第50話 求めたのは誰の腕か。
「っ!」
咄嗟に子供を抱きかかえ、地面を転がって飛びすさるライリースの元いた場所には、棍棒がめり込んで敷石の敷かれた地面は無惨に蜘蛛の巣状に皹が広がった。
「ハッハッハッ!死ね!死ね!死ね!」
階段状の石造りの観客席を無造作に棍棒で殴り壊し、石の破片が辺りに散らばった。
破片は男の肌を細かく斬りつけ、砂埃の立つ中、果敢にもライリースを背に男の前に立ったアルシーヌを見ると、ニヤリと笑ってアルシーヌに近づく。
アルシーヌが剣を鞘から抜いて構えた瞬間、男は棍棒を持たない左手をアルシーヌに伸ばした。
その腕に剣を薙いだが、傷もいとわず男は左腕で剣を跳ねのけて払い、その手でそのままアルシーヌの首を掴み上げた。
「っ!」
あっという間に足が地面から離れ、アルシーヌの体は宙に浮き、その近くで剣が地面に落ちる乾いた音がした。
「ぐ……っ…!」
喉が詰まって息が出来ない。
首を掴む手に抵抗して両手で引き剥がそうと爪を立てるが、男の手の甲を引っ掻いただけで、なんの効果もなかった。
精霊たちの力を…。
そう思って一瞬、駄目だとアルシーヌは目を閉じる。
皆の前でこの力を使うことは出来ない。
「へへへへ…、苦しいだろ~?良いねぇ命がゆっくり消えてくこの感じ。一瞬で殺すのも気持ちイイけど、この感じも堪らないねぇ」
「…!」
こいつ…!
下卑た笑みを浮かべる男の表情が堪らなく気持ち悪い。
生理的な嫌悪感を抱いて、アルシーヌは空気が入って来ないで朦朧とし始めた意識の中で、精一杯睨み付けた。
しかし一秒一秒時が進むごとに抵抗する手の力が抜けていく。
もう、駄目だ、これ以上は…。
力を使役しようとする意識の中で、
「アルシーヌ!」
声が聞こえた。
視界の端に映る緋色。
「お戻り下さい、殿下!」
側に控えたタイガがレンを止めようとしてレンがその腕を振り払う。
レンの視線が自分を捉えるのが分かった。
段上で法王が立ち上がりこちらを向くのも霞む視界に捉えて、アルシーヌは拳を握る。
法王は危険だ。やっぱり力は使えない。
けど、
「も…駄目……っ…」
レンが腰に差した剣を抜いて走る。
法王は聖剣にそっと触れた。
そして、
「…ライ……リ……ス…!」
アルシーヌは呼んだ。
「…今行く」
子供を避難させたライリースが剣を抜き地を蹴った。
二人の男の剣の切っ先が大男に向けて走り、
――――閃光が天から走った。
空気を切り裂くような破裂音と、遅れて地面を震わせる程の重い轟音。更に遅れて、アルシーヌの体が地面に叩きつけられた。
「っ!!――ゴホッゴホッ!」
地面に転がったまま、急激に肺に入ってきた酸素にむせて体を丸める。
うっすら見開いた視界に見えたのは黒焦げになって悶える大男の姿。
そしてこちらに歩み寄ろうとする緋色。
「アルシーヌ!」
懐かしい声が自分に呼び掛ける。そして手を伸ばすのが見えた。
アルシーヌの視界が歪んだ。
それが己の瞳に溜まりつつある涙だとすぐには分からず瞼を瞬かせる。
それを遮るように、金色がアルシーヌを抱えあげレンに向き直った。
「人違いだ」
「何だと?」
毅然と言い放ったライリースとレンの視線が交わって沈黙する。
沈黙こそが見えない境界線の如く、互いに一歩も歩み寄ることを阻んで動きを留めた。
「悪い、も、大丈夫」
「無理をするな。………アルス」
偽名を呼ばれてアルシーヌははっとした。
はっとして決して振り向かない事を決めた。
ライリースはアルシーヌを地面に下ろして自分の外套に隠すように肩を抱く。
「……ああ」
アルシーヌはレンに背を向けたまま、
「行こう」
そう言ってアルシーヌは、振り切るみたいに未だごった返す出口に向かって歩き始めた。
ライリースは剣を仕舞ってアルシーヌと歩き出す。
それを見つめるレンの横にタイガが立つ。
「殿下。あの狂った大男なら勇者殿が始末するでしょうから、どうかお下がり下さい」
「……分かった」
タイガに言われなくてもこれ以上この場にいるつもりはなかった。
剣を鞘にしまって二人に背を向ける。
「それと、後程ご説明下さい」
逆にタイガは出口の二人を見つめて言った。
意外に頑固なタイガの言葉には、拒否権が無いような含みを感じ、レンは肩を竦める。
短く息を吐き出し「分かった」と、短く告げた。
闘技場ではオータが男を討ち取り、それにより安全が確保されたコロッセオには、戻って来た観客の歓声に湧いた。
しかし、安全な場所に避難していた西の王はの心中は穏やかではなかった。
「聖剣は自らの主人との出会いに雷鳴を轟かせた」
それは伝承の一節。
では一体誰と出会ったのだ。
西の王は、台座に収められたままの聖剣と、その傍らに神官に寄り添われて立つ法王を見上げた。
コロッセオから出てアルシーヌはふと足を止めて振り返った。
――――レン。
記憶の中と変わらない緋色の髪。
『アルシーヌ!』
記憶の中と変わらない声。
あの時、レンが自分に歩み寄り手を伸ばしたあの時、あの手を取ってしまったらどうなっていただろう。
駄目だとわかっていても自分はあの手を掴んでしまいたかった。
あの夜、自分を突き放したあの手を。
やっぱり、助けてくれたんだな。
あの夜、レンは自分を助けてくれたのだ。
レンは知っていた。
塔から落ちたところでアルシーヌは精霊たちに救われると。
「アルシーヌ?」
ライリースは足を止めてアスリーヌを振り返った。
「いや、悪い。なんでもない」
「…そうか」
ライリースは赤く痕の残ったアルシーヌの細い首にそっと触れた。
「痛くないか?」
「ああ、大丈夫だ。案外丈夫だろ?」
そしてライリースはアルシーヌを外套の中に隠すみたいに抱きしめた。
「なにすんだよ。また腹を殴られたいのか?」
「なんとなく、こうしたかっただけだ」
「変な奴」
でも、
「ありがとう」
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