異世界に売り飛ばされたけど、私は元気です

瘴気領域@漫画化してます

第1話

「――というわけで、貴様は異世界に売られることになった」

「すまん、カナコ! 俺があのとき赤に賭けてさえいれば……」


 目の前には黒いスーツのお姉さんと、ボサボサ頭に無精髭のおじさんがいる。

 土下座しているおじさんは、私の叔父さんだ。両親が行方不明になった私を引き取ってくれた恩人ではあるのだが、ギャンブルが大好きでまともに仕事もしていない。世間的な評価でいえば、まあダメ人間であろう。


 背筋をぴんと伸ばして立つお姉さんは初対面だ。

 すらっと背が高くて、浅黒い肌をしている。でもって耳がとんがっていて……アニメや漫画で見たことがあるなあ。本当にいるのかなあ。


「あのう、ひょっとしてですけど、お姉さんってエルフってやつですか?」

「ああ、ダークエルフだ。見るのは初めてか?」

「バリバリ初めてです」


 思い切って尋ねてみたら、本当にエルフだったらしい。

 そんなものが実在するなんて、世の中って広いんだなあ。


「あの、まだ質問があるんですけど」

「何だ? 言ってみろ」

「何で叔父さんがギャンブルで負けて、私が売り飛ばされなきゃいけないんです?」

「それはこの男が全財産を賭けたからだな」

「えっと、私は叔父さんの持ち物じゃないんですけど」

「それはこちらの法だ。我々の法では、家族とは家長の財産となる」


 思わず叔父さんをジト目で見てしまう。

 あんた、姪っ子を賭け金にしたんかい!?


「いやいやいやいや、普通にさ、全財産って言ったら俺の財産だけって思うじゃん! カナコまで含まれるなんて思ってなかったんだよ!」

「賭けに参加する際に契約書を交わしたが?」

「いやいやいやいや、そっちの言葉で書いてあったじゃん! 読めるわけないじゃん!」

「代読を断ったのはそちらだろう」

「だって、文字が読めないとナメられると思って……」


 どうやら叔父さんは読めない契約書にサインしてしまったらしい。

 うーん、中学生の私にもわかるくらいどうしようもない。

 契約書はきちんと読みなさいって、家庭科でも習ったぞ。


 再び叔父さんをジト目で見ていると、ダークエルフのお姉さんの指輪が青く輝きはじめた。


「む、そろそろ時間だな。行くぞ」


 指輪の光がわっと強まって、視界が真っ白に染まった。


 * * *


 むせ返るような草いきれ。

 私の腰ほどもある背の高い雑草が見渡す限り広がっている。

 地平線の先には青い山並み。

 そしてそこから飛び出る巨大なものの影が見える。


 シルエットから察するに……あれは木?

 樹高は数千メートルありそうだ。

 心の準備すらないままに異世界に来てしまったなあ。


「むう、街に転移したかったのだが、座標がかなりズレたな」


 お姉さんが指輪をいじりながら顔をしかめている。


「あの、それって異世界転移ができる魔法のアイテムってやつですか?」

「そうだ」

「それがあればいつでも地球に……元の世界に行けるんです?」

「いつでもではない。星辰が特定の位置に揃わねば使えん。およそ、ひと月に一度だな」

「せいしん?」

「星の並びのことだ。私も詳しいことは知らん。星読みの連中が売るカレンダーを見るだけだ」


 そう言うと、お姉さんは懐から紙切れを取り出した。

 紙には尖ってカクカクした文字が並んでいる。

 教科書で見た甲骨文字に雰囲気が似ていた。


「次に地球に行ける日はいつですか?」

「28日後だな。だが、お前はもう奴隷の身だ。借金を返し、自分を買い戻すまでは帰れんぞ」


 奴隷、奴隷かあ。

 地球では違法なことも、こっちでは余裕でオッケーなんだろうなあ。

 私は靴下を脱いで重ねると、中に小石を詰めはじめた。


「しかし弱ったな。街が見当たらん。一体どこに転移したのだか……って、おい。貴様は何をしている?」

「靴下に石を詰めてます」

「それは見ればわかる。なぜそんなことをしているんだ?」

「手頃な鈍器になるので」

「鈍器……?」

「よし、こんなものかな。ではお覚悟っ!!」


 私は即席の鈍器でお姉さんに殴りかかった。

 借金取りに襲われたり、誘拐されたときは大抵こうやって逃げのびてきたのだ。


「こっ、こら! やめろ! 危ないだろ!」

「大丈夫です! 気絶すれば痛くないですから!」

「気絶するほど痛いってことじゃないか!」


 お姉さんの身のこなしは軽い。

 私が振り回す即席鈍器を間一髪でかわしていく。

 むう……これなら寝込みを襲うべきだったか。


「ら、乱暴はやめろ! 何が目的だ!?」

「もちろんその指輪です。大人しく渡してくれるならやめますけど」


 私は攻撃の手を休め、靴下をぶんぶん回しながら答えた。


「指輪を奪ったところで、使い方がわからんだろ!」

「さっきも勝手に光ってましたし、操作とかいらないやつじゃないかなと思って」

「うっ」


 図星だったようだ。

 お姉さんのこめかみから一筋の汗が垂れた。


「お、落ち着け。話し合おうじゃないか」

「話し合いの余地とかあります? 変態の金持ちとかに売り飛ばされて、あれこれされちゃうわけじゃないですか。そんなの絶対イヤなんで」

「そんなことはない! 性奴隷はこちらの法律でも禁止されている!」

「え、そうなんですか?」


 私は靴下を振り回すのを一旦やめた。


「こちらの奴隷制度について詳しく教えてください」

「これから説明しようと思っていたのだがな……。まったく、いきなり襲いかかってくるとは思わなかったぞ……」


 お姉さんがハンカチで汗を拭きながら説明してくれたところによると、この世界での奴隷とは以下の扱いになるそうだ。


1)性的な目的で扱ってはならない

→そっち方面は娼館ギルドというものが取り仕切っているそうで、奴隷商ギルドは手を出してはいけないそうなのだ。


2)不当な暴力を振るってはならない

→奴隷をいじめていた主人が殺される……という事件が多かったため、導入された決まりだそうだ。とはいえ「不当な」というところがミソで、正当な暴力もあるらしい。主人の財産をわざと壊したり、盗んだりすると体罰が許されるそうだ。


3)奴隷に給料を支払わなければならない

→これが一番意外だった。奴隷って完全無給で一生こき使われるものだと思っていた。給料を貯めて、自分自身を買い取ることができれば晴れて自由の身になれるんだそうだ。


「――というわけでだな。真面目に働けばちゃんと自由の身になれるのだ」

「なるほど。それならわざわざ暴行傷害のリスクを負う必要はないですね」

「最初にその選択肢が出てくる貴様がおかしいと思うのだが……」

「あっ、ところで叔父さんはどこに行ったんです?」


 私の人格に疑義が持たれそうだったので話題をそらした。

 っていうか、本当に叔父さんはどこに消えたんだろう?

 さっきからどこにもいないぞ?


「あの男は居残りだ。マグロ漁船に乗せる手はずとなっている」


 異世界奴隷とマグロ漁船……どっちの方がマシなんだろうか?

 しかし、いまの私に叔父さんの心配をしている余裕はない。

 まずは自分の身の振り方を考えなければ。


「それで、これからどうするんです? 見渡す限り何にもないんですけど」

「切り替えが早いな……。まあ、いい。これから手近な街を探す」


 ぱーどぅん?


「あの、街の場所がわからないってことですか?」

「うむ、<転移の指輪>の調子が悪くてな。どこかわからないところに転移してしまったようなのだ」

「それって結構ピンチじゃないです?」

「……」


 お姉さんはしきりに汗を拭いている。

 あー、これはピンチなやつだ……。

 背は高いし、パンツスーツをビシッと着こなしてるし、仕事できる系のお姉さんかと思ってたんだけど、この人って結構ポンコツなんじゃ……。


「あの、落ち着いて周りを見渡してほしいんですけど、何か見えませんか?」

「街らしきものは見えんな……」


 お姉さんは背が高い。

 たぶん、170センチちょっとくらいあるんじゃないだろうか。

 この異世界が地球と同じ曲率だとして、だいたい5キロ先までは見えるはず。

 その範囲に街がないって、転移の座標とやらは相当ズレていたようだ。


「あの、肩車してもらえます? そっちの方が遠くまで見えるんで」

「ああ、わかった」


 私の身長は152センチだ。

 中一女子としてはほとんど平均である。

 お姉さんに肩車をしてもらえば2.5メートルくらいにはなるだろう。

 これなら6キロくらい先まで見通せるはずだ。


 高くなった視点から辺りを見渡す。

 私ひとりでは見えなかったものが視界に入ってくる。

 ふうむ、あっちにはちょっとした丘があるな。

 こっちは植物の色が違う。水場でもあるのかな?

 しかし、街は見当たらない。

 ここは一旦、丘に登ってさらに遠くを見るべきだろうか?


 肩車をされながら草原を観察していると、草むらの一部ががさがさ動いているのに気がついた。

 がさがさはこちらに向かって一直線に進んできている。


「あの、質問があるんですけど」

「なんだ? というか、疲れたから肩車をやめたいのだが……」

「あ、降ろしてもらって大丈夫です」


 地面に降りてから、改めて尋ねる。


「こちらの世界って、魔物とかモンスターとか、そういう人間に敵対的な動物がいる感じです?」

「ああ、いるぞ。こういう草原に出没するのはゴブリンと呼ばれる魔物だな。やつらは小型で一匹一匹は弱いが、集団で狩りをする厄介な魔物だ。見た目は貴様らの世界でいうニホンザルから――」

「あ、大丈夫です。実物が来てる感じなんで」


 がさがさが近づいてくる。

 私は身を低く構え、草むらの中に姿を隠してゆっくり移動する。

 お姉さんはわけがわからない様子で立っている。

 ふむ、囮としてちょうどいい。


「ゲギャーーーー!!」


 草むらから小さな人影が飛び出した。

 お姉さんの喉元に向かって一直線だ。

 お姉さんはうろたえて尻もちをつく。

 人影はお姉さんの頭上を通り過ぎていく。

 私はそれの頭に、全力で靴下を振り下ろす。

 どすっと鈍い手応えが伝わってくる。

 人影は動かなくなった。


「ゲギャーーーー!!」

「ゲギャーーーー!!」

「ゲギャーーーー!!」


 続いて飛び出してきた人影を靴下で殴り飛ばす。

 最初の一匹ほどではないけれども、どすっどすっどすっと確実な手応えがある。

 人影たちは、一撃を加えると逃げ去っていった。


 助かった。

 これ以上は靴下が破けそうだったのだ。

 ちゃんと補修しないといけないな、これは。


「大丈夫ですか?」

「う、うん……」


 腰を抜かしているお姉さんに手を貸してあげる。

 切れ長の目の端には涙が溜まっていた。

 案外ヘタレなのだろうか?

 第一印象はクール系お姉さんだったのだが、すっかりひっくり返ってしまった。


 それはそれとして、倒れているやつを改めて観察する。

 全体の形としてはニホンザルが近い。

 だが、体毛は生えておらず緑色のてらてらした皮膚をしている。

 あちこちに出来物があって汚らしい印象だ。

 顔はしわくちゃで、口には黄色い乱ぐい歯が並んでいる。


 うーん、まさしく魔物って感じだ。


「あの、ちょっと質問なんですけど」

「え!? あ、うん、何?」

「これがゴブリンってやつです?」

「そ、そうよ。これがゴブリン」

「ゴブリンって、しゃべれるんです?」

「一応、言葉は使えるらしいけど……なんで?」


 しゃべれるのなら、貴重な情報源だ。

 手近な雑草を編んで紐を作り、ゴブリンの手足を縛り上げる。

 頬をペシペシと叩くが、目を覚ます気配がない。


「水、あります?」

「魔法で出せるけど……」

「わあ、便利ですね。じゃあ、お願いします」

「何を……?」

「これの顔にかけてください。起こして話を聞きたいんで」

「わ、わかったわ」


 お姉さんがもにゃもにゃと何か唱えると、手のひらから水が出た。

 それがゴブリンの顔にかかると、ゴブリンは「ゲギャー!?」と叫びながら目を覚ました。


 この水、飲めるのかな?

 飲めるんならすごく助かるんだけど。


 まあ、それはあとだ。

 とりあえずこのゴブリンさんから話を聞かないと。


「あの、ゴブリンさん……でいいんですかね? 言葉、わかります?」

「ゲギャゲギャギャギャギャギャ!!」


 あ、わかんないっぽい。

 時間を無駄にしてしまった……後悔とともに、靴下を振り上げた。


「ウソウソウソウソウソウソ! わかるゴブよ! 人族の言葉はちゃんとわかるゴブ!」


 私は靴下を下ろした。


「あの、聞きたいんですけど、このあたりに人間の街ってあります?」

「街なんてないゴブ! ここは<虚無の平原>ゴブ! 人族なんてとても住めないゴブ!」


 どんな僻地に転移したんだよ……。

 私は思わず、お姉さんにジト目を向けてしまった。


「きょ、虚無の平原っていうのはね。魔族の領域のことよ。人族の領域からは遠く離れた危険地帯ね。で、でも大丈夫。私がついているから!」


 お姉さんは薄い胸を張った。

 第一印象はスレンダーでカッコいいモデル体型のお姉さんだと思ったのに、いまではその胸の薄さが実に頼りない。


「ええっと、なんかちょっとその、色々不安なんで、とりあえずあっちにあった丘まで向かいますね。あー、その、ゴブリンの人? 君たちって、人質とか効果あるタイプ?」

「あ、あるゴブ! もちろんあるゴブよ! ゴブリンは仁義に厚い魔物ゴブ! 人質を無視して襲ってきたりはしないゴブよ! あっしは族長の息子なんで、絶対に見捨てられたりなんかしないゴブ!!」


 ゴブリンは私の質問の意図をちゃんと汲んでくれた。

 見た目はブサイクだけれども、意外に知能は高いらしい。

 人質としての意味がなければ殺されると思ったのだろう。


 別に私はそこまで残虐ファイターってわけじゃない。

 気絶させて転がせておくくらいで済ませるつもりだったけど、恐れられる分には問題ない。変な嘘をついて騙そうともしないだろうし。


「えっと、それじゃお姉さん。行きましょうか」

「はっ、はい!」


 私は改めて異世界の大地を歩み始めた。

 立場的には奴隷のはずなんだけど、どういうわけかリーダー的なポジションに収まっている気がする。


 ま、なにはともあれ生き延びるのが最優先だ。

 借金取りから逃げて富士山の樹海で1年暮らしたときと比べれば、きっとずっと楽しい生活ができるんじゃないかなって気がしている。


(了)

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