第42話 紅の色を胸に


 この時、すでに両会議は今日の議題を終了して、運悪く同刻に広間に鉢合わせる事となった。

 その騒然とした空気は、棟から棟を繋ぐ回廊にいた二人にも伝わっていた。


「何?」


 アルシーヌは宙に舞う精霊達がそわそわとしている様子に足を止めて首を傾げた。

 レンは取ったままのアルシーヌの手に、僅かに力を込めた。


「また、宰相一派と長老一派が揉めでもしているのだろう」

「…でもなんだか…」


 行くなと精霊はアルシーヌの髪をツンと引っ張る。

 言い知れぬ不安でアルシーヌは表情を曇らせた。


「いつもと…」


 違うような気がする。

 アルシーヌが言わずともレンは当然感じていた。

 騒然とした空気が二人に届いて、不安は畏れに変わった。

 けれど、だからこそ行かなくてはならない。

 二人は若くとも、自分に課せられた責任がどういうものか理解できる位には大人になっていたからだ。

 吹き抜けの広間の二階部分。広間をぐるりと囲み見渡せるように作られた廊下に二人が着いたのは、丁度その瞬間だった。




「!!」

「父……っ」




 叫び声を上げそうになったアルシーヌの口をレンが塞いで、柱の陰に身を潜めた。


「レ…っ」


 口元に人差し指を当てて、レンはそっと様子を伺った。

 少し震えるアルシーヌの手をレンは力を込めて握って止める。

 身を潜めた二人の目の前で、宰相は素早く近くの小姓を斬り、昔の武勇を想像させるような大きな声で、国王殺しの罪を小姓になすりつけた。

 そして、それがあたかも文官達が仕組んだかのように煽り、広間は瞬く間に、剣の不得手な文官達の血でまみれた。

 そして次に宰相が口にした言葉は、アルシーヌの背筋を凍らせる事となった。




「あの魔女を捕えるのだ!!」




 躊躇いながらもその場に居合わせた将軍、武官はゆっくりと動きだす。

 躊躇いがあろうと、国王亡き今、この先、王位継承について揉めるのは必至。

 どのみち自分達が支持するのは王子に変わりがないとすれば、遅かれ早かれ王女は邪魔だ。

 そんな事は二人にも簡単に分かった。

 でも何故こんな事に?

 アルシーヌは父王の床に伏した背中を見下ろした。

 そんなアルシーヌの手を、レンは引っ張って走り出す。


「レン…っ!」

「走るんだ…!」


 思うように動かない足を、それでも走れとレンの腕はアルシーヌを引いた。

 元来た廊下を戻る形で走るが、アルシーヌの自室の方へと向かう足音が階下から聞こえた。

 それを避けて階段を登り、東の塔に渡る回廊に向かう。

 東の塔は日の出の塔と呼ばれ、新年を迎える朝に神事が行われる場所で、城の中で最も高い塔だ。


 部屋にいないとすぐに知られたのだろう。怒号が聞こえ、誰かが東の塔を示した。

 白いドレスが夜の暗さでも目立ったのかもしれない。

 程なくして背後に数人の足音が迫った。

 足にまとわりつく裾がやけに邪魔でアルシーヌはやっとの思いで塔の入り口に駆け込んだ。

 塔に入って入口の鉄格子の関貫を内側から止めて駆け上がる。

 気休めの関貫が僅かな時間稼ぎにしかならない事は分かっていたが、息を整える位は出来るだろう。


 階段を更に駆け上がると急に視界が開けた。

 そこは神事が行われるバルコニーだ。

 バルコニーの手前に小さな祭壇があり、小さな指輪が奉ってあった。

 祭壇は北の国に向かって造られている。

 ここはそもそも精霊王が北の復興を祈り、彼の地に力を送り続けた場所なのだ。

 レンは一瞬祭壇に近寄ってすぐにバルコニーへ向かった。

 バルコニーに出て見上げれば、日の光は見えず、ただ満天の星々が瞬いていた。


「なんで…」


 こんな事に。

 その問いに答える人間はいなかった。

 夜だと言うのに南の暖かい風が、アルシーヌの白いドレスの裾を揺らし、淡い栗色の長い髪をなぶる。

 アルシーヌは髪を押さえてレンを見上げた。

 揺れる緋色の髪の下から見つめる瞳は、何か言いたげな深い色をしていた。


「…」


 言葉を交わさない内に、遠くで鉄と鉄がぶつかる音が聞こえて、何かが壊れる音がした。

 まるでそれまでの幸せな現実が壊れた音のように耳に届く。


「……アルシーヌ」


 ものものしい足音は無粋に星空の下に響く。

 皮肉なほど満天の星空の下に。


「レ…」


 声より早く、レンの腕は力強くアルシーヌを抱きしめた。

 息苦しい程力強いそれは、自分を守ろうとする腕なのだと、そう信じた瞬間。






「お前は死ぬんだ」






 耳元で囁かれた言葉は、まるで死神の死の宣告の様に、騒然と迫る足音とはまるで違う静けさを持ってアルシーヌの耳に届いた。


「レ……」


 瞬きすら忘れる位の短い時間、アルシーヌの身体は軽い衝撃と共に夜の闇に舞った。


 その小さな衝撃がレンの掌からもたらされた物だと理解するのには、いやに長い一瞬の時間が必要で、瞬きを忘れた瞳に飛込んだ、優しいはずのその人の無表情な整った顔は、真っ直ぐに自分を見下ろしていた。


 自分の髪から外れて飛んだ紅の花が、押し迫って降り注ぐような星々を背景に、やけに鮮やかで、どこか現実味のない絵画のようだ。


 ああ、死ぬのか。


 そう思ってすぐ、アルシーヌの生まれ持った力は、無意識にそうはさせなかった。

 透明で巨大な人型がアルシーヌの前に現れる。


「風の精霊…」


 大きな腕がアルシーヌを包み、そして身体を拐った。

 風の精霊はアルシーヌの身体をフワリと地面に下ろして、すぐに消えた。

 見上げれば塔の上は騒然としていた。

 いくつかの松明が上から下を探って照らすように揺れている。

 ここにはいられない。

 アルシーヌは目を閉じた。

 とにかく城の外へ。

 そう思うや否やアルシーヌの姿はその場から掻き消えた。








「それから、世間知らずのオレは身につけてた物が高価な物とも分からず、隠しもしなかったせいで盗賊に襲われかかるは、質屋のオヤジにはタダ同然に安く見積もられるは、大変だったわけ」


 まあ女官長が頭を痛める位にジャジャ馬だったおかげで、剣技も出来てなんとか逃げれたけど。


「それで世間の荒波にも慣れた頃にお前と会ったわけだ」


 市場の店からリンゴを盗もうとしたアルシーヌを思い出し、ライリースは唸る。


「……ちょっと慣れすぎだな」

「…何か言ったか?」

「いや…別に」


 アルシーヌは自分の右手を広げた。


「オレは多分信じたいんだ」


 中指に指輪が鈍く光った。

 それは祭壇に奉られていた、精霊王の指輪。

 あの日、いつの間にかはめられていた。だからこそ…。


「レンはオレを助けたんだって」


 ライリースはそんなアルシーヌに片手を延ばすと頭に手の平をわしっと乗せた。


「…飯でも食いに行くか」


 何も変わらないライリースの笑顔にアルシーヌは微笑み返した。





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