っ赤に燃えている石炭をつかむようなもの。火傷するのは自分自身』……2000年前からわかっている事なのに」
そんな人たちに対して、里亜はブッダの言葉を引用して肩をすくめるのであった。
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