18.方向音痴探偵



 食事を終えた三人は、土管どかん屋の正面道路にあたる、あのだらだらとした砂利じゃり道を北西に下った。ミックス・ジュースを飲み終わったハル子さんが立ち上がってしまったので、偽古庵にせこあん様もバナナを二本片手に立ち上がる。どうやらおやつにするらしい。


 うつぼ君を先頭に、三人は春の野を行く。ハル子さんと偽古庵にせこあん様は、互いに目配せしあった。うつぼ君は天下無敵の方向音痴だ。うっかり遠くまで出歩いた揚句あげく、帰り道がわからなくなったでは困る。二人のそんな思いとは裏腹に、うつぼ君はズボンのポケットに手を突っ込み、やはり無言でだらだらと歩いていた。


 ちゅるちゅると、小鳥がいてはぎる。


 しばらく行くと幅二mにも満たない小川が道を横切っていた。そこに掛かっていた石橋を渡り、右折したところに小さな公園がある。うつぼ君は真ッ直ぐその中に入り、斜面になっている芝生のところで腰を下ろした。ハル子さんと偽古庵様も、それにならって腰を下ろす。背中のところに低い生垣があるため、緑陰の涼しさが心地好かった。偽古庵様は腰を下ろすや否やバナナの皮をむき始める。よほどに好きなのだろう。



「さて――何から話そうか」



 うつぼ君が、ぽつりつぶやく。ハル子さんはうつぼ君のほうへ手持ち無沙汰にむしった芝生を投げた。ひらひらと舞う緑の数枚は空気の壁にはばまれてとどかず、くるくると二人の中間あたりに落ちる。うつぼ君は静かに微笑んで、立てた膝の上で頬杖をついた。


「まず、この話はオフレコにして欲しい。偽古庵にせこあん珸瑶瑁ごようまい先生にも話すな」

「なんでや?」

「俺達三人だけで考えたい。それが得策のような――気がする。何となくだけれど」


 うつぼ君は難しい顔でそれだけ云い、ふいに遠くへ視線を飛ばした。


「考えたいて? 姫さん達のことか?」

「そうだ。それに、この〈見合い〉と云うまにまにの爲來しきたり――これそのものの謎についてだ」


 ハル子さんは、僅かに眼をすがめた。


「お見合いの謎? どうしてそんなものがあると思うの?」

「僕の親父は政府の官僚だったんだが、ついこの間の汚職事件で検挙された」

「あら」


 何やら突然話が脱線したようではある。しかし、うつぼ君の表情は至極真面目なものだ。満更無関係な展開でもないらしい。


「おかげで、どうやら脱税していたらしいことも発覚してしまって、親父が所属していた府からは、親父も含めて三人が辞職の運びになった。僕の家は、これから没落の一途を辿たどるだろう」


 どうやら、うつぼ君の実家は思っていたより深刻な状況下にあるらしい。


「――ところが、だ。親父が検挙されて、それが電波にのって全国ネットに流れた翌日、僕の元に一通の封筒がとどいた」


 そこで、偽古庵にせこあん様はぱちくりと瞬いた。


「なんや、俺もそんな話初めて聞くぞ」

「当り前だ。誰にも話していないからな。――その封筒の中に入っていたのは、薄羽のように透けた緑色の便箋だった。そこに記されていたのが、まにまに王國で婿様候補者を募集することだったんだよ」


 ぱさり、とハル子さん及び偽古庵様の前に投げ出されたものがあった。市販の、ごく有りふれた白封筒である。うつぼ君は腕を組み、胡座あぐらをかいたまま前傾姿勢をとった。


「おかしいと思わないか? 一体誰がこの手紙を僕に出したんだ? 僕の家から今後金がなくなることは明白だ。そして有名な話だが、まにまに王國には『』がある。それを見越して、僕が金目当てに乗り込んでくるだろうことは明白だ。――何者かが、何かを企んでいることは、確かだと思う」

「誰かって、誰や」

「さぁ、それはまだわからない。まにまに王國の、この見合いを計画している人間の中の誰か、もしくは、この見合いそのものが、ある巨大な仕掛けなのかもしれない。婿の側に二人ダミーがいると云うのだって、もしかしたら嘘だという可能性もあるんだ」

「あ――」


 その可能性を考えていなかったらしく、偽古庵にせこあん様はぽかんと口を開けた。


「そうか……せやな、そう云うふうなこともありえるか」

「そうすると、何か目的があってそういう嘘をいたことになる。僕はさっき、いと蜻蜒とんぼさまの部屋で、常識的に考えればハル子がそうだと云ったけれど、それだってハル子が何等かの意図で誘い出されていたとすれば、話は別だ」


 ちらり、とうつぼ君がハル子を見る。ハル子は茫とした眼差しでうつぼ君のひとみを見返した。


「ハル子は、どうしてここに来たんだ? 結局答えていないだろう」

「そうね」

「答える気はないか」

「今のところはYESと答えておくわ。だって普通に〈お見合い〉にきただけだと云ったって、どうせあなた信じやしないのでしょう?」


 うつぼ君は、かすかに溜息を吐いた。


「……まぁ姫側の四人中、三人が偽物だというのは事実だけど」

「四人とも姫さんやいう可能性はないか?」

「それだって結局のところは関係ない。皇太子は一人なんだからな」

「ああ、せやな」

「逆に四人ともフェイクだと云うのはあるかも知れないが」

「四人ともやて?」


 うつぼ君は懷から、例の「和紙手帳」を取り出した。胸ポケットに差し込んでいた水性0.3㎜ペンを手に、さらさらと書き付けてゆく。見やると、そこにはすでに細かな文字がびっしりと書き込まれていた。内容は、今まで彼が話していた推理の全て、及びその他である。


「もしかして、あなた昨夜からずっとこんなことを考えていたの?」

「暇だったからな」

「せやからお前眼ェの下にくま作っとんか」

「うるさい放っといてくれ。――ハル子。今年はS何年だった?」

「S? 62年でしょう?」


 うつぼ君は「やっぱり」と呟き、ちっと舌打ちした。


「また間違えていた。なぜだか知らないがいつも61年と書いてしまうんだ」


 年月日を記していたらしい箇所をペンで塗りつぶした後、サッとある一行に下線が引かれた。


「例えばこれ。皇太子が女ではなく、と云う場合だ。そうなると、必然的に婿のターゲットとして絞られたのはハル子一人と云うことになる」


 ハル子は、ぱちくりと瞬いた。


「でっ、でもうつぼ。まにまには女系一族で、女しか絶対生まれへんて……」

「それは表向きの話だ」

「――表向き? どう云うことや」

「『駅名知らせの車掌お化け』だ。ヤツは何代か前の、皇太子の成りそこないなんだよ」



 ハル子さんは瞠目どうもくした。




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