偽新徴組
琴と応為が同時に振り向くと、二人の浪人がこちらに歩いてきていた。身なりはボロをまとったようにうす汚れているが、顔は堂々とふてぶてしかった。
そんな二人の後を、うなぎ屋の店主が追いかけている。
「お、お待ちくだせぇ旦那方っ、お代がまだですっ」
「何だとぉ?」
浪人たちが振り返る。にらみを利かせているらしかった。
「いや、ですからお代……」
「貴様ぁ、俺たちが誰だか知ってものを言ってんのかぁ?」
「え……誰と申しますと……。」
「俺たちゃ泣く子も黙る新徴組よっ、おめぇらが商売できてんのは、俺たちが江戸の治安を守ってるおかげだろうがぁ」
「いや、そうは言われましても、わたくし共も
「何だお前は? 命がけで仕事をやらせておいて、その上金まで取ろうってのか上等じゃねぇかっ」
浪人は刀に手をやる。うなぎ屋は「ひぃっ」と腰を抜かした。新徴組が相手の身分を問わずに抜刀するというのは周知の事であった。
周囲の群衆は「新徴組だって……。」と嫌な顔をしている。幻滅と嫌悪の眼差しだった。
「お仲間かい……。」
応為は軽蔑を含んだ口調で言う。
「……いえ」
「え?」
琴はまっすぐに浪人たちの下へ歩いて行った。
「今しがた新徴組を名乗る声がしましたが、わたくしの聞き間違えではございませんでしょうか?」
うなぎ屋をいたぶろうとしていた浪人二人が振り返る。
「何だぁでめぇは?」
「新徴組の
「なっ!?」
浪人二人は顔を見合わせる。
「み、妙な言い方をやがるな、所縁の者ってのはどういうことだ」
「それは……。」
「つぅか、おめぇ女じゃねぇか、男の
「質問しているのはわたくしでございます。新徴組と仰るなら、所属している隊と小頭(隊長の事)を教えてください」
「こ……こがしら?」
「組士なのに小頭をご存じない? では組士ならば支配(※松平権十郎)と
浪人は手をかけていた柄にさらに力を込める。
「うるせぇ難しいこと言うんじゃねぇ! 俺たちは将軍様から手向かい次第斬れって言われてんだよ!」
「さきほどから新徴組新徴組と仰いますが、組士を騙ることは重罪だと御存じなのですか?」
「ああん? じゃ、じゃあ俺たちが新徴組だった時にはどうすんだよぉ?」
「たとえ組士であっても、組の名を使って無銭で飲食をするのも組の法規に反しております。新徴組の屯所までご同行願います」
「……おい、あれ……新徴組の……。」
琴の素性に気づいた町民の一人が言いう。
「そうだ、女剣士じゃあねぇかっ」
「それと言い合いになってるってことは、何だよ、じゃああの二人は新徴組じゃねぇってのか?」
町人たちが口々に言い始める。浪人たちは自分たちの状況のまずさを知った。
「な、なんだよ、お前、本当に新徴組の関係者なのかよ……。」
浪人の額には汗が流れ始めている。
「あなた方のような人たちのせいで、新徴組は評判を落としています。ちょうど今ここには観衆の目がございますゆえ、はっきりとしていただきます。そのご主人にお代を払い、そして新徴組を名乗ったことを謝罪なさってください。そうすれば、わたくしもこれ以上ことを荒立てるつもりはございません」
「へ、へへ……“はい分かりました”って言うとでも思ってんのかよ?」
「一度目はお願いです……ですが、二度目からは忠告になります。三度目はございませんがゆえ、お覚悟なさいませ」
「こ、このぉっ!」
浪人は刀を抜こうと力を込めて柄をがちゃがちゃさせるが、刀を抜くことができない。仲間同士で顔を見合わせては琴をにらむ。
すると、琴が刀に手をかけた。
「う、うぉ!?」
浪人が
しかし琴は抜刀しなかった。腰から大小二刀を鞘ごと抜くと、それを隣にいた応為に渡す。
応為は小さい体で抱え込むように刀を持つ。
「あんた……。」
「“悪事を働きし者を見つけ次第、切り捨てても構わぬ”それが松平様よりのお達しですが、当方は正規の組士ではございませぬゆえ、素手にて失礼いたします」
「なめられたもんだなぁ! 俺たちが抜かねぇとでも思ってんのかよぉ!」
「抜いても構いませんが、その場合は手加減ができません」
「手加減だとぉ!?」
「つまらぬこととは思いませんか? たかが嘘と虚勢で、取り返しのつかない怪我を負うというのは」
「ああん!?」
歩み寄る浪人。すると、琴は両足を広げ腰を深く落とした。
「おぉ?」
「な、なんだ、相撲でも取ろうってのか……。」
浪人たちは笑うが、琴の構えが尋常ではない気がした。ここから何かをしでかす構え方だった。浪人たちは何度も目を合わせては、どちらが先に切り出すか合図をしあう。
「……へ、へへ、まぇ別に俺たちも本気で無銭飲食しようと思ったわけじゃねぇよ」
奇妙な猫なで声を上げて浪人は主人に金銭を渡した。
「これで足りるかぁ?」
「へ、へい……。」
「じゃあな、これでいいだろ?」
琴は何も答えない。
琴と応為の横を通り過ぎていく浪人たち、
「ああ、そうそう……。」
往来に、鈍い音が小さく響いた。
浪人は振り向きざまに琴を顔を殴ったのだ。
町人たちがざわつく。
「へ、へへへ……へ?」
体が大きくとも所詮は女、殴ってしまえば悲鳴を上げてうずくまると思っていた。しかしその女は仁王立ちをしていた、鼻からはおびただしい鼻血が流れているにもかかわらず。
「き、きゃあぁ!」
その様を見た町娘が悲鳴を上げる。
「……この
血を流しながらも平然と言う琴、素早く腰を落とすと琴は体重移動と共に浪人の人中に右の肘打ちを叩きこんだ。
「うぐぅええ……。」
さらに、連続の体重移動からの左の肘打ちを悶絶して腰を折っている浪人の顔面に叩きこんだ。
浪人の体は半回転して頭部が地面にたたきつけられた。鼻からは琴以上の血が噴水の様に飛び出していた。
「てめぇ!」
後ろから、もう一人の浪人が右手で琴の羽織の
琴は腰を落とすと同時に体を回転させる。
後襟をつかんでいた男の関節が逆に
力んでしまっている男は琴の後襟を離すことができず、態勢が崩れたままひざをつきかける。
琴は男の右脇に自分の左腕を差し込むと、極まっている右腕にさらに負荷を与えた。男の右肘がめりぃと音を立てる。折れてはいないが腱を負傷したようだ。
「いぃぃぃぃ~~!」
悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべる浪人、すでに戦意を喪失している。
しかし琴は男の着物の左右の襟を掴み、そして逆に襟を絞って男の首を締めにかかった。
「く……は……。」
浪人の右腕は壊されている、左手一本では拘束を解くことができない。
さらに琴は体を押し込み、自分の方膝で浪人の背中を押さえつけ始めた。浪人の背が弓なりに曲がる。
「
「う……ぐぉ……。」
琴はさらに力を込める。曲がっていた浪人の背骨がみしりと音を立てた。その音に浪人は恐怖する。
「ま、まいったぁ! やめてくれ俺たちが悪かった!」
「あなた方は新徴組ですか?」
「ち、違うぅ! すまなかったぁ! もう二度とやらねぇ!」
琴は浪人を解放した。
「二度と、このようなことをなさってはなりませんよ……。」
「わ、わかった……。」
「……わたくしたちは、こちらを行きます」琴は道の先を指さした。「あなた方は反対を行くとよろしいでしょう」
「は、はい……。」
二人の浪人は体をよろめかせながら、逃げるように去っていった。
浪人たちがいなくなってしばらくすると、町人たちは一斉に琴に拍手を送り始めた。
「すげぇ!」
「さすがおまわりさんだ!」
「い、いえ、わたくしは新徴組では……。」
皆が敬意の眼差しを送る中、応為だけは違った。
「……ん?」
琴が目線を下げると、応為が口に手を当て何かを小声で伝えようとしているようだった。
「……どうしたんですか」
琴が顔を応為に近づけると、応為は手に持った手ぬぐいで琴の顔をぬぐい始めた。
「ん……。」
「まったく、あんな馬鹿な真似をして……とっとと刀抜いて脅しつけちまえば良かったじゃないのさ」
「……えっと、その……応為さんは刀があまり好きではいらっしゃらないようでしたので……。」
「……あたいのことを気にしてたっていうのかい」
「なんというか、応為さんに嫌われたくなかったので……。」
「馬鹿な子だよ、まったく……。」
ふたりはそのまま屯所に帰っていった。この顔では町で休日を楽しむわけにもいきそうになかった。
三笠の屯所の前につくと、琴は言った。
「今日はとっても楽しかったです、ありがとうございました」
「いっただろう、この前の礼だって」
「は、はい……。」
「それに……なんていうかさ……前はあんたちのこと知らなかったから……だから、その……。」
「大丈夫です、応為さん。分かってますから」
「え?」
「ありがとうございます、応為さんのお気持ちは、もう十分に伝わっております」
「そうかい……。」
「今日は本当に楽しかったんです。だから、今日は楽しいって気持ちで終わりにしましょう」
「ああ、そうだね……。」
琴は頭をぺこりと下げると屯所へ戻っていった。
「ねぇお琴さん」
「はい?」
「やっぱり今度、あんたの絵ぇ、描かせておくれよっ」
「え、その……淫らなのはだめですよ……。」
「淫らかどうか分からないけれど蛸とまぐわうって絵は……。」
「絶対にダメですっ」
「そうかい、まぁ気が変わったらいつでも言っておくれよっ、じゃあね!」
ふたりは手を振りあって別れた。どちらから手を振り終えていいか分からなかったから、ぎこちなく止めようとしては、また再び手を振っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます