第39話 ブリテン島制圧
さて、今回の第三次及び第四次対仏大同盟を裏でまとめているのは相変わらずグレートブリテンの中心勢力のイングランドである。
「全く毎回毎回面倒なことだな」
タレーランが頷く。
「全くですな」
もっとも彼が本当にそう考えているかはわからぬが。
イングランドは我がフランスとの第二次百年戦争にほぼすべて勝利してきたが、アメリカ独立戦争でアメリカや我がフランスを含む同盟国に敗北した。
アメリカの独立勢力に比べて海軍力では圧倒的に優位でありながら陸軍の力では劣っていた上に、ヨーロッパと違い首都を陥落させても独立派が戦争を継続したためにアメリカの各地を守備しながら戦線を広げなくてはいけなかったのだが英国の陸軍にはそこまで兵力はなかった。
さらに英国に明確に敵対したフランス・スペイン・オランダに加えロシアのエカチェリーナ2世の呼びかけでロシア・スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガルの5か国により武装中立同盟が結成され、イギリスは国際的に孤立した。
こうしてヨーロッパの諸国のほぼ全てが敵または中立の姿勢を示したため、独立戦争で敗北したグレートブリテンはその後は大陸での国の対立を煽ることで勢力の均衡を図り、自国が孤立し集中的に攻撃を受けないような方向へ政策を転換させた。
フランスで革命が起きた時すでに市民革命を経験していたイギリスはむしろ当初は市民側に同情的であった部分もあったが、王族の処刑にいたり完全にフランスと敵対することになった。
フランス貴族の亡命先としてもイギリスは優先して行われた場所でも有った。
フランスとイギリスは国としてはいがみ合ってはいたが、国の関係としてはいとこのようなものでも有ったからである。
そんなイングランドの陸軍であるが総兵力は15万ほど。
しかも、イギリス陸軍の実情はろくなものではなく、1793年の革命戦争初期においてもフランス北部やオランダに上陸しては、指揮官の無能や病気などによって毎回大損害を出し撤退している。
イギリス陸軍は1815年に初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーがワーテルローでナポレオンと戦い勝利したため過大評価をされていると言っていいだろう。
「とは言え海軍についてはイングランドはまだまだ油断できぬ相手であるがな」
イングランド海軍はフランスに匹敵する性能の装甲フリゲートを竣工させてきた。
銃に関してもこちらと同じ性能の銃を生産しているようである。
幸いなことにガトリングガンのようなものはまだ作られていないようではある。
現状、性能はともかく数においては圧倒的にフランスのほうが上である。
現状のイギリス海峡艦隊の長官はエドワード・ペリュー。
イングランドの海軍の人材は本当に豊富で羨ましい限りではある。
イングランド制圧作戦はその前の海峡艦隊の決戦で勝利しなければ当然不可能である。
スペインと共同作戦などは行わない。
下手に他国の艦隊と共同しようとすると足並みの合わないこともあるであろうしな。
「さて諸君、この戦いはイングランドを屈服させるために大事な戦である。
祖国のため総員の奮闘を期待するものである」
「はっ!」
いまの私は最前線で指揮をとるわけではない。
戦闘の指示を出したら後は提督が結果を出すのを待つだけだが、装備や練度で同程度、艦船数で1.5倍の差があれば負けはしまい。
無論、ロシアのバルチック艦隊に備えて北海方面に守備艦隊は残してある。
そして、英仏海峡艦隊の決戦の結果、フランス艦隊長官のヴィルヌーブは狙撃され殉職し旗艦が撃沈されたが、残されたフランスの艦隊29隻はジャン=バティスト・ペレーが指揮を引き継ぎ、イギリス艦20隻に対し整然と反撃を行い撃沈5隻・拿捕10隻の損害を与えた。
一方フランス艦隊は、撃沈1隻、中破4隻。ただし沈んだのが旗艦であったというのは痛かったがな。
イギリス海峡艦隊を打ち破った結果、フランスの北海での優位は圧倒的なものとなり、バルト海、黒海、北極海・極東海域などロシアの関わる海以外のほぼ全世界の制海権は手に入ったといえる。
そして、フランスによるグレートブリテン島への上陸作戦が開始された。
アイルランドの義勇兵やスコットランド兵もスコットランド方面から行軍を開始し、フランス軍はまず、ドーヴァーへ上陸した。
マクドナルド将軍率いるブリテン島制圧軍はイギリス陸軍を一蹴しその後ロンドンを制圧した。
もっともイングランドの王族貴族や亡命していたオランダ総督ウィレム5世、フランスのアルトア伯爵(のちのシャルル10世)らブルボン家の一族などはすでにブリテン島からロシアに逃げ出していた。
「なんともまあ足の早いことだ。
テロ事件の首謀者であるあるアルトワ伯爵は捕らえておきたかったのだがな。
まあ革命の時もまっさきに逃げ出したやつではしかたあるまい」
もっとも英国以外ではブルボン王家は歓迎されていないから、この後アルトワ伯爵があまり良い境遇にはおかれないであろうがな。
そしてイングランド議会は解散され、内閣は自由主義的でアメリカ独立やフランス革命を支持し続けたチャールズ・ジェームズ・フォックスの息子であるチャールズ・グレイを首相とするホイッグ党を与党とした親仏政権に移行され、イングランドの立憲君主としてはジョージ3世は精神疾患により退位することになり、プリンス・オブ・ウェールズでありチャールズ・ジェームズ・フォックスとも親しいジョージ4世が即位した。
「まあ、お飾りの王は馬鹿な方が良いしな。
これは有り難い」
これに乗じてスコットランドとウェールズはそれぞれ独立して独自に議会を持つことになった。
私はチャールズ・グレイを通じて英国の労働者の最低賃金をさだめさせることにしたが、イングランドに対してそれ以上大きく内政に干渉することは行わなかったし、イングランドを直接フランスが統治するようなことも行わなかった。
名目上ではイングランドは大きく変わることはなかったが、多くのイングランド貴族は国外へ亡命し労働者の権利が有る程度保証されたことで労働階級の力が強くなったのである。
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