光の小瓶
月星 光
光の小瓶
バルコニーに立ち、彼女は独り泣いていた。
初春の、静かな夜。広大な夜空には、銀砂のような星々が、互いに囁き合うように小さく輝いている。
「どうして泣いているんだい?」
澄んだ声が、彼女に尋ねた。
見ると、欄干の向こうの虚空から、青年が不思議そうにこちらを見つめている。驚きのあまり、声も出なかった。彼女がいるのは、自宅の二階。すなわち、欄干の向こうは虚空。青年は、空飛ぶ小舟に乗っていた。
何より驚くべきは、その美貌。陶器のような白い肌に、波打つ黄金の髪。長い睫毛に縁取られた、垂れ目がちの瞳。
青年は小舟のヘリにゆったり腰掛け、彼女の返答を待っている。人ではないが、怖さはない。彼女はその存在を受け入れ、しずしずと涙声を発した。
「ダンスパーティーで、テンションが上がって渾身の創作ダンスを披露したら、皆にドン引きされたの・・・・・・」
シンと冷えた場の空気を思い出し、またも涙が溢れ出す。
「それだけじゃないわ。ヤケになって目に付いたジンジャエールを一気飲みしたら、盛大にゲップをしてしまった挙句、その場を飛び出そうとしてすっ転びかけた末に、良家のご子息のズボンを掴んで、引き摺り下ろしてしまったの。それは可愛らしい、ハート柄のパンツだったわ」
「へ、へぇ・・・・・・。それは・・・・・・ぷくくっ、大変だったね」
「そうよ!恥に恥を塗り重ねまくったの!」
噴き出すような声がしたが、それどころではない。彼女はとうとう、顔を覆っておいおいと泣き出した。
「元気を出して・・・・・・ぷくくっ。そうだ、良い物をあげるよ!ぷふーーーっ」
もはや隠せていない笑いを噛み殺し、青年は布袋から四角い木箱を取り出して開いた。
中には、いくつかの小瓶が並んでいる。銀、乳白、瑠璃。透明なガラス越しに、小瓶は様々に光を放って輝いていた。
淡く、どこか儚げに揺らめく光の美しさに、彼女は泣く事も忘れて魅入る。
「これは何?」
「星の光。綺麗だろう? 僕はこういう光を集めるのが大好きなんだ」
青年はうっとりと、指先で小瓶を撫でた。
「そうだな。ユニークなあなたには、これがいい」
中から一つを選び、青年は小瓶を開ける。
すると、蜜色の光が溢れ出してきた。それはゆったりと広がり、彼女を包み込んでいく。温かな光に、心が和らぐのを感じた。
「これは月光。落ち着くだろう? 全てを受け入れ、静かに包み込んでくれる。それに、とても良い香りでしょ?」
言われてみれば。鼻水混じりの嗅覚を、彼女は懸命に働かせる。
「これは、カモミールかしら?」
「その通り。好きな香りを混ぜてみたんだ。自慢の一品さ」
青年は、えへんと胸を張った。
「ねぇ、代わりと言っては何だけれど、あなたの涙の光をちょうだいよ」
言い終わらぬ間に、青年は指先で頬に残る涙を拭い、小瓶に入れた。すると、たちまち、透明な涙は微かに色付き光を放つ。
「わぁ、これは珍しい。綺麗な琥珀色だ」
青年は目を見開き、小瓶に魅入る。
「この光は、どんな花の香と合うだろう。さっそく調合しなくちゃ。じゃあ、僕はこれで」
そう言い残し、マイペースな青年はさっさとオールを漕ぎ出した。小舟は音も無く、滑るように空を進み出す。
「ありがとう」
呟いた声が届いたのか、青年は振り向かないまま片手を上げて応え、やがて夜空の彼方にーー。
「ハート柄のパンツ・・・・・・ぷくくっ」
消えたと思いきや、失礼な思い出し笑いが風に乗って流れてきた。
彼女は顔を顰めたが、堪え切れず自分も噴き出したのだった
光の小瓶 月星 光 @tsukihoshi93
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