未来への憧れは誰のために

アリス

――――――



 母から自分の名前を呼ばれたことはない。そもそももらっていないのだから当たり前だ。

 だけど日の入らない薄暗い小さな小屋で小さな幸せを噛みしめながら、母と過ごすあの日々はかけがえのないものだったと今では思う。


 そんな生活は自分が五歳になった日突如終わりを告げ、母と母の当主との約束だという理由で母と引き離され、王都に連れていかれると、ロータス家の影として生きることを命じられたのだった。

 自分がそれに従わなければ母の命が危ないとも言われ、自分は目の前のことに対して務めていくしかなかった。


 『名無し』はロータス家に連なる家から集められた私生児の集まりだ。


 純血主義故に捨てられてしまった混血の子供やどこかから拾われてきた者、中には奴隷商から買われた者もいる。全員胸元にロータス家の従属魔術が施されているため、それがお互い仲間である目印になった。


 母はベノム家の先々代当主の娘だったが、毒の魔法を継承できなかったためにロータス家に売られたのだという。

 混血の魔族だったが容姿は美しかったようで、当時のロータス家当主に気に入られ、その果てに自分を産んでしまったという。


 名無しに与えられる役目はそれぞれで、中には名前を与えられ、はたから見れば下働きの従者と変わらないような者もいたが、全員ロータス家の従属魔術によって飼い殺される。

 仲間とか同士とかそういう認識はあっても、お互いに絆とか友情とかそういう感情を持つようなことはほとんどなく、仲間の誰かが死んでも嘆き悲しむとかそういうことはなかった。


『生きて、私の、私の坊や……』


 だから八歳のころ、裏切者だからという命令で己の手で殺した母の遺体を前にして、自分がいつの間にか母からもらった愛情を忘れてしまっていたことに気付いた。



 自分が母を殺したあの日から、なぜ母がロータス家を裏切ったのか分からず疑問を抱いたまま鬱々とした日々を繰り返していた。

 後から思うと当時の自分は、母親という希望がなくなったために、早く死にたかったのかもしれない。


 その頃から主であるロータス家の人間と直接関わる頻度が多くなった。

 当主の気まぐれで対面してチェスの相手をしたり、楽器を用いて弾き語りを頼まれたり、意味のない他愛ない会話をしたり、任務の一環だと言って変装させた状態で貴族の社交場に連れ出すこともあった。


其方そなたは声が美しい。男児であることが惜しいくらいだ」


 その言葉をかけられても特段心の底から嬉しいとは思わなかったが、主との時間は死に急ぐ自分から離れられる時間だった。


 任務で自分は多くの人間を演じた。

 ある時は騎士見習い、ある時は従者見習いの娘、してまたある時は名もなき吟遊詩人などと、子供ゆえに演じられる年齢に限りはあったが、主のために己の声や髪の色を変えて、いろんな役を演じた。


 そんな当主から出された命令は当主の家族の動向を調べることだった。

 何人もいる妻や子供たちだけでなく、引退した前当主や分家に下った者達。そして領地の管理を任せている身内も含めたかなり範囲の広いものだった。


 ちなみにこの命令を下した当主自身も皇帝が禁じていたはずの奴隷商を領地内で許可たり、教会が管理しているはずの魔石を不正で入手をしたりするなど、やっていることが真っ黒だった。


 自分の生まれはその調査の過程で知った。

 母がベノム家の前当主の姉で、父はロータス家の前当主だった。


 父親にあたる男は自分の娘以上に年の離れた女に手を出しては孕ませ、悪阻がひどくなれば捨てて、生まれた子供が一定年齢になると引き渡すように命じたらしい。


 だから猶更許せなかった。

 従属魔術は主を絶対に裏切ることができない魔術だ。主の命令に反する行動したり主を殺そうとすれば一瞬で死んでしまうような強力なものである。

 だから母は自分と引き離され、『名無し』としてお互い親子だと名乗ることが出来ない生活を送ることになったのだ。


 母もはじめは自分を本気で殺そうとしていたから、彼女がロータスを裏切ったのは事実だと思ったのだ。

 しかしあの夜、裏切者だと言われていた母にかけられていた従属魔術は発動されている形跡がなかったし、遺体を確認しても魔術が解除された形跡もなかった。

 つまり自分と母親を相打ちさせたのだという考えに行きつくのは容易だった。


 一族を皆殺ししたいくらいにロータス家が憎い。


 しかし自分が殺そうとすれば母の最期の願いを裏切ることになる。

 そもそも意図して行えば、主が確認するしないに関わらず一人殺す前に魔術が発動して死んでしまうので実行できないのだ。



 そんなジレンマを抱えたまま日々が過ぎていった十一歳の夜、自分はロータス家当主から呼び出された。

 突然呼ばれるのは初めてではなかったが、月明りに照らされた当主の顔は一生忘れることはなかったと思う。


 薄いオレンジ色の髪と耳。気にしたことがなかったが、両親は共に兎族だった。

 ベノム家とロータス家の繋がりを知れば知るほど、母を捨てたベノム家も使い捨てたロータス家も許せなかった。


「仮面を外せ」

「…………醜い顔をしています、見るのはやめた方がいいかと」


 『名無し』は周囲から人物像を知られないために仮面を付ける。

 しかし自分が誰かを演じる際は必ず魔術道具で認識を阻害したり特徴を変えていたが、今はその魔術道具も身に着けていない。


「命令だ。外せ」


 しかし当主からの命令には逆らえなかった。悔しかった。言われた通り顔を覆っていた仮面を外した。

 無言で見つめる彼の視線は、自分を通して自分ではない別の誰かを見ているような気がした。しかしそれが誰なのか知りたくない。


「母親によく似ている……」

「……どなたのことでしょうか」

「隠さなくとも、其方の母と父上との取り決めは知っているし、其方の母が裏切りで死んだ名無しであることも知っている」


 『名無し』は個人を認識させないために、自分の母と親子関係であることは伏せられている。

 影として動くはずの自分が当主に気に入られているこの状況が特殊なだけだ。


「……ですが互いを識別する名を持っていないはずですが」

「女としての役目を与えられていたなら、個人を識別する必要があるだろう。

 本人は知らないだろうが、彼女の幼名はアルストロメリアだった。だから私はアリスと呼んだ。『名無し』とは言うが、戸籍を持たない平民と何ら変わらん」


 確かに『名無し』の中には普通に従者として名前を与えられている者がいる。

 嫌な予感がして背筋に汗が垂れる。正直これ以上目の前にいる男の口から何も聞きたくなかった。


「それよりも、ご用命を」

「慌てるな……父上がお隠れになってから多少落ち着いたからな。其方の顔が見たかったのだ。其方、ロータスが憎いだろう」

「……っ」


 確信している問に顔をしかめると、「顔に出ている」と指摘される。

 憎い。殺したいくらい憎い。しかし実行しようにも死に際の母の顔が脳裏によぎるから動くことができない。


「アレクサンダー。それが其方の名前だ」

「は……?」


 突然言い渡された名前に困惑したが、追って「名実ともに私の息子になれ」と言われるとなお混乱した。


「当主よ。それは私の身に余ります!」

「其方に話したことが意味のあることにするために、私は其方に名を与えたのだ。受け取れ」

「ですが……!」

「其方の母に孕めと命令し種を仕込んだのは私だ。其方の魔力と血液でも私の子だと証明している」


 驚愕で言葉が詰まる。腹違いの兄だと思っていた男が実の父親だった。


「私は其方を自分の子だと認めるだけで、其方の役割を変えるつもりはない。そもそもその魔術は一生解除できないものだし、存在を認めようと所詮妾の子だ。其方の立場が覆ることはない。成人するまでは表立ってロータスを名乗ることはできない」


 なら自分に名前を与えるなんて意味のないことだ。元より当主は名前なくとも自分を個人として認識していたのだから。

 だが父親が自分を認知するのであれば、併せて母親の存在も証明することになる。


「……なら、私に母の名前を名乗らせてください」

「私が付けた名前は変えない。……好きに名乗れ」


 しかし付け加えられたのはアルストロメリアではなく、当主が母に呼んだ愛称だった。


 当主が言った通り、戸籍が与えられても自分の役割は変わらなかった。

 変わったこととすれば当主の話し相手になる時に仮面を外すよう命じられるくらいだった。



 この時点で当主が自分に対して何かしらの情があるのは察していた。しかしこの憎しみを抱えてしまった以上、心の底から家族として愛せなかった。

 それに当主に自分の感情を悟られてしまえば、命令通りに動くしかなかった。


 そんな鬱々とした日々を過ごしていたある日、自分は腹違いの兄である嫡男から直接呼び出された。


「この薬を用意して欲しい。対毒訓練のために使いたい」

「できますが、用意に時間がかかります」

「分かった。だが出来る限り急げよ」


 ニヤリとあざけりの混じった笑顔を見て、本当は必要ないことが分かった。

 薬とは言ったが指定したものは毒の魔力が混じった即死毒だ。少量でも死に至るため対毒訓練のしようがないものである。

 従属魔術が施されている自分が毒をロータス家の人間に献上したらどうなるのかを試したかったのだろうか。それか致死量を把握するために自分に服用させようとしているのか。


 彼はそういった残虐な嫌がらせを自らの手でするような男ではないと認識していたので、もしかしたら彼は自分が当主の隠し子だと認識しているのかもしれない。


 しかしロータス家に入った自分がどれくらいの行動が許されるのか興味はあった。

 そこで自分は騎士の師匠に毒を用意できないか依頼すればアコナイトを紹介された。


 自分の事情を何も聞かされていないのか、アコナイトは自分が親戚だと知るとかなり馴れ馴れしく接してきた。兄弟は全員戦死したらしく寂しかったのだという。

 半分冗談のつもりで姉弟子ねえさんと呼べば一層喜ばれてしまった。


 一介の騎士がそれでいいのだろうかと思いつつ、彼女は自分に魔術を使わない変装の技を指南し、いくつか女装用にと女物の小物や衣装をお下がりしてくれたので、ある意味僥倖ではあった。


 アコナイトには嫡男から依頼された毒薬と事前に飲む解毒薬の調合を依頼し、依頼通り本人に献上した。


 結果としては直接依頼されたからか、解毒薬も共に渡していたからか、従属魔術が実行されることは無かった。

 嫡男は面白くなさそうな顔をしていたがそのまま受け取ったのだった。


 その後、事後報告ではあるが入手経路も含めて当主に伝えた。


「即死毒か」

「解毒薬も一緒に渡してます。簡単に死ぬことはないでしょう。同様のモノをお持ちしましょうか?」

「……いや、いい」


 己の命が危ういと思わなかったのか、特に気にするような素振りもなかったのが気になったが、自分はその場で言及をしなかった。



 13歳で成人した自分は、騎士の位をもらうついでに一族内でお披露目となり、素顔が晒されることになった。


「彼はアレクサンダーだ。母の死後、母の実家であるベノム家に預けられていたがこの度私が正式に引き取ることになった」


 当たり障りのない設定で自分自身のことが公にされた。

 事実、当時当主になったばかりのアコナイトの父親の下で師事を受けていたし、アコナイトとも面識はあったから半分は本当であるのだが。


 この時自分は男として立ち回ることに違和感を感じるくらい女装慣れしていたことに気付く。

 そして従者の中には自分が『名無し』であることに気付いているようで、明らかな羨望と妬みの視線を向けられた。


 もちろん従者だけでなく一族の人間からも似たような視線を送られた。

 ぽっと出の妾の息子が気に食わないようで、彼らから冷遇される未来の見えない日々を送りながら、自分は並行して『名無し』の任務を行っていた。



 そしてその二年後、どういう経緯かその即死毒の扱いを誤ったために嫡男は死んでしまった。


 使用方法も注意事項も紙に記しておいたのに馬鹿だなと思ったが、それから家の中は疑心暗鬼に包まれていった。

 これは毒の扱いを間違えただけの事故だった。なのにあの嫡男があんな危ない毒を所持していた理由や経緯を知らない者達は、嫡男は誰かを毒殺するつもりだったのではないかと憶測を立てるものが多かった。


「そこまで心配ならば私が裏で調査することも可能ですよ?」


 そう助言すれば、しばらく自分の周囲は忙しなくなった。

 自分が依頼されて渡しましたなんて馬鹿正直に伝えるつもりはなかったので、彼の毒の使用履歴を調査し、解毒薬の存在があったことも伝えた。

 するとやはり他の者が殺したのではないかと勝手に立てた憶測を信じるようになり、他の情報も欲しがった。


 これ以上手間をかけるつもりはなかったので、これまで当主に調査依頼を受けて知っていた情報を欲しがった者にそれぞればら撒けば、彼らは自分がしてきた行いを棚に置いて勝手に恐怖に陥った。


 誰かが死ねば、もう一人が死ぬ。そんなドミノ倒しの如く暗殺や復讐でロータスを名乗る人間やその関係者がごっそりと減ってしまった。


 そして最終的に当主が目の前の状況に対して直々に罰を下せば、残ったのはベノム家やモンクスフード家といったような末端の分家ばかりになり、ロータス家直系の人間は当主と自分だけになってしまった。



 粛清が終わって落ち着いた後、当主と面会することになった。周囲にはかろうじて生き残った従者が囲うように自分らの会話をうかがっていた。


 こうしてソファーに対面して座って同じ目線にいるのも久しぶりだが、従者に囲まれた状態で二人きりで会話するのは初めてだった。

 従者の中にいた『名無し』は全員お家騒動に巻き込まれて死んでしまったが、おそらく従者の中でも自分が『名無し』であることは噂されているのだろう。


「これで満足か。アレクサンダー」


 疲れ切った顔をした当主がこちらを見据える。

 自分の家だけではなく、王城の中も混沌と化していたため、宰相である当主はだいぶ疲労を抱えていた。

 もともと国内の内乱に乗じて騎士たちが調査をして各家を粛清していたがために、混沌と化していた王城は、ロータス家という大きな派閥に連なる家の主要な人間が一気に消えたため、さらに人手不足が増したという。

 今では皇族の身の回りを世話するはずのメイドや執事ですら文官のような仕事をしているらしい。


「……私は、から言われたことを成し遂げただけです」

「にしては釈然としない顔だ」

「……そうですね」


 もちろん流した情報を容易にばら撒くことで、他の誰かが殺してくれるだろうという打算もあった。

 しかしここまで追い込んで復讐は成立したのに自分自身の中にある心の靄は晴れることは無かった。


「これは私の監督不届きにより起こったことで、私の責任だ。其方のせいではない」

「……それを今私に話す意味が分かりません」


 自分の打算や私情を除けば、自分は言われたことを成し遂げただけだ。自分に謝罪する必要はない。

 奴隷をどう扱おうが主の勝手なのである。それが貴族の共通認識で当たり前のことであった。

 当主自身も「だろうな」とため息をついて身を乗り出す。


「これを話したのは其方への謝罪のためではない。私自身に対する宣言……のようなものか」


 多くの人間をまとめあげる才覚や威厳があるのに、気まぐれに面倒だと言って重要度問わず自分に仕事を投げるこの男の掴みどころは、直接会話するようになってからそれなりに年月が経つが未だに把握しきれずにいる。


 だからこれからこの男から何を命じられるのか予想が立てられなかった。


「其方に次期当主になることを命じる。連なる分家には手紙を送るが、王城に向かうのは一週間後になるだろう」


 周囲の従者も含めてその場の空気がざわつく。


「なぜ私が……」

「これは決定事項だ。他の人間を養子にして引き継いでもいい。だが私の死後家督は必ずお前が継げ。私以外でロータスの血が一番濃いのは其方だけだ」

「……っ」


 何処の分家も本家と関りの薄い末端だからかそれに伴って血も薄くなる。

 母親同士が姉妹であるアコナイトは曾祖父が同じであるため血も濃いが、ベノム家も同様に戦争で多くの人材を失ってしまい、後継者がアコナイトしかいない。


 しかしそれでも自分がロータス家の当主になることに対して明確な忌避がある。

 それに自分は当主になる器ではない。


「末端の分家とはいえ辺境伯であるベノム家なら、母親の血筋として申し分あるまい。……保険のつもりだったが、ここまで仕込んでおいて正解だった」

「仕込んだ……?」


 これまでの記憶をひっくり返して思い出してみる。

 ただの話し相手の一環だと思っていた楽器の弾き語りに、チェスの相手。

 任務の一環で顔を偽って参加してきた社交に、報告や会計調査などの文書作成やその知識。

 名無しになってからすぐの頃に籍を置いた軍で、アコナイトの父親の騎士見習いとして行ってきた訓練や鍛錬。

 そして仮面や変装こそしていたがこの男に連れられて参加してきた社交場。


 これまで自分が行ってきた任務が、目の前の男による貴族としての教育だったことを思い知り頭を抱えた。


「保険として仕込んだにしても……!」


 他の名無しと比べてかなりこき使われていると思っていたことが、教育の一環とは思うわけがない。


「……当主以外にも其方の使い道はあったさ……成人した後、存在を公にして皇女と縁付かせ、当主の補佐をさせるつもりだったが、その皇女も兄に執心ときた。皇子は必要最低限の面会しかしないから何を考えているのか分からん……」

「全て貴方の掌の上ですか……」


 どこまでが彼の予想通りだったのだろう。

 あきれながら見つめる自分を見て、当主はため息交じりに肩をすくめた。


「其方は家のためではなく、国のために考えればいい」

「この時勢でそんなこと……」


 そうして終わった会談の後、自分はアコナイト経由でターゲスと対面すると彼から二択を突き出された。


 ――”家”を裏切るか、”国”を裏切るか。


 その二択を迫られた時、その意味が分からないほど自分は馬鹿ではなかった。

 しかし自分はロータス家の奴隷だ。現状国を裏切るかどうかは当主が判断することである。死にたくなかった自分は家を取る選択をした。


 しかしその次の日には自分の声が出せなくなり、無理をすると呼吸が出来なくなった。


 喉が燃えるように焼け、思うように歌が歌えない。思うように呼吸もできないからろくに鍛錬もできない。

 何度も治癒の魔術を使ったが、焼け石に水だった。

 日常的に魔法と口パクで誤魔化していたものの、自分の本当の声が分からなくなり徐々に己の声が歪になっていく感覚がした。


 立場上敵対していたが、情報共有のために接触をしていたアコナイトは自分の異変に気付くとすぐに問い詰めてくる。

 彼女にしてはあまりにもしつこかったために、自分は名無しなのだと打ち明けると、アコナイトは顔を歪ませ、まだ間に合うから当主に許しを請えと言う。


 しかし数日前から当主の行方が分からない。はじめは王城での仕事に追われているのかと思っていたが、軍も宰相である当主を探していたようだった。

 皇帝も行方が分からないらしく共に逃げていると判断して捜査していたという。


 許しを請えと言われても自分の何が悪かったのか分からない。しかし原因が従属魔術であるならば当主に会わなければ話にならない。


 数日後、当主が皇帝と共に捕まったと知らせを聞いて、自分はアコナイトに面会の願いを出したが聞き届けることは出来ず、事情をすべて知っているアコナイトも苦い表情を浮かべていた。

 厳重な警備が敷かれている地下牢で自分が当主と接触できる隙は何処にもなかった。


 ようやく自分が当主と会えた時には既に彼の処刑が決まっていて、それを大衆の前で言い渡される前に、当主は跪いて己の口から皇帝への忠義を誓っていた時だった。


「父上!」


 なりふり構わず大勢の兵士を押しのけて前に出た自分の叫んだかすれた声が場内に響く。

 息子だと知らない者達は突然現れた自分に視線が集中する。同様に当主も驚いた顔でこちらを見た。

 後から気付いたがあの時初めて自分は当主を父と呼んでいた。


 いつも丁寧にまとめられていた髪はぼさぼさになり、捕らえられた際に抵抗でもしたのか衣服も乱れていた父親の姿を見て言葉が詰まる。

 そしてなぜか満足そうな顔をした当主は唇を動かした。


「アリス。後は、頼んだ」


 声は聞こえなかったが、唇の動きはそうはっきりと読めた。

 瞬間、彼は胸部にナイフを一突きして崩れ落ちるように倒れる。

 急所を狙っていたから明らかに即死だった。しかし一突きして倒れるまでの時間がとてもゆっくりと流れているように感じた。


 倒れた遺体を前に検死をした軍医が死亡を告げると、周囲は喜びの声で沸き上がった。

 ゆっくりだった時間が一気に引き戻され、一気に変化した場の空気にめまいがする。


 彼の遺体が運ばれている様子を皇帝はじっと眺めていた。自分は父親の後ろ暗いことしか見ていなかったが、この皇帝にとって父親は忠臣だったのだろうか。


 この場で沈黙していたのは皇帝と自分だけだった。


 逃亡していた数日。いや、当主が宰相として着任してからの十数年。幾度となく代替わりした若い皇帝達を一人で献身的に支えていたあの男は、皇帝にとって唯一の腹心だったのだろうか。


 その後皇帝が処刑されるを呆然と眺めていた。斬首刑だった。

 魔力核を残して体が一気に塵になったのは辺りも騒然となったが、自分にとってどうでもよかった。


「――あ、あー……」


 ふと思い出したように己の喉に手を当てて声を出してみる。

 喉も痛くないし、呼吸も楽になった。だが自分の声はこんなに低かっただろうか。


「体は大丈夫ですか?」

「……姉弟子ねえさん」


 アコナイトが声をかける。いつの間に側にいたのだろうと思ったが、殉死した宰相の息子だから周りから庇うために側にいてくれたらしい。

 よく見ると後ろにはターゲスの側近であるクライアン中尉もいて、泣いていたのか目元を真っ赤に腫らしていた。

 血縁であるアコナイトは兎も角、敵対してた人間の息子に付き添う必要はないのになと内心苦笑する。


『其方は家のためではなく、国のために考えればいい』


 憶測でしかないが、この従属魔術は魔術陣に血縁を垂らしたものが主として成り立つものだろう。

 主従関係が成立した後、「ロータス家に仕えろ」と命令することで一族に従う奴隷が完成する。

 だからこれまで自分が従っていたのはずっと父上ただ一人だけだった。


 自分は自分の親指を噛み、血を滲ませると服の隙間から胸元の魔術陣に直接こすりつける。

 当主が入れ替わる度に行った行為だが、血液を付けられるたびに激痛を起こした。

 これは自分の血液でも同じようで、突然激痛にこらえるよううずくまると、側にいた二人は動揺しながらも、目の前で父親が死んだショックが後から来たのかと勘違いされた。


『宰相ですか?……そうですね。油断ならない人だと思いますわ。だって、彼も後ろ暗いことをするのも厭わない癖に皇帝おじさまへの忠誠心は本物なんですもの』


 以前皇女に接触した際に宰相としての父の話を聞いたことがあった。

 まさかあの年齢で宰相の裏をまで把握しているとは思わなかったが、彼をそう分析した彼女も相当だと思った記憶がある。


 痛みが落ち着いたあと、姿勢をただすと自分は二人に向き直る。

 これが正しいか分からないし、皇帝陛下を最期まで守ったあの男を真似るようなことをするのも癪に障るが、客観的に見た彼女にとっての最善が自分だと思った。


「……処刑を免れたカトレア=オルキデアは私が受け入れます」



――――――

【くそ長い補足】

 娼婦の役目を与えられた『名無し』はちゃんと避妊の心得を持っています。

 ですがアリスの父親は母親に惚れてしまい、自分と繋がりを持たせるために孕ませるよう命令しました。母親を愛妾にして子供ごと囲うつもりだったのです。

 ですが母親が懐妊したことを知った前当主は、彼女に暇を出し、生まれた子供も名無しにさせると言いだしました。


 父親は子供を簡単に家族として認知できないことに嘆きながらも、彼なりに子供と繋がりを求め、下地を作ろうと考えました。それの一つが従軍後の騎士爵の授与でした。

 本来『名無し』は任務の過程で軍に潜入することはあっても従軍はさせません。アコナイトの父親に密かに手を回して庇護下に置くように頼みました。


 軍ではアリックスと名乗っていたアリスですが、アリックスはアリスとアレクサンダーを混ぜた名前です。

 父親であるロータス家当主は、アリスが男の子だと知った頃から彼をアレクサンダーと名付けるつもりだったから、軍ではアリックスと名乗らせました。アリスから見れば本名よりも先に偽名を知った感じです。


 従軍することが決まりましたが、アリスはアルビノ故に肌が弱く、視力もよくありません。魔族なので魔力による肉体強化もできません。

 しかしアリスはあまりにも顔が母親に似ていたので、従属魔術以外にも日差しから保護する魔術陣も肌に刻ませては、日の当たらない夜に行動させたりするなど、父親は彼を守ることを選びました。

 ちなみに合理性を考えたアリスは従軍後も色んな魔術陣を増やしたため、彼の体は魔術陣の刺青だらけです。


 アリスが自分の母親を殺すことになったのは、アリスの母親に嫉妬していた当主の正妻とアリスの父親を知った前当主が相打ちさせようと考えたからでした。

 母親の従属魔術の主は前当主のままになっていたので、それぞれ裏切者だと唆されて相打ちに仕向けられましたが、アリスと対立したことに気付いた母親は状況を察知し、愛する我が子に殺されることを選びました。


 父親は事件の詳細を知ると、ますますアリスを囲うようになりました。

 他の人間を使わずわざわざ自らの手で彼に教養を与えたり話し相手をさせたのも、アリスを通じて母親の面影を追っていたからです。

 アリスは父親から何かしらの情を持たれているのは気付いているけど、親としての愛情にはいまいち気付いていません。不器用ですね。

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