ひとりぼっちの死霊魔術師

現 現世

第1話 覚醒

 背丈に合わない大きな椅子に跳び乗った少女は腰を落ち着けると、そわそわ足と尻尾を揺らす。


 そして机の上で両手を前に出す。


 すると何処からか褪せた白い本が現れ、少女の両手に収まった。


 一呼吸置いて本を開く。


「っはぁ〜」


 少女は本を見て溜め息を吐く。


 頭部から生えた狼の様な耳も垂れてしまった。


 少女が見ていた頁は、空白だった。


「お母さーん!」


 不貞腐れて駆け出した少女の手元からはいつの間にか本が消えている。


 少女は駆け出した勢いそのままに、朝食の支度をしている母の背に抱き付いた。


 包丁を持っていたら大惨事だ。


 涙を拭こうと少女が顔を擦りつける。


 低い身長の所為で少女が顔を動かす度、母の尻が形を変えた。


 母の尻尾が困った様にゆらゆらと揺れる。


「今日は早いね」


「うん…」


 不貞腐れた少女を見て、母は察したのか薄く微笑み頭を撫でる。


「メイネはまだハ歳なんだから、魔術が記されていなくてもおかしくないんだよ」


「でも、ルーちゃんはもう呪文が書いてあるって」


「早い子もいるし遅い子もいるから心配しないで、ね。ほら、朝ご飯出来たよ」


「ご飯で誤魔化そうとしたってーー」


 先程までぷりぷりしていたメイネは、カリカリのベーコンを小さな口に詰め込み頬を膨らませている。


「どんな魔術が使えるようになるかな? かわいいのかな?」


「さあねぇ。お転婆だからかっこいい魔術かも」


「えー、かわいいのがいい」


 母はその様子を両手で頬杖をついて笑って見ていた。


 ベーコンはこの辺鄙な村ではささやかな贅沢だ。


 これくらいの日常が続いていくものだと、二人とも疑っていなかった。


「メイネ」


 笑顔の母と肩をビクッとさせるメイネ。


 どうやら母はメイネがフォークでプチトマトをこそこそと皿の端に寄せていたことに気づいたらしい。


 小賢しくも、母がパンに手をかけて視線がメイネから外れた一瞬の隙をついて。


 メイネは渋々プチトマトを食べて顔を歪ませ、母はまた笑っていた。






 魔戦狼人ワーウルフ


 この種族の外見的特徴は人間の姿に狼の耳と尻尾が生えていること。


 ただし魔戦狼人ワーウルフは他にも種族的な特徴がある。


 それは魔力というこの世界に漂い、あらゆる存在に内包される力の総量が多いこと。


 魔力を用いて自身の体を狼へと変質させられること。


 狼や狼に分類される魔物(魔力を操ることの出来る、人以外の存在)と心を通わせられること。


 大きくはこの三つ。


 その特徴故、魔戦狼人ワーウルフはウルフ種の魔物と生涯を共にする。


 魔戦狼人ワーウルフが魔力の操作方法を教える。


 その代わりにウルフ種は狼の体の使い方を教える。


 そうやって互いに歩み寄って生活していた。


「ぬおっ!」


 メイネが気合いを込めて変な声を出すと、その手足に変化が起きた。


 ふさふさと体毛が生え、爪は人間の肉など容易く引き裂ける程鋭くなっていく。


 到底人とは思えない脚力で跳び上がり、鋭利な爪で木を半ばまで引き裂いた。


 木に見られるいくつもの裂傷から、何度もこうして訓練をしてきたことか窺える。


『この調子なら完全な狼化もすぐできるようになりそうだね』


 メイネの頭に声が直接響く。


 訓練の様子を見守っているのはルウム。


 影狼シャドウウルフという種の魔物の子どもだ。


 漆黒の毛並みがわさわさとそよ風に靡いている。


「今度はルウムの番」


『見てて』


 するとルウムの毛が逆立ち、目が金色に輝く。


 足に力を込めたかと思うととてつもない速度で駆け出す。


 軽い身のこなしで木々を数度跳び移ってメイネの前に戻ってきた。


 どうだ、と言わんばかりに鼻をフンスッと鳴らす。


 メイネはそんなルウムの顔に手を伸ばす。


 両手を頬に添えて親指で撫でた。


 ルウムにはそれが気持ち良いらしく、目を細めていた


 訓練が終わった後はルウムや幼馴染のルプス、村に住む狼たちと遊ぶ。


 そんな、穏やかな時間がメイネの日常だった。






 それから一年後、ルウムが病を患った。


 直ぐに治ると思っていたが、ルウムの体調は一向に良くならなかった。


 メイネと共に育ち、人懐っこく、活発だったルウム。


 だからこそ、日に日に弱っていくルウムを見ていくのは辛かった。


 日課になっていた毎朝の魔導書の確認は、病気を治せる魔術が使えるようになりますように、という祈りへと変わった。


 治癒魔術は伝説上の魔術であり、少なくとも現存する歴史的資料では確認できない。


 しかしメイネの祈りが届くことのないまま、時間だけが過ぎる。






 そして更に一年が過ぎた頃、ルウムが息を引き取った。


 ルウムの死を悼んで、村中の魔戦狼人ワーウルフと狼たちが集まった。


「メイネ」


 母は気丈に振る舞い、自分の気持ちを押さえつけて娘を想う。


 言葉にもなり損なった音の断片が、メイネの肩の動きに合わせて溢れていた。


 母がメイネの肩に優しく手を置く。


 村人によってルウムが土の上に運ばれた。


 メイネと母がルウムに歩み寄る。


 これからルウムに土が被せられる。


 そうしたらお別れなんだ、と思うとメイネはルウムの側から動けなかった。


 メイネが膝をつき、ルウムにそっと手を触れた。


 艶の失われた黒い毛並み。


 すっかり痩せ細ってしまった体。


「冷たい」


 ルウムを触って冷たいと思ったのは初めてだった。


 暖かい思い出は昨日のことの様に思い出せるのに。


 だから、願ってしまった。


「ルウム」


 一つ一つの音を大切に紡ぐ。


「嫌だよ」


 ルウムはもっと明るい言葉でお別れしたいかもしれないけれど。


 メイネには、できなかった。


「もっと、遊びたいよ」


 雫がルウムの毛を濡らす。


「お願い」


っ!」


 喉元から溢れる様に発された言葉。


 それに呼応するようメイネの前に紫黒色の本が現れた。


 色褪せていた筈のメイネの魔導書。


 強風でも吹いているかの様に頁がパラパラと捲れていき、突然止まる。


 開かれた頁には何か文字が刻まれており、力を持った輝きが放たれる。


 するとルウムの周囲からも紫黒色の光が立ち昇る。


 皆が何事かと騒めく。


 メイネもぽかん、と口が空いたままになってしまっていた。


 やがて光が引いていった。


 しかしその光景は光が現れるまでと何ら変わりはない。


 今のは何だったのだと、メイネが気を緩めた。


 ーーその時だった。


 ルウムが、起き上がったのは。

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