母のやさしさを求めて
マグノリア
―――
ここ百年、ずっと日課になっていることがある。
「今日も、目が覚めませんか。我が君」
神殿の地下。年中温度が安定している洞窟の奥底には透明な棺が置いてある。
光が届かないこの洞窟には、棺を中心に暖色に発光する魔力石が四方に配置されており、多種多様な植物が魔石の魔力を養分に生い茂っていた。
そしてその透明な棺の中には、私が『我が君』と呼ぶ一人の少女が納棺されている。
白くまろい肌にそれを引き立てる黒い髪。その色はヒオウギの実に近い、大陸の向こうにある東国では『ぬばたま』と比喩される青黒さがある。
その身体はその四方に置いてある魔石の魔力や、私がかき集めた魔力を消費することで永遠に年を取らず生きている。
私は我が君の手に造られた人間だ。
「マグノリア。お主はいつ見ても美しいの」
そう言って当時子供だった私の頬を撫ぜ、柔らかい慈愛の目を浮かべる我が君のその顔は母そのものだった。
私が生を受けた時には既に我が君は三千年以上生きており、大陸を渡り歩いて我が君の弟妹たちの足跡をたどっている最中だった。
我が君は現地の人間と話をしてその土地の歴史を知り、自分の弟妹達がどんなことをしたのか、子孫たちがどのように育っていったのかを知ろうとしていたらしい。
そんな我が君も時折私に己の母のことを話すことがあった。
我が君が路地裏で捨てられた赤子を拾い、孤児院の人間に預けた時のことだった。
「母が、ワシのことを【子】として愛したことはあっても【人】として愛したことはなかった」
「……?」
「母に愛されなかったわけじゃない。だが、ワシとて人の子じゃ。父からこれほどない愛情を注がれた分、神である母と一線を置かれているのは寂しかった」
「弟や妹がいたから忙しなかったのかもしれないがな」と誤魔化すように付け足したが、当時の自分はまだ子供だった。
「なぜわがきみは、人としてあいされなかったと思ったのですか?」
その問いに我が君は困った顔をして、「お主は知らなくていい。ワシがたくさん愛してやるから」と頭を撫でまわした。
我が君はその通り、私に様々なことを教えながらたくさんの愛情を注いでくれた。
我が君が私を造った理由は知らない。
しかし私が物心付いた頃には、既に我が君と私は親子であり、兄弟であり、師弟であり、主従であり、彼女の右腕であり、同じ名前を持つ運命共同体であった。
だからなのか、我が君は私を我が子の様に可愛がってくれるのに私に母と呼ばせてくれなかった。
それから私が十五になった頃、我が君は自身の生まれ故郷の島に戻るとそこには我が君の弟妹達がいて、我が君は彼らと協力して女神を祈る場所をつくり、信徒を募ると多くの教えを説いた。
「なぜ祈る場所が必要なのですか」
「お主が生まれた頃からワシは故郷に戻り、女神のことを島だけでなく世界に広めようと決めていた。ワシ一人じゃどうにもならないことも、人が多くいればできることが多くなるからな。それにワシが話す場所はあって然るべきだろう?」
私が女神の教えを話せるようになったころには、我が君は信徒と共に大陸にも教えを広めるようになった。
時が流れるにつれて我が君の弟や妹たちは次々と死んでいく。
女神が直接産んだ子供達は皆、不老不死と呼べるくらいにはえらく寿命が長かったらしく、二十歳を超えた辺りから老いるスピードがかなりゆっくりになるらしい。
そして世代が移ろい女神の血が徐々に薄れていくにつれてその寿命は半減し、私が生まれた頃には既に女神が我が君を産む以前の寿命と同じくらいになっていた。
しかし我が君はその魔法故か、この世界の魔力が無くならない限り、寿命が尽きることはない。
私は我が君の魔法を借りているだけにすぎず、私にも我が君の弟や妹たちと同様に寿命はある。
いつかどこかの島だけではなく大陸が消え、どこかで新しい大陸が生まれるくらい先の未来で、私は我が君を置いていく日が来るかもしれない。それまで私は我が君の側に居ようと決めた。
私一人で多くの信徒を束ねることが出来るようになったころには、信徒たちから教祖である我が君に仕える立場として『枢機卿』と呼ばれるようになった。
当時私は既に七十歳をとうに超えていて、爺と呼ばれてもおかしくないのに、魔法の影響か二十歳を超えた辺りから老いることが出来なくなっていた。
「千年くらい生きれば、お主もワシとお揃いじゃな」
「ははは、今の私では貴女の足元にも及びませんか……」
お互いの格好によっては、私の方が年上に見えることがあるのに。
「……ワシから見れば、お主もまだ可愛い子じゃよ」
目を細める我が君が、いつしか懐かしそうに私を通じて私以外の誰かを見るようになっていることには気付かないでおいた。
そして私が生まれて千年経った頃、我が君の尽力もありようやく女神の存在が世界で認められ、教会独自に作った女神暦が世界共通の暦になるまでになった。
それから我が君は教会のことを全て私に任せて世界を渡り歩いた。そしてたまにふらりと帰って来ては数日から数ヶ月くらい島を滞在すればまたふらりと旅に出るのを繰り返す。
十年以上も帰ってこないことはざらだったが、土産話を聞くのが私の楽しみでもあった。
時折我が君は私に念話を送ってくれたので寂しさは感じなかったし、その度につながりを感じることが出来た。
そして女神暦が1800年を経とうとしていた頃。我が君は何度目かの長い旅から戻られると、一人の白髪で緑色の瞳を持つ男を連れてきた。
「我が君、彼は一体――?」
「ワシの父だ」
正確には我が君の父親と同じ魂を受け継いだ人間のようで、女神と出会って死ぬまでの時間全ての記憶を継承していたらしい。
我が君の話が嘘だとは思わなかったが、自分自身半分嘘だと思っていたきらいがあったのでそれなりに驚いた。
魔法で彼の魂を見れば確かに強い鎖に縛り付けられていたし、そう他者が干渉できるものではないと分かると、更に現実味を増した。
当時島の中では国への反乱が終結しつつあり、既に彼は英雄として国中に広まっていたらしい。
我が君はそんな一国の英雄である彼を王に立てるように動き、
我が君はその頃から長期間の長旅をしなくなりこの島から出ることは無くなった。
だからと言って何もしなかったわけではないようで、島から出ることは無くとも数ヶ月単位で教会に帰ってこないことはよくあった。
時折帰って来て我が君は私に色々と依頼をして、私はそれに応じる。
教会の管理だけでなく、発掘された時の魔石の管理。そして国の行き先が女神の意志に逸れないか時折監視して欲しいという依頼もそうだ。
我が君が私に頼ってくれる事が私にとって何より喜ばしいことだった。
そんなこんなで時は流れ何百年。
教会の規模が大きくなり、私が王都に拠点を移しても、我が君は俗世の文化の変化についていけないのか、北方の山奥に建てた旧本殿に住み続けた。
「今更マグノリアが二人いるなんて知られたらとんでもないことになるな」と我が君は笑っていたが、教会の長は我が君だと私は今もずっと思っているから、教祖ではなく枢機卿と名乗っているのに気付いていないのだろうか。
「女神がワシを産んでから今年で5779回も太陽の周りを回ったらしい」
「年齢は数えていないのではなかったのですか」
ソファーの上でくつろぐ彼女に「行儀が悪いですよ」と窘めるが、その様子は傍から見れば子供を叱る大人に見えるだろう。
彼女のことを知らない者が自分の前で堂々とくつろいでいる姿を見れば大目玉だろうが、相手は自分の何倍も生きる老人だ。「こうしてワシに説教するのもお主だけだよ」と言うように、お互いの側に居られる人間はお互いしかいなくなっていた。
「父がそう言っていた。父は母にとって時間の概念そのものじゃ。カウンターのように数えられてしまうんだろう。ちなみに母が姿を消してから4650回太陽の周りを回ったそうだ」
「数字にすると途方もなく長いですね」
「お主だって1923歳だろうに。その年月で人の魂が何回生まれ変わると思っておる」
「暦に73を足さないでください。気分はその辺の若者と変わらないと思っているのに」
「事実を言っただけだ」
我が君は当時も時折自分の父に会いに行った。
王との謁見は手続きが必要になるから面倒だと言っていたが、いつの時代でも二人は関係は良好で、時折彼女自身が政治に関わることもあった。
「正直、毎度毎度父から同じ女神の話しを聞くのは飽きる」
「女神とは言え貴女にとって今は亡き母親でしょう」
「いいや今も生きとるよ、それにどこかで母の魂を持つ人間が生きている」
「……」
「ワシとて探してないわけではないんじゃよ。父の時の様に。だがこの島にいるはずなのに見つからないんだ」
『母が、ワシのことを【子】として愛したことはあっても【人】として愛したことはなかった』
長く生きていればそれと同じように、あの時我が君が言ったことが分かるようになると思っていたが、未だにこの言葉の真理が分からずにいた。
「何故我が君は、女神に人として愛されなかったと思ったのでしょう」
「まだ覚えていたのか」と呟く彼女はその場で座り直す。
「母はかつて幼かったワシを『醜い』と言った」
淡々と述べていたが、その時我が君が女神を神として恐れているのではなく、一人の人間として恐れていることを知った。
「父は十三になった頃、私と母を引き離した。父はそんな母を愛していたし、その気持ちは今も変わらない」
「……」
「……ワシは、長らく父に負担をかけさせたのかもしれない」
それから当時のファレノプシスの王が死んだのは間もない頃だった。それ以降ファレノプシス家は【女神の夫】が生まれなくなり、種族同士のバランスの為多くの種族の娘と契るようになった。
既に我が君はそんなファレノプシス家を見限っており、それに合わせて自分も国と直接かかわることを控えていた。
結果としてファレノプシスは魔族を優位に立たせていたため、人族は迫害され、そんな人族のために新たな国が生まれてしまい、魔族と人族の間で対立が深まった。
人族の国はプルメリア帝国と呼ばれ、皇帝は赤毛の人族の女だった。赤毛ということもあってか女帝として君臨していた彼女は女神の化身と呼ばれ、民は人族の希望の光だと称えたという。
プルメリア帝国の建国宣言後、我が君は旧本殿の地下に閉じこもると長い眠りについてしまった。
体温も低く鼓動もとてもゆっくりだったため、医者からは「冬眠した熊のようだ」と言われた。
食事も排泄もせず、人形のように眠る我が君を気味悪がった巫女たちはとうとう彼女の世話をしなくなり、人々は我が君の存在を忘れて行った。
私は【女神の夫】を探した。【女神の夫】が君臨した年は大抵国は安泰しており、彼が見つかれば我が君も目が覚めると思っていたし、ファレノプシスもそれを望んでいたからだ。
しかし魂を継承している男を見つけた時にははプルメリア帝国側の貴族として領主を務める傍ら孤児院を営んでいることを知った。
「【女神の夫】は現在プルメリアにいるらしい」
その情報を当時のファレノプシスの王に告げ口すれば、これまで膠着状態だったファレノプシスとプルメリアは再戦した。しかし私が探していた【女神の夫】はその戦争の最中に死んでしまう。
結局戦争は両者痛み分けとなった。
話し合いの結果お互いの王子王女同士で婚姻を結び、国の名前を変えて島内を統一する。プルメリアの王女がファレノプシスの王子と婚姻を結ぶこととになったため、実質ファレノプシスの勝利となった。
時は流れようやく【女神の夫】と対面できる機会がめぐってきた時には戦争が終わってから二十年以上の歳月が経っていた。
その日は皇子の誕生を祝うパーティで、彼は社交デビューして間もない十四歳の少年だった。
しかしこれまでの歴代の【女神の夫】と比べて大分表情が固く見えた。
彼をまた王に立たせようとは思わなかった。それでも会おうと決めたのは彼の言葉で我が君を目覚めさせることが出来るかもしれないと思ったからだ。
しかし対面して話した際、彼から言われたのはとんでもない一言だった。
「なぜ猊下が僕の正体を知ったのかは聞きません。ですが僕の記憶ではマグノリアという名前の子供はいない」
魂は【女神の夫】であることは間違いないのにマグノリアという子供はいないと否定され、私は二千年以上生きていて初めて我が君が嘘を吐いていたことを知る。
しかし何か思い当たるのか少年は付け足すように言葉を続けた。
「ですが五千年以上も生きていける力がある。猊下が『我が君』と呼ぶ女性に心当たりが無いわけではない。しかし目覚めるのは彼女の意思でしょう。
猊下にとって彼女が一体どんな存在だったのか僕には分かりませんが、少なくとも僕が来たところで彼女が目覚めるとは思えない」
長い時間ずっと嘘を吐いていればそれは真実となる。
それは自分も身をもって知っていたし、今更我が君が噓を吐いていたところで私の中で我が君は私の唯一であることは変わらない。
我が君が【女神の夫】の魂をファレノプシス家から意図的に外したことにも気付いていた。
【女神の夫】の言う通り、我が君を目覚めるのを待つことにした。
王都の地下にある鉱床の中に彼女を休ませる場所を用意し、旧本殿から彼女の身体を運んではそこに彼女を寝かせた。そこで毎朝私は我が君が目覚めるように祈った。
それから数十年が経ったある日の朝、日課になった祈りの時間に彼女のもとに訪れて棺の蓋を開けて祈りを捧げていると、眠っていたはずの我が君が目を覚ました。
「――!我が君!?」
「……母さま」
「は?」
百数十年ぶりに見た我が君の赤い瞳は爛々と輝いていた。
「やっと見つけた」と両手を頬に添えて震えながら彼女は呟いていた我が君を見て私は困惑した。
「ようやく母さまが目覚めた……!」
「我が君?」
「あぁ、これでやっと……!」
その言葉に私は目を見開いた。
ずっと眠っていたのは、女神の魂を持つ者を探していたからだったらしい。
しかし自分の母を探していたにしては様子がおかしい。
『ワシは父よりも母が恐ろしい。それは、かつて幼かったワシを『醜い』と言ったからだ』
「我が君」
「マグノリア?」
「……女神にお会いになりますか」
その時なぜ自分がそんな質問をしたのか分からなかったが、きっと彼女の意思を試したかったのだろう。
しかし彼女の答えはある意味予想通りで。
「――無理だ。……会えない」
「はい」
「笑えよ……ワシは、恐ろしいんだ。今も尚母が、女神が!」
「存じてますし、笑いません」
我が君を抱き締めれば震えているのを両腕で感じ取った。自分の手で我が君を抱き締めたのは初めてではない。しかし自分の腕の中で我が君の肉体がみるみるうちに幼くなっていることに気付く。
「我が君、身体が……!」
「幼女になったワシは嫌いか?」
冗談めかして言っているつもりだろうが、表情を取り繕っているのは見て分かる。
二十代くらいで止まっていたその体は今では十三歳くらいの肉体年齢に若返り、いや退化していた。こんなことは初めてだった。
「……時間が欲しい。身体も元に戻す」
そう言って彼女はまた眠りについてしまっていた。また遠目から女神の魂を観測しているのだろうか。
だが元の姿に戻っても彼女は目が覚めることなく、それから十四年が経った。
「竜族?」
「えぇ。北方地域の山奥に梨農家の村がいくつか点在しているのですが、その中にいるようですよ。既に国内では絶滅したと思っていたのですが、細々と生きています」
「余も知らないことをなぜ其方が知っている」
「これでも長く生きておりますからね」
「それを余に話した意味は」
「……女神の再来が近い。とだけ」
我が君が覗いている場所を探り女神の魂を継承した少女を探し当てた。
かの皇子は女神の魂を持った少女を探すより、一歩前で潰えた皇帝としての夢を繋ぐために竜族を捕らえることを選んだ。
あの内乱の最中で死んだかと思えば、彼女はどういった経緯かカレンデュラ家の孤児院に引き取られており、その主人の手引きによって魔術学院に編入していた。
カレンデュラ家に引き取られていたと知ったときは内心焦ったものの、我が君に何も変化はなかった。
「母の魂がすぐ近くにいるというのに、なぜ貴女は目覚めないのですか」
元に戻すと言った肉体も十三歳のままだ。
神として恐れていた母親を崇拝させるように長きにわたって動いていた貴女のことだ。私が女神を殺そうとしていることが分かればきっと貴女は女神をかばって私を叱るはずなのに、どうして貴女は
我が君。我が主。私と同じ名前を持つ愛しの
貴女様は今も尚、醜いと言った母に対する愛と恐怖の狭間に苛まれているのだろうか。
「アナタは私を美しいと言うが、私はアナタが一番美しいと思っているのですよ。我が君」
我が君から称賛の言葉をいただけるのはとても光栄なことだ。
だがどれだけ我が君が私を褒めようと、我が君ほど美しい者はいない。
また目を覚まし、花が咲くような笑顔を私に見せてほしい。
そして今私が握っている貴女の手を強く握り返してほしい。
私は我が君の平穏な日常を脅かす女神のことが許せない。枢機卿として立つ者が何を言っているのだと思うだろう。
だが私はたとえそれで己に天罰が下ろうと、我が君に嫌われようと一向にかまわない。
愛する我が君を醜いと言った女神は私が殺す。
――――――
【おまけと補足】
枢機卿が対面した女神の夫はロイクの祖父にあたります。
歴代の女神の夫は一人称が「僕」になってますが、ロイクは「俺」になってます。
子マグノリア5歳の時の記憶。
親マグノリア「マグノリア、手を握ってみろ」両手を出す
子マグノリア「?ぎゅー!」
親「ぎゅー!ははは……じゃない。マグノリア、この感覚を忘れるなよ」
子「ずっとつないでるのに?」
親「……そうじゃな」
数百年後
「あれはこういうことだったのでしょうか……」我が君とのつながりを感じながら
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