最弱の魔族と少年

 アステルは新たな装備で身を包む。対竜属性の鎧、竜術を弾く大盾、竜殺しの長剣。

 しかし、ガルラと対峙はしてみたものの、足もとが覚束おぼつかないアステル。


 トリスと違って、魔族のアステルは、神造の防具である身代りの盾を装備できない。ガルラの攻撃は呪いの武具でなんとか防いではいるが、それでも打ち身やり傷で全身が負傷していた。


「人族ごときにご執心しゅうしんか」


 ガルラの嘲笑に、アステルは顔をゆがめる。


「好きで護っているわけじゃない」


 では、なぜだ。とは聞かない。聞く必要はない。これから殺す相手には。ガルラは全身に竜気をみなぎらせると、アステルに近づいていく。


 アステルは目くらましの魔法を放つと同時に、ガルラへ接近する。

 ガルラは、魔法を避けようともしなかった。


 強い閃光を放つ魔法。その隙にアステルはガルラに肉薄し、長剣を振るう。竜殺しの刃はガルラの鱗にわずかな傷をつけるが、それ以上は身体に食い込まない。

 目眩めくらましの効いているガルラは、身体への衝撃を頼りに適当に腕を振り回す。

 とっさに長剣を手放し、後方へ退くアステル。ぎ払われた長剣は、小枝のようにあっけなく真っ二つに折れた。


 アステルは後退した場所で投げ槍を創り、投擲する。しかし、槍はガルラの表皮に跳ね返され、地面に落ちた。


 視力の回復したガルラは、あわれみの視線をアステルに向けた。


「これほどまでに弱いとは。放つ魔法は下級魔族以下。我への対抗武器を創り出しても、技量なくただ振り回すだけ。よくもまあ、四百年も生きてこられたものだな」


 アステルへと無造作に歩み寄るガルラ。アステルは大剣を出して振るうが、はじき返される。ガルラに払われた大剣はアステルの手を離れ、遠くへ飛んでいく。


御方おかたも、なぜこのような雑魚ざこにもならない者に魔王位を与えようとしたのか、理解に苦しむ」

「ふふん。力だけのお前が魔王になんぞなれるものか。わたしを倒しても、きっと昇格の話さえ来ないわ」

「情けない命乞いのちごいだな。だから殺さないでください、とでも言いたいのか?」

「命乞いじゃない!」


 アステルはひと振りごとに様々な魔剣を創り出し、ガルラを斬りつける。

 ガルラは避けることもなく強固な身体で攻撃を受けるが、どの斬撃も鱗を僅かに傷つけるだけだ。


「たしかに、貴様を倒しても実力の証明にはならんな。弱すぎる。雑魚を倒しても、我は魔王にはなれぬだろう。だが、しかし。貴様を倒すことで、実力のない魔王の誕生を阻止できる。それは彼の御方の支配する世界にとって良いことであろうさ」

「竜人族のくせに魔族の社会をうれうとは、気持ち悪い奴め。それに、わたしは魔王になんぞ興味ない!」


 アステルが渾身こんしんの魔力を込めて放った魔法の炎は、しかしガルラの服さえも焦がすことが出来ない。


「魔王位を侮蔑ぶべつし、彼の御方から与えられた機会を無駄にする貴様は許せぬ!」


 怒気とともに、さらに膨れあがるガルラの竜気。

 アステルは気圧けおされる。それでも繰り出す攻撃は、全くと言っていいほど効かない。

 ガルラは、アステルの出鱈目な攻撃をもてあそぶかのようにあしらう。

 ガルラの丸太のような腕が振り下ろされる。アステルは大盾で防ぐが、泥細工のように呆気なく砕かれてしまう。続けて、竜の尾がアステルを横から襲う。鈍く重い衝撃で鎧は粉々になり、吹き飛ばされる。しかし、アステルは立ち上がる。そして、新たな装備でガルラに向き合う。


 だが、それはむなしい反抗でしかなかった。アステルがどれだけ高性能な装備で身を固めようとも、ガルラは一撃で粉砕する。何度となく立ち上がっても、ガルラに傷を負わせることも出来ず、逆にアステルの方が反撃を受けて一方的に負傷していくだけ。

 しかしそれでも、アステルは立ち上がり続けた。


 アステルの全身は傷つき、動きも鈍くなっていく。右腕はいつの間にかだらりと垂れ下がり、動かない。全身が傷だらけ、血だらけでも立ち上がり、ガルラに向かう。





畜生ちくしょう……くそう、くそったれっ!」


 アステルとガルラから離れた場所で、トリスは動けなくなっていた。

 何度、死の恐怖を感じただろう。身代りの盾がなければ、自分は幾度となく死んでいた。

 トリスは倒れ込んだまま、力の入らないひざを抱えて震えていた。


 死が纏わり付く恐怖で、視線を地面から動かせない。今ガルラを見てしまえば、死の絶望に取り込まれた自分は、もうまともではいられなくなる。


 金属が弾ける音、爆発音、ガルラの咆哮。見なくても聞こえてくる戦闘音に、身体だけでなく魂までもが縮こまる。


 そして、アステルの悲鳴。


 聞こえてくるたびに、身をえぐられるような心の痛みを感じる。

 もうこれ以上、なにも聞きたくない。トリスは耳を塞ぐ。


「そうやって怯え震え、耳を塞げば、現実から逃げられるのか?」


 塞いだはずの耳に、明瞭めいりょうな声が届いた。

 うずくまり震えるトリスの耳元に、シェリアーが現れた。


「怖いんだ……。もう、嫌なんだよっ!」


 シェリアーを見ようとしないトリス。


「なんで俺が魔族の争いごとに巻き込まれなきゃいけないんだっ!」

「そうだな。お前には関係のない争いだ」


 静かに答えるシェリアー。


「お前とアステルが出会ったとき。奴隷商とお前との事もまた、アステルにはまったく関係なかった。だが、それを助けてもらったのだろう?」


 あれは、アステルの気まぐれだ!

 トリスは叫びたかったが、なぜか声が出ない。


「助けてもらった恩を返す。さっきまでの意気込みはどうした?」


 意気込みだけではどうしようもない事だって、世の中にはあるんだよ!


「お前はまったく役に立っていないな」


 淡々たんたんと、トリスの返答を待つ事なくシェリアーは話を続ける。


「役に立たない奴を護るために、アステルは何度も何度も盾を創っていた。巻き込んだお前を、必死に護っていたように私には見えたな?」

「巻き込ませたくないなら、最初から、そもそも俺は屋敷で待機していれば良かったんだ」


 トリスが絞り出した言葉は、嗚咽おえつに震えていた。


 恐怖、くやしさ、にくしみ。

 そして、命の恩人に対して負の感情を出してしまった、自分の卑怯ひきょうさに。


「アステルの考えは、私にもわからない。だが、それでもお前を全力で護ろうとしていることだけはわかる」


 言ってシェリアーは、尻尾でトリスの盾を叩く。

 盾は、真っ二つに割れた。

 割れた盾の代わりに、瞬時に新たな盾がトリスの左腕に出現した。


「盾は自動再製ではないぞ。壊れるごとに、アステルが新たに創り出しているのだ。ガルラと戦い、今や瀕死ひんしになりながらもお前を護ろうとしている」


 瀕死に、という言葉に、トリスは青ざめる。

 恐る恐る、視線を地面から上げる。すると見えてきた風景。


 アステルは倒れ込み、ガルラは勝ち誇ったように敗北者を見下ろしていた。

 アステルは顔をこちらに向けていた。唇が微かに動く。


「にげろ」


 そう読み取れた。アステルとトリスの距離はかなりあり、唇の動きどころか顔の表情さえまもとに確認できない。それでも、トリスにはなぜかわかった。


 ガルラが吠えると、手に巨大な漆黒の槍が出現した。


「ああぁぁっっっ! シェリアー様、助けてくださいよ!!」


 なんで傍観ぼうかんしているんだ!

 あんたたちは何百年も一緒に暮らしていた友達なんだろう!

 目の前で殺されそうになっている友を見殺しにするのか!!

 発狂するトリス。


「お願いします。アステル様を助けてください!」


 しかし、シェリアーはじっとトリスを見つめたまま動かない。


「これは、お前とアステルが受けた勝負だ。私はどんなことがあっても助けない。魔族とは、そういうものだ」


 お前等が死んだときは、敵討かたきうちくらいはしてやる。シェリアーの冷徹な対応に、トリスは絶望する。


「なぜだよ! 人族とか魔族とか関係ない! 友達を、大切な人を助けようと思わないなんて、絶対に間違ってる!!」


 泣きすがるトリスに、シェリアーは牙をむいて怒りを表す。


「魔族に人族ごときの感情を当てはめるな。アステルを救いたいのであれば、自分が動け!」


 トリスとシェリアーのやりとりに構うことなく。ガルラは竜術の槍をアステルに振り下ろそうと、構える。


「甘えるな、トリス。ここは魔族の世界だ。すべき事があるのなら、他人を頼るな。己で道を切り開け!」


 シェリアーは叫んだ。


「アステルを想うのであれば、怯えて震えてなんぞおらずに、果敢かかんに戦え!」

「あああぁぁっ! くそがぁぁっっ!!」


 吠えるトリス。


 ガルラが怖い。死の恐怖はぬぐい去れない。魔族同士の争いなんて、自分には関係ない!


 だが……


 絶望のとき、瀕死だった自分を助けてくれた、護ってくれたアステルを助けたい!


 叫び、起き上がるトリス。そして、全力で駆け出す。

 側に落ちていた武器を拾う。


 魂霊こんれいだった。


 最初に弾き飛んだ魂霊の座が、たまたまそばに落ちていた。

 トリスはしっかりと両手で魂霊の座を握りしめ、ガルラ目がけて無我夢中で走る。





 今にもアステルに止めを刺そうとしていたガルラは、トリスの突進に舌打ちした。持っていた漆黒の槍を、アステルにではなくトリスに投げつける。


 恐ろしく速い大槍の直撃を、トリスはまともに受ける。

 起きる大爆発。

 これまでで一番の爆発に、魔都の被害はさらに広がる。


 この威力でも盾は身代りになるのか。僅かな好奇心で、ガルラは爆心地を凝視していた。


 案の定、トリスは爆発の中から姿を現す。

 漆黒の大剣をしっかりと前に構え、ガルラ目がけて一直線に走ってくる。だが、トリスの左腕には、すでに盾はない。

 ほぼ命が尽きかけたアステルには、もう盾を創り出す魔力は残っていない。


 ガルラは再度、勝利を確信する。

 アステルはすでに死にかけており、足もとに倒れ伏している。最大の懸案だったシェリアーの介入は、どうやらないようだ。

 トリスの手にする漆黒の大剣、魂霊の座。これはアステルが創り出した偽物だ。ならば、避ける必要もない。

 竜殺しの武器よりも脅威にならない。

 自慢の鱗で弾き返せば良い。

 ガルラは、竜の口を残忍な笑みの形に変えて笑った。





 トリスは知っていた。


 アステルでさえ、魂霊の座は創り出せない。だから、手にしたこの魂霊の座は、本来は魔王が所持する至高の魔剣その物。

 魂霊の座がどのような魔剣なのかは聞いていない。だが、魔王が持つべき魔剣だ。アステルが創る竜殺しの魔剣よりも威力はあるはずだ。


 いや、属性や付与といったものは、なにも関係ない。

 トリスは、アステルを助けたい、その一心でガルラに魂霊の座を突き立てた。


 人の倍あるたけ。全身が竜の鱗で覆われた、ガルラの強靱きょうじんな肉体。

 魂霊の座は、ガルラの腹部を貫く。


「ぐっ!? がはっ。……ば、馬鹿な!」


 ガルラは驚愕きょうがくに目を見開く。


「畜生がっ、くたばりやがれええぇぇっ!!」


 トリスは強く念じる。


 意志の強さは気の強さ。気力が強ければ、神剣だろうと魔剣だろうと、威力は上がる。

 トリスは、ありったけの想いを叩き込む。


 くたばれ!

 滅びろ!

 倒れろ!

 邪魔だ!

 死んでしまえ!


 憎しみ、恨み、怒り、全ての感情を、魂霊の座を通してガルラにぶつける。


「アステル様は、俺が助けるんだっ!!」


 何よりも強い気持ちを解き放つ。


 魂霊の座を握りしめていた両手に、不意に重さが伝わってきた。

 見上げると、ガルラはすでに息絶えていた。


「うわっ!」


 思わぬ光景にトリスは驚き、ふらつく足で後退あとじさる。

 腹部に魂霊の座が刺さったまま、ガルラは前のめりに倒れ込んだ。


 本当に、今の一撃だけで死んだのか。まだ生きていたら、と思い、魂霊の座を引き抜こうと魔剣のつかに手をかけようとして。


 トリスは、自分の腕の異変に気づく。

 両腕が、指先から黒く炭化し始めていた。そして、あっという間にひじまでが炭になる。

 己の身に起きた恐ろしい事態にトリスは理解が追いつかず、呆然ぼうぜんとしてしまう。


「にゃっ」


 シェリアーが駆け寄り、短く鳴く。すると、炭化したトリスの肘から先が爆散した。


「な、なにをするんですか!?」


 なにも考えられなかった状態から、混乱に変わるトリス。

 なぜ、両腕が炭化したのか。なぜ、シェリアーにその腕を吹き飛ばされたのか。


「魂霊の座の呪いだ。相応しくない者が持てば、必ず呪われる!」


 シェリアーが説明している間も、トリスの腕の炭化は止まらない。


「うああぁぁっっ!」


 腕が炭化していく恐怖に、トリスは恐慌状態に陥り、暴れだす。


「炭化した部分をなくしても駄目か」


 舌打ちするシェリアー。


 シェリアーがもう一度、炭化した部分を吹き飛ばそうとしたとき。

 シェリアー、アステル、そしてトリスを、無数の鎖が縛り上げた。

 鎖に縛られ、地に伏した瞬間。トリスの腕の炭化が止まる。すでに、肩近くまで腕は炭化していた。


「やれやれ、ですわね。大暴れをして魔都を半壊させてしまうとは。主様あるじさまは大変お怒りでございますわ」


 いつの間にかガルラの死体の上には、鮮やかな赤い衣装の少女、エリザが座っていた。

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