理想

 家出をした次の日。今日は朝から、いいこと続きだった。

 いつもより豪華で、私の好物ばかりの朝食と昼食。学校へ通っていない私は、家庭教師の先生から勉強を教わっているのだが、先生は都合により来られなくなった。

 つまり今日は、苦手な勉強をしなくてもいい!


 怪異も現れず、綺麗な青空が広がっている午後三時。春の風が前髪を揺らす。


「このまま、平和な日々が続けばいいのに……」


 今日は何もやることがない。

 家のお手伝いさんに「何かやることはありませんか?」と聞いたが、断られてしまったのだ。いつもなら、チャンスというばかりに雑用を押し付けられるのに。


 いいや、こういう時こそ、村からの脱走計画を立てるのだ。今度は鬼よけの札を持っていかなければ。それから……。


「一番重要なのは、一樹君の目をどうやって掻い潜るか、なんだよねぇ……」


 睡眠薬でも盛ろうか? ︎︎なんて考えていると──。


「おやおや、千鶴さん。こんなところで何をしておるのじゃ?」


「げっ、村長……」


 白髪頭の小さなおじいちゃんが、私のところにやって来た。腰の曲がったヨボヨボな姿だが、春媛村で一番の権力者である。


「最近の若者は失礼じゃな。ワシを見て、『げっ』とは何事じゃ。もしかして、ワシは嫌われておるのかのぉ?」


 そう言って、村長は後ろにいる男性二人組に話しかけた。この二人、なぜか鬼のお面を被っていて、何も喋らない。二人は同じ方向に首を傾げた。『分からない』という意味だろうか?


 昔から村長の後ろには、謎のお面男が二人いる。けっこう不気味なので、私は苦手だ。


「まっ、そんなこと気にしても仕方がないのぉ。千鶴さんや、暇ならうちで羊羹を食べに来ないかね?」


「わぁーい、やった!」


 村長には言いたいことがあるし、ちょうどいいだろう。羊羹、食べられるし。


 ──そう思って、村長にホイホイと着いて行ったのだった。




 ****




「本当に私が人身御供にならないといけないの? ︎︎ただでさえ、この村は若い人がいないんだからさ、私って貴重な存在だと思うんだよねぇー」


 村長の家の縁側にて。

 羊羹を食べながら、隣に座る村長と、のんびり話をしていた。村長の後ろには、お面男たちが正座をしたまま、ピクリとも動かない。足は痺れないのだろうか?


「私がいなくなったら寂しくなるよー。それにさ、私、村長のこと本当のおじいちゃんだと思ってるんだよ? ︎︎可愛い孫のお嫁姿とか見たいと思わないー?」


 嘘である。村長のことを実の祖父のようには、一度も感じたことがない。たぶん、この先もない。

 しかし、情に訴えることによって、何かが変わるかもしれない。私は期待をしながらチラッ、と村長を見た。


「お茶がうまいのぉ。千鶴さんも飲まんかね?」


「私も話、何も聞いてなーい!! ︎︎……あ、お茶ちょうだい」


 耳の遠い老人めっ!

 私は桜の花びらが浮かんだお茶を飲んだ。本当だ、お茶おいしい。


「千鶴さんや」


「何ー? ︎︎ていうかさ、この浮かんでる花びらって、『悠久桜』の花びらだったりする?」


「……籠目家の少女は十五歳になったら、神様に捧げられるんじゃ」


 私の質問には答えず、村長は話し始めた。


「知ってるよ? ︎︎私、十三歳だから、後二年しかないんだよね……。まぁ、その間に逃げようと思ってるんだけどさ」


「昨日も家出したらしいのぉ。鬼に襲われたと聞いたぞ。最近、怪異が異常に増えておるんじゃ。神様の力が弱くなっている証拠じゃのう。先週、村の者を集めて話し合ったんじゃ。少し早いが、そろそろ『儀式』を始めよう、とな」


「……はい?」



 今、村長がとんでもないことを言ったような……。



「籠目家の少女を捧げれば、春媛村は救われる。何十年も、何百年もそうしてきた。呪われた地で生きていくためには、こうするしかないのじゃ。許してくれ、千鶴さん」


「村長、なに、言って……?」


 すると、急に強烈な眠気が襲ってきた。手に持っていた湯呑みを落としてしまう。


 一樹君に睡眠薬を盛ろうか? ︎︎なんて考えていたバチが当たったのだろうか? ︎︎まさにブーメランだ。


「……私は、ただ……」


 普通の女の子になりたいだけなのに。


 ──視界が暗くなり、完全に意識を失ったのだった。




 ****




 私の想像する『普通の女の子』というのは、他の女の子たちが想像するものと、そう変わらないと思う。


 朝起きて、ご飯を食べて、学校へ行く。

 友達とおしゃべりをして、授業を受けて、好きな男の子の横顔を見る。


 放課後は友達と一緒に帰って、夕ご飯は家族と食べてみたい。『今日はこんなことがあったんだよ』って、話をしてみたい。


 ありふれた日常の中だけど、大切な人たちと笑い合える毎日を過ごせたら、どんなに楽しいだろうか。


 羨ましい。私には、きっと無縁の世界だ。


 怪異なんていなければいいのに。私が生きていてもいい理由が、たくさんあればいいのに。

 家出をして、真っ暗な夜にひとりきりで泣くのは、もう、いや……。


 ──あれ、でも。怪異が現れても、泣いていても、必ず駆けつけてくれる人が、私にもいなかったっけ……?


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