一章 不忘蔵王と正義のミカタ 4
そんな彼女――神ヶ崎ユイガは、あの少しだけ交わした会話だけでも解るとおり、そりゃあもう一般常識とか社会通念とかサッパリ解りませんと感じであり、そんな人間としてよくここまで生きてこられましたね と感心してしまうような娘に見えるのだが。
実際その通りだった。
「しゅっしん~? 正義はエジプトのるくそーるから来たんだよー」
「好きなものはねー。ざおーといるかくんとー」
「パパとママー? 今はたぶんにゅーよーくだと思うー」
「たいふぉんなら大丈夫。お空を浮かんでるだけで危なくないよー」
と言うわけも無く。意外や意外、授業中は大人しくしていたかと思えば、その後の休み時間にはすっかり溶け込み、群がってきたクラスメイト達の質問に笑顔で答えていた。
ちなみにユイガの<神>であるタイフォンは、今も窓の外、校庭のお空で滑空中である。
あれ以降特に騒がれていないのだから、学校から何かしらの通達が他クラスや学校周りのご近所にあったのだろう。そのへんの手回しはさすが大々的に神災が通う学校とうたっているだけの事はあるのか。
「驚きましたね。神災であるユイガさんが、クラスの皆さんにあそこまで馴染んでいるなんて」
そんなユイガとクラスメイトの様子を教室の後ろによりかかって(ユイガの席はあたしの後ろの席だった為、混雑回避の意味も含めて)観察していたあたしに、水奈が声をかけてくる。
「まあな。でもいい事じゃないか。神災つったって人間なんだ。普通に過ごせるならそれが一番だよ」
「仰るとおりで」
うそくさい笑みを変えずにしれっと言う。
「しかし姫君。彼女は貴女のお友達なんですか?」
「それなんだが。……つーか姫君言うなハズいから」
あたし自身も疑問に思っていた事である。
ルクソールからやってきたと言う彼女を、あたしは覚えていない。
だけど彼女はあたしの事を覚えていて、あたしに妙になついている。
「そうですか。それなら二年以上前の事ですね。申し訳ありません」
「いや、別にいいんだ。あの時の事はあたしが好きでやった事だし」
笑みを潜めた水奈が慇懃に頭を下げる。
「きっかけがあれば思い出すしな。なんだっけ? お前が言ってただろ。『エピソード記憶の検索能力はキーとなる事象を体験する事によって向上する』だっけ? ユイガがあたしの事を知っているのなら、あの子に会った事であたしの記憶も近いうちに戻るさ」
だから気にするなと水奈に念を押す。
いつものやり取り。この男はこう言うと、決まって困ったように笑う。普段の仮面優等生の笑顔とは違う、何か言いたいけれど、その言葉が思いつかずに困ったなといった様子の笑顔。
「それは……、彼女には?」
「……」
そう、あたしはその事を彼女に伝えていない。
あたしは――。これはあたしの私見に過ぎないのだが。
人が昔の知人に会いたくて、やっと会えるようになって訪ねて行った時に、相手が自分の事を全て忘れていたらどう思うだろう。
あたしは、きっとそんな事になったら、情けないけど泣いてしまうかもしれない。
記憶とは悲しいものだ。ましてそのすれ違いはもっと悲しい。
彼女とあたしの間には、きっと何か大きな出来事があったのだ。でなければ、あんなに彼女があたしに親しみを持って接してくれる理由が無い。
それをあたしは忘れた。彼女の顔を見て。懐かしいと思うことも出来ないぐらいに。
思い出せるのなら、思い出すことが出来るのなら。全てを思い出してから忘れてしまっていた事を彼女に伝えればいい。
今、彼女を悲しませる必要は無い。そう、あたしは思っている。
「……ああ、すまん」
気づけば、あたしの顔をじっと見ていた水奈の顔が曇っていた。
しまった。顔に出てたか。
あたしはその空気を変える意味と、これ以上心配するなという意味の二つを込めて、水奈に別の話を振る。
「それより。だ。水奈は知ってるか? ユイガの事」
「ええ。神災を知る者の間では有名です」
『ユイガの事』と、そういうだけでこいつはあたしの言いたい事が解ったらしく、沈んだ表情をいつもの笑顔に変えた。
「彼女の神、浮遊城タイフォンは《大気を支配し正義を行使する神》。エジプト神話にあって最上位に位置するほど強大な力を持ち、セト、セレク、ステカーなどとも呼ばれる嵐と暴風の神です」
暴風の神。ね。
思わず彼女と窓の外に漂う巨大魚に目をやり、先ほどの竜巻を思い出す。
「その力は彼の国を支える柱に例えられる程で、エジプトに存在した災いを幾度も打ち倒し、危機から救ったそうです」
「災いって何だ?」
「細かい話は僕も……。恐らくは暴走した神災や暴徒などではないでしょうか」
ふむ。なるほど。
「彼女は彼女の言うとおり。本当に正義の味方のようですよ」
言いながら、二人してユイガの方へ目をやる。
って、おい!
「ざおうー! ざおーも正義とお話するのーー!」
にこやかに飛びついてきたユイガに、ボリュームのある胸を力の限り押し付けられて抱きしめられた。
……チクショウ。あたしよりもおっきい。
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