魔都の狂乱

 屋敷を出発したのは、エリザの訪問から三日後だった。

 出発までの期間、トリスの修行は続いた。だが結局、神剣から放たれる光の刃の威力は一向に上がらなかった。


「威力がなくても、目眩めくらましくらいにはなるだろう」


 無いよりは有った方がまし、とはアステルの言だ。





 そして、六頭だての豪華な馬車に乗り、二十日間。

 魔都から戻ってきたときと同じ日数を費やして、アステル一行はようやく目的の地へと入る。


 しかし、今回はアステルのわがままや気まぐれで時間がかかったわけではない。トリスの稽古に毎日の午後を使ったからだった。

 早朝から馬車を走らせ、昼には昼食もかねて停車する。そこから日が暮れるまでは、トリスの武芸の鍛錬。

 短期間の付け焼き刃でなにができるのか。トリスは元々から剣の技量を持ってはいたが、それでも魔族相手であれば、所詮は人族の腕前。

 魔王とその腹心を倒したという巫女王や聖女は特別。トリスは、自身を特殊な部類の人だとは思ってい。

 きっと今でも、低級魔族の小鬼と殺し合え、と言われれば、間違いなく自分の方が殺されるのだろう。それくらいはトリスにもわかっていたし、それが人族と魔族との種族としての能力の違いだった。


 魔都に到着する直前から一段と寒さが増し始めた。周辺は雪が薄く積もった風景へと変わり、炎の魔晶石で暖をとっていない馬車の外には出たくないほどだ。

 大きな街道を行き交う魔族の姿も、身を縮め、寒さに耐えながら歩みを早める物たちばかり。

 通り過ぎる豪華な馬車に視線を巡らせる者は、ほとんどいない。


「久方ぶりに魔都へと来たが、雪が降り積もるとは珍しい」


 シェリアーが呟く。

 宿泊は、魔都ルベリアになる。そこからアステルは朱山宮と呼ばれる宮殿へと赴き、魂霊の座を返上する予定だ。

 シェリアーは馬車の窓から顔を出し、白く染まった魔都の風景を眺めた。


 窓から痛いほどの冷気が入り込み、トリスが震える。

 アステルは、シェリアーが窓を開けた瞬間に、豪奢な服から厚手の防寒着に自身の能力で着替えていた。


「もしかして、宿泊場所でも稽古をするんですか?」


 稽古は非常に厳しく、トリスは滅入っていた。

 今は随分とましになったが、最初は全身が稽古に悲鳴をあげて、翌日などはまともに動くことも辛かったくらいだ。


「宿屋で稽古なんぞするものか。暴れていたら、オルボの爺様に怒られてしまう」

「ああ、あれは怒らせると面倒だ」


 アステルとシェリアーの会話から、トリスは宿屋が前回と同じ宿屋なのだと知る。

 オルバの宿屋はたしかに豪華ではあったが、それほど大きくはない。アステルの屋敷をたりにした今、比べると公爵が宿泊するのには少し品格が足りないようにトリスには思えるた。


「オルボ爺には昔から世話になっているからな」

「特にアステルは逆らえない」


 くつくつとシェリアーは笑う。

 何があったのかトリスが聞くが、二人は答えてくれなかった。


 馬車は魔都に入ると、大街道から延びる大通りをゆっくりと進む。

 例年にない冬の寒さのせいか、大通りを行き交う魔族はまばらだ。道を塞ぐような立ち往生する荷馬車などもなく、このまま順調に走れば、もうしばらくで宿屋にたどり着く。


 魔族でも、冬の寒さはこたえるんだな。と窓から見える魔都の風景を見つめるトリスは、ようやく終わる稽古と移動にほっと胸を撫で下ろし、気を緩めて油断していた。いや、そもそも意識していなかった。

 トリスは、気づくべきだった。アステルは魂霊の座を肌身離さず持ち、シェリアーは外ばかり見ていた。何かを警戒するように。


 突然。


 シェリアーが鋭く鳴いた!


 次の瞬間、馬車は激しい炎に包まれていた。炎は瞬く間に馬車を馬ごと飲み込む。六頭の馬、馭者ぎょしゃ全てを真っ赤な舌で丸呑みにして、炎は赤い玉へと変化する。


 そして、大爆発。


 周囲の建物を巻き込み、火球は派手に破裂する。更に間髪入れず、連続した爆発が続く。爆音がとどろき、爆風が周囲の残った建物を吹き飛ばす。


 爆発のあとは、濃い土煙だけが残った。


 突然の惨劇に巻き込まれながらも奇跡的に生き延びた魔族たちが、悲鳴をあげて逃げ惑う。

 土煙は強風にあおられて、徐々に薄くなる。


「馬が可哀想だ」

「嘘をつけ。心にも思っていないだろう」


 爆心地では、アステルとシェリアー、そしてトリスが無事な様子で佇んでいた。

 トリスは放心状態で、腰を抜かしていたが。


「やり過ぎっすよ、ガルラ様」

「ほら、奴らは無傷ですよ。無駄撃ちです」

「馬鹿野郎、あれは挨拶だ」


 アステルたちと対峙するように、一組の集団が瓦解がかいした街中に現れた。


 女の身体。しかし肩から先は鳥の翼になっていて、くちばしのある魔族がひとり。

 上半身は男、下半身は蜘蛛の魔族がひとり。

 背中から蝙蝠のような翼が生え、尻尾が二本。腕が四本の魔族がひとり。

 外見は優男風やさおことふうの魔族が二人。ひとりは身の丈の倍以上ある大剣を片手で持ち、もうひとりは両手に鋼鉄の長槍を持つ。

 ひとつの身体から、人の顔と山羊の顔が生えた魔族がひとり。

 不気味な容姿の六人の魔族は、全員が同じ軍服を着ていた。


 そして。

 六人の魔族の背後には、人の倍はありそうな身長の男が仁王立ちしていた。


 竜の頭。胸の前で組まれた腕や、太い首筋には隙間なく鱗がある。巨躯きょくのさらに倍はありそうな翼と尻尾が生えていて、やはり鱗に覆われていた。

 六魔族と同じような軍服を着ているが、より緻密に模様や色が入っている。


 土煙が晴れていき、アステルたちは襲撃者を視認する。


「やれやれ。魔都を守る役職の者が魔都で大暴れとは、阿呆あほうだな」


 襲撃者が着ている軍服。それは、魔都ルベリアの守護に就く軍を表すものだった。

 シェリアーが呆れて大仰にため息を吐く。


「落ち延びた竜人族りゅうじんぞくが魔王にかくまわわれ、本来であれば就けぬ地位を貰っておきながら、おんあだで返すとはな。竜人族とは所詮はその程度の種族か、ガルラよ」


 シェリアーの言葉に、ガルラと呼ばれた男、竜頭の巨人は鼻で笑う。


「恩あればこそ。われが魔王となりて、魔族の覇権を我が君に捧げよう」

「お前が魔王になることと、わたしたちが襲撃されることなんて関係あるか!」


 魔王になりたければ勝手になってしまえ、とアステルが悪態をつく。


「魔王とは、御方おかたに認められた者のみがなれる地位。貴様のような能力だけの始祖族には相応しくなかろうよ?」


 野太い声で言うガルラ。なぜ彼らが、アステルに魔王任命の話があったことを知っているのだ、とトリスはいぶかしむ。だが、元々からして秘匿された交渉などではないのだから、魔都に住む者なら噂を耳にしていてもおかしくはないかもしれない。


「つまり、奴隷商のときと同じか」


 アステルは面倒だ、とため息を吐く。


 魔王として認められた者を倒すことにより、力を示す。実力のある者を倒すことにより、自身がそれ以上の力を持っていることを他者に見せつける。

 力こそが全ての魔族の社会でのし上がるための、最も一般的な手法だ。


「これが欲しいのならくれてやる。持っていけ」


 アステルは、持っていた魂霊の座をガルラに突き出す。

 手渡しが出来る距離ではない。自分は魔王位には興味がない、ということを示した行動だ。

 しかし、ガルラは鼻で笑うと、アステルを見て残忍な笑みを浮かべた。


「貴様はわかっていない。殺しあいの末に奪ってこそ、意味がある」

「お前と殺しあいなんて、まっぴらごめんだ」


 アステルは肩をすくめる。

 巻き込まれる方こそが、まっぴらごめんだ。と心の中で愚痴るのはトリスだった。


「公爵位のくせに、決闘が怖いのか?」

「魔族とは思えない臆病者だ!」


 取り巻き、おそらくはそれなりの地位にあるだろう六魔族たちから、罵声ばせいが飛ぶ。


「能力だけのか弱いわたしに対し、七人がかりで襲撃してくるお前等の方が臆病者で卑怯者だろう。数任せでわたしを倒しても、評価されないぞ」

「ふふん、安心しろ。お前の相手は我ひとりだ。部下の六人は猫が邪魔をせぬように、相手をしてもらう」


 どうやら、トリスは相手にされていないらしい。

 無理もない。これは魔王の座を賭けた、魔族同士の頂上対決だ。人族の出る幕など、初めから存在しない。


「猫の相手なんて、誰かひとりでも余裕っすよ」


 部下の六魔族は、猫の姿をしたシェリアーを見下して笑う。


「今は知らんが、過去にはそれなりに名を轟かした魔族だ。お前等の六人で相手しろ」


 しかし、シェリアーの過去を知っているのか、ガルラは油断するなと部下に指示を出す。

 六魔族はそれでもシェリアーを猫風情と侮蔑ぶべつしていたが、ガルラの意思に背くつもりはないらしい。


「やれやれ。物見遊山ものみゆさんで来たつもりだったが、わらべの子守をしないといけないとは」


 シェリアーは退屈しのぎにもならない、と大あくびをする。


「アステルよ。わざと負けるようなことはないだろうな?」


 見上げるシェリアーに、アステルは苦笑する。


「魔王には興味がないが、死ぬのはごめんだ」

「そうか」


 シェリアーは頷くと、六魔族を見た。


「さあて、ここで暴れるとアステルの迷惑になるな」


 シェリアーが鳴くと、身体と同じくらいの黒い球体が眼前に出現した。


「私が戻ってくるまでには終わらせておけよ」


 言って黒い球体に飛び込むと、シェリアーの姿は消えてしまった。シェリアーを飲み込むと、黒い球体も消えた。


「おいおい、大口を叩いておいて逃げ出したんじゃないだろうね!?」

「気配は捕らえている。逃げられんぞ!」


 六魔族は嘲笑ちょうしょうしながら、一瞬でその場から消えた。


 トリスには認識できないほどの速さで、魔都の先へと移動する六魔族。

 驚愕に口を大きく開けて、トリスは魔族のやりとりを見ていた。

 残像が残らないほどの速さでこの場を去った六魔族にも驚かされたが、なによりもシェリアーの魔法に驚嘆きょうたんする。


 あれは間違いなく、空間転移魔法だ。

 魔族や神族のなかでも、限られた者だけが使える高等な術。

 おとぎ話などでしか聞いたことのないような魔法を目の当たりにした。トリスには現実味のない、遠い世界の出来事のように思える。


「邪魔者はいなくなった。潔く勝負を受けてもらおうか!」


 シェリアーと部下が去ったことを確認したガルラは、アステルだけを見ていた。

 そして、やはりトリスは相手にされていない。


 そもそも、トリスが居ても居なくても、ガルラの意識には入らない。

 ガルラにとっては、人族のトリスはその辺の石ころと同じ、わざわざ意識しなければいけないようなものではないのだ。


 このまま雲隠れしても、アステルもガルラも自分には気づかないのではないか。そう思うトリスの首根っこを捕まえたのは、アステルだった。


「条件付きで受けよう」


 アステルの意地悪な笑みに、ガルラは警戒心を見せる。トリスは顔を引きつらせた。


「条件とは?」

「二対一で」

「はあっ? 俺も含まれてる!?」


 アステルは、尻餅をついたままのトリスを掴み上げた。

 思わぬ条件に、トリスだけでなくガルラまでもが目を点にする。


「よもや、その人族がもうひとり、とは本気で言うまいな?」


 ガルラは、呆れから怒りへと表情を変える。


「わたしとトリス、二人相手が怖いのなら逃げ帰れ」


 アステルの挑発に、ガルラは鼻息を荒くする。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよっ。なんで俺が戦わないといけないんですか!?」


 焦るトリス。

 魔都の一画を簡単に廃墟にするような者と、人族の自分がまともに戦えるわけがない。


「舐められたものだ。人族ごとき、ひとりと言わず何百でも連れてくるがいい」


 ガルラは鼻で笑い、アステルのくだらない戯言ざれごとにこれ以上は付き合っていられない、と臨戦態勢に移る。

 ガルラは、武器を所持していない。その代わり、鱗に覆われた竜の手の爪が鋭く伸びた。


「そういうわけだ。死にたくなければ、勇ましく戦うことだな」


 殺気をたぎらせるガルラとは真逆に、アステルは愉快そうに笑いながら、トリスを放す。


 逃げ出したい!

 トリスの頭のなかは、どうすればこの状況から逃げ出せるのかという思案で埋まっていた。

 本能が最大値で危険を感じ取っている。きっと逃げ出しても、ガルラは初めからトリスを意識していないのだから、見逃してくれるだろう。


 しかし、アステルは……


 見た目からして威圧感のあるガルラは、竜人族だという。

 小さい頃、村の老人から聞かせてもらった、竜峰りゅうほうと呼ばれる山脈地帯の話を思い出す。竜人族とは、竜族に近しい種族。遙か昔に竜族の血を分け与えられた、竜族の親類だとも云われている。人族どころか、魔族をも圧倒する戦闘力を持つという。

 そしてそれに加え、竜人族でありながら魔族が支配する魔都の守護者に就いているという事実が、ガルラの実力を如実にょじつに表している。


 アステルは、勝てるのか。

 勝算はあるのか。

 あるとして、自分は役に立つのだろうか。このまま開戦しても、一撃で粉微塵に吹き飛ばされて死ぬようにしか思えない。

 シェリアーが戻るまで、時間稼ぎをすれば良いのだろうか。


「どうせわたしが死ねば、お前も一蓮托生いちれんたくしょうだ。やれるだけやれ」


 言ってアステルが指を鳴らすと、トリスは立派な鎧に包まれた。

 神剣に盾。白い全身鎧に包まれたトリスは、外見だけなら聖騎士にでも見えるかもしれない。

 しかし、ガルラは鼻で笑う。


「見てくれだけなら、神族のそれだな」


 トリスは、腹をくくる。

 たしかに、アステルが負ければ自分も終わりだ。もしかするとガルラは自分を見逃すかもしれない。しかし、人族が生きていくには厳しい魔族の世界。この場を生き延びたところで、庇護してくれる魔族がいなくなれば、待っている未来は同じだ。

 この場で死ぬか、奴隷として扱き使われた後に死ぬか。

 みじめな未来しかないのなら、アステルに全てを賭けた方が賢明だ。


 トリスは身構える。


 遠方で、爆発音がした。

 同時に、アステルとトリス、そしてガルラが動いた!

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