第2話 紫黒色の魔導書
ルウムが起き上がった。
より正確にはルウムの死体が起き上がった。
「……え?」
ルウムが驚くメイネを見て動きを止める。
「……生き返った」
「ルウムが生き返ったっ!!」
嘘みたいだが、本当ならこんなに嬉しいことはない。
メイネが昂る気持ちを抑えきれずにルウムに抱きついた。
「すごい! まだ冷たいけど、本当に生き返ったんだ!」
確かめるようにルウムを撫でる。
「ねぇ、ちゃんと歩けるっ?」
するとルウムが歩き出す。
病気に罹る以前の様な軽快な足取りで。
「お母さんっ! ルウムが生き返ったよっ!」
興奮冷めやらぬメイネが振り返る。
この喜びを母と一番に共有したかった。
またみんなで楽しく暮らせるねと。
しかし、目が合った母は何かに怯えている様だった。
猜疑と畏怖が入り混じった母の目は、不意を突かれたメイネの心に突き刺さる。
生まれてから一度も母のあんな目を見たことが無かった。
ましてやそれを向けられるなど。
「え、なに……どうした、の……?」
何故かわからないけど、今の母の目を見ていると胸が苦しくて。
逃げる様に視線を逸らした。
その先にある者を見てメイネがたじろぐ。
幼馴染のルプスや村のみんなも、メイネを同じくらい怖い目で見ていたから。
「し、死体が動いた……!」
村の者たちの中には猜疑と畏怖に混じって嫌悪感を剥き出しにしている者までいた。
にも拘らず同じくらい、と思ってしまったのはきっと母に怖がられたという事実がそれほどショックだったから。
「化物……」
誰かが言った。
それは概ね村の総意だったのかもしれない。
違ったのは数人と…。
「アンデット……」
「あの魔導書の色……」
「……死霊魔術だっ」
その声を皮切りに、皆が次々と声を上げる。
突然現れた紫黒色の魔導書。
そして、その魔導書を魂に宿した少女。
それが意味するところを皆が口々に言う。
曰く死霊魔術とは
不可侵である魂に干渉しうる禁忌の魔術。
生命への冒涜。
一大陸で築き上げられた文明を、滅ぼす程の凶悪にして強大な力。
どれもが、死霊魔術の危険性を訴えていた。
伝承は最後にこう締め括られる。
ーー死霊魔術師を決して生かしてはならない。
先祖が伝承として語り継いででも警告を残した意味は、村の大人たちには伝わっていた。
村人の一人が石を投げる。
「痛っ!?」
メイネの肩に何かが当たる。
小石だった。
小さいけれど人に対しては凶器にもなりうる。
続けて、罵声と共に石が投げられ、メイネの体中に傷が増えていく。
「メイネを、禁忌の魔術師を縛り上げろ!」
「我らの未来のために!」
昨日までは。
いや、ついさっきまで。
いつも良くしてくれた村の皆が、メイネに負の感情を遠慮なくぶつけてくる。
「なんで……」
伝承はメイネも知っている。
「痛いよ……」
だからって、こんなにも豹変するものなのか。
「お母さん……」
再び、母と目が合う。
今の母の目に宿る感情は、もうメイネにはわからない。
それでも。
「……助けて」
飛んでくる石をその身に受けながらも、弱々しくだが手を伸ばす。
母に手を取って欲しくて。
一番頼れる人だから。
一番好きな人だから。
しかし。
母は一歩後ずさった。
メイネとの距離が縮まらないように。
「えっ……?」
一瞬、メイネが固まる。
「あっ……」
その悲しそうな表情を見た母が戸惑う。
反射的に下がってしまった自身に驚いて。
この短い間に母が何を思ったのかはわからないが、その思いを伝えることも、行動に移す隙もなかった。
メイネが振り向いて駆け出す。
その手足はいつの間にか狼のものへと変化していた。
「決して逃すなっ!」
戦闘に秀でた種族、
だが、速度に特化した
森に逃げ込み、草木生い茂る中を走った。
彼女を心配そうに見つめる視線にも気がつかずに。
もう、どれだけ走っただろうか。
メイネの滲んだ視界では、この悪路を安全に進むことなど出来る筈もなく。
よろけて泥だらけの服が更に汚れる。
それでも走るしかなかった。
ルウムが生き返った喜びも。
向けられた狂気も。
拒絶された悲しみも。
全てを振り払う様にただ走った。
後になって思えば、いくら速さに自信のあるメイネでも
メイネにとっては長い長い逃走劇。
ついに追っ手の気配が消えた。
それからもメイネは少しだけ走り続けた後、座り込み息を荒げながら近くの木に背を預けた。
「はぁ……はぁ……」
今メイネの中で渦巻く感情は一つ。
怖い。
ただそれだけだ。
今まで疑ったことのなかったもの。
村のみんなと積み上げてきたもの。
それが突然崩れて彼女に牙を剥いた。
単純な怖さ。
そしてわからない怖さ。
走り続けて乾いていた目が、再び湿り気を帯びる。
考えていては駄目だ。
止まれば、考えてしまう。
だから、メイネは立ち上がり再び駆け出した。
走っているというよりは、無理矢理足を動かしていると言った方が近いだろう。
蹌踉めく足を力無く動かし続けた。
気力だけで動かしていた体。
やがて気力も尽きて、崩れ落ちる。
涙で、汗で汚れるメイネの頬に土が張り付く。
そんなことを気にする余裕もなく、メイネは意識を手放した。
凶暴な魔物も蔓延る、紫の花咲く森の奥深くで。
目覚めた時に見たものは、数匹の魔物の死体だった。
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