第47話 未来のいない高校

 夏休みがあけて、学校が始まった。けれど学校に未来はいなかった。それだけで心にぽっかりと穴が開いてしまったような気持ちになる。それでも未来に願われた手前、私も頑張って学校生活を送らないといけない。


 始業式を終えて教室に戻ると、宮田と千葉に話しかけられた。


「なぁ櫻。咲乃さんはどうしたんだ?」

「これまで一度も休んだことなかったよね。そういえば」


 未来には特に何も言われていないけれど、むやみに真実を伝えてみんなを心配させるのは未来の思う所ではないと思う。だから私は「私も知らない」と誤魔化しておく。


 二人は少し心配そうにしていたけれど、お昼休みにもなればいつもの様子を取り戻していた。


 学校が終わると、すぐに病院に向かう。そして未来と言葉を交わして、また家に戻る。そんな繰り返しが続くにつれて、あからさまに未来の体調は悪くなっていた。


 夏休みが終わってから一か月。文化祭の開催が近づいてきたある日、私はいつものように放課後、未来の病室を訪れていた。


 今日も未来はベッドの上で眠っていた。寝顔は綺麗だけれど、眠りにつくのは激痛から逃げるためらしい。起きている間はずっと耐えがたいほどの苦しみに襲われているみたいだ。


 だから私も未来を起こすわけにもいかず、そっと近くで未来を見守る。最近はもう手も握れなくなってしまった。夕方から夜へと移り変わりつつある紺色の空をみつめていると、不意に未来が声をかけてきた。


「あ、うたこ……。きて、くれたんだね」


 慌てて視線を向けると、未来は本当に辛そうな表情をしている。それでも未来と話すのは三日ぶりだから、寝ていてほしい気持ちと話せてうれしい気持ちがぶつかり合って、自分でも納得できない感情が心の中に広がる。


「……きのうも、おとといも、ごめん、ね」


 声帯を震わせるだけで、激痛が走ると聞いた。話したい気持ちはある。けれど無理なんてしないで欲しい。


「話さなくていいよ」

 

 すると未来は優しい瞳で私をみつめてくれた。


 もう、キスなんてできない。抵抗力が弱まっているらしいから、私の唾液から細菌やウイルスが侵入したら大変なことになってしまう。触れるだけで痛むという理由もなる。大切な人がすぐそばにいるのに、私は何もできないのだ。


 ただ、声を伝えることしかできない。


「もうすぐ文化祭だよね。それでね私たちのクラスはお化け屋敷をすることになったんだ。私もお化けの役をすることになったよ。でもこんな美人なお化けなんて、驚くより先に見惚れちゃうよね」


 すると未来はジト目でみつめてきた。言葉はないけれど考えていることは伝わってくる。


「……でもやっぱり詩子と一緒にやりたかったな。美人お化け」

 

 そうささやくと、未来はしょんぼりと眉をひそめてしまう。


「来年は二人でやろうね。あ、でも同じクラスになれるか分からないか……」


 どうしてか未来は悲しそうな顔をしている。「そもそも私は来年生きていられるの?」。そんなことを言いたげだと私は思った。


「……未来」


 その切なげ表情を見ていると、こみあげてくるものがあった。


 未来は戦う覚悟をした。前に進む覚悟をした。現実逃避をやめたのだ。なのに、どうしてこんなことになってるの? ねぇ、どうして? 今の状況は明らかに楽観なんてできない。


 日増しに悪い方向へ進んでいるようにしか思えない。


 未来に背中を向けて、目からあふれ出てくるものを手で拭う。声は我慢するつもりだったのに、つい嗚咽が漏れだしてしまう。


 すると未来の指先が私の背中をつついてきた。少し動かすだけでも激痛が走るはずなのに、それでも未来は私を励まそうとしてくれているのだ。そっと未来の手に触れてしまわないように振り返ると、未来は涙を流していた。


「うたこ。なか、ないで」

「……未来」

「わたし、ぜったい、しなない、から」


 ぎこちない笑顔と声で、未来はつげる。


 今すぐにでも抱きしめてしまいたかった。でも抱きしめることすら許されないのだ。ひたすらに涙を流していると、未来はベッドの脇の机の上に置かれたくまのぬいぐるみに目配せをした。


「これ、わたしだと、おもって……」


 私はくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。


「未来。……未来っ」

「……」


 未来は寂しそうな顔をしていた。私だって本当の未来を抱きしめたかった。未来だって私に抱きしめてもらいたいのだろう。痛いほど視線から伝わってくる。

 

 でも未来を傷付けないためには、触れることを諦めるしかなくて。


 そんな無力な自分が憎くて仕方なかった。


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