五章 不忘蔵王と蒼極天の神 10


 

 バタバタと室外機の上に取り付けられた赤い旗が風に揺れる音がし、それより遠くでは風の刃が城を作り出しているのみ。

 

 屋上には誰も居なかった。


 

「ユイガっっ……! どこ? どこだよっ! ユイガ……っっ!」


 

 飛びそうになる意識をどうにか繋ぎながら、居るはずの人物をあたしの目が必死に探す。


 体をどうにか動かしながら視線を巡らし、仰向けになったところであたしはそれに気が付いた。

 

 遥か上空、暴風の巻き起こるその城の中心点。

 そこに浮かぶ半透明の巨影。


 

「――ははっっ」


 

 知らず口から出たのは、諦観とも自嘲とも聞こえる笑い声。

 

 浮遊城タイフォン。

 

 そっか、そこに居たのか正義の味方。

 あんたはこの誰も近づく事の出来ない、何者も訪れる事の無い暴風の城の中にあって、それでもなお人の手の届かない場所に逃げ込むのか。

 

 全く、そこまでいけば引き篭もりも大したもんだよ。

 

 大の字にねっころがったまま、あたしの中で声がした。


 

 もう無理だ。誰かが囁いた。

 もう諦めろ。誰かが諭した。

 

 もういいじゃないか。あたしは良く頑張ったよ。

 

 あたしの中で、優しい声であたしが微笑んだ。

 

 ……そっか。

 

 もう諦めてもいいのか。

 もう無理だよね。もう十分頑張ったって。


 

 体から力が抜けていく感覚。

 意識に白い霧がかかるような錯覚。

 

 ううん。どのみちもう体は動かないし。血だっていっぱい出ちゃったし。

 

 これ以上無理したら死んじゃうかもね。ほっといても怪しいけどさ。


 

「よし、諦めた! もう無理! 死んじゃう死んじゃう!」


 

 飛び飛びになる意識を無理矢理起こし、上半身を持ち上げる。


 

「ばいばいユイガ。あんたとのこの二週間、それなりに楽しかったよ!」


 

 ふらふらになりながら、それでも両足はなんとかあたしの体を支えてくれた。


 

「でもおっきい体しといてその言葉遣いはどうかと思うなー。姉ちゃんに見つかったらはっ倒されるって!」


 

 一歩、足を進める。何も無いところで、足が滑った。


 

「ははっ。でもそれも無理か! だってユイガはもう消えて居なくなっちゃうんだもんね!」


 

 思わず片手を地面へつける。

 骨にヒビが入るような感触。

 

 流れ出していた赤黒い血があたしの手の平を塗らした。


 

「しかしもうちょい大人になって欲しかったかな。あんだけ引きずり回されるとさ、ユイガより年寄りのあたしにゃ、それなりに堪えるんだってば」


 

 外を見れば、轟々と巻き起こっていた嵐が、気が付けば力を弱めたように音を小さくし、速度を緩めていた。

 

 それはすなわち。


 

「うん? もうそろそろかな。それじゃあ本当にさようなら。また……は無いか。でもそうだね。また会えたらいいな」

 

 

 彼女の力がもう残り少ないという事。彼女がもうすぐ――。


 

「なんて言う訳ねーだろばっきゃろー! 今すぐここに降りてきやがれ! あたしが力の限り引っ叩いてぶん殴って怒って抱き締めて泣かせてやるからさーー!」


 

 叫んでいた。


 

「おら! どーした臆病もん! あたしが怖いか! あたしが恐ろしいか! 悔しかったらここまで来いっつってんだ!」


 

 あたしはただ、力の限り叫んでいた。

 

 何の意味も無い事はわかっているのに。

 この声があそこまで届くはずはないのに。

 

 それでもあたしは、無意味で無価値な言葉をずっと吐き出し続けた。


 

「だからさ……」



 でも、それも終わり。

 

 もう声を出す力も残っていない。

 

 もうあたしには、ここに居ない彼女に語りかける力も無い。


 

「助けてって言えばいいんだ。あたしが助けてやるから……。あたしが正義の味方を、あたしがユイガを助けてやるからさ……」


 

 それでも、あたしは叫ぶ。

 

 忘れてしまえばそこで終わり。追わなくなったら追いつけない。諦めてしまったら、もう届かないから。

 

 その時、大きな布がはためく様な音があたしの耳に聞こえた。


 

「はは……」


 

 ほら見てよ。意味がない事なんて何一つない。

 

 先の事なんて動いてみなくちゃ判らない。


 強く粘って必死になればさ、願いはいつだって……届くんだ。

 

 そこに、空の色を思わせる薄い色をした一羽の大きな、人間よりも大きな鷹が降り立っていた。


 

「そうだよな。お前も、居なくなって欲しくなんかないよな」


 

 鷹はあたしの声に応える様に空を仰ぎ、猛りをあげた。


 

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