第40話 交差して、行き過ぎる。
王子のお忍び。
そんな物は物語だけでなく、珍しくなく結構頻繁にいつの時代にもあった事だ。
伝承の四王も逸話はいくつも残していた。
中でも有名な逸話では『聖冠王の裁き』『騎士王、盗賊を退ける』などが挙げられる。
物語と違うのは、そうそうお忍び中にアクシデントなど起きないと言う事だろう。
馬をゆっくり歩かせて街並みを眺めた。
「随分と水路が整理されている…」
水と平原の国。その豊かさは四王の時代よりももっと前から吟遊詩人に詠われている。
豊富な地下水は西の国を干ばつの被害から守った。
国土こそ広いものの、その大部分が砂漠と荒野という厳しい環境の南の国からしたら羨ましい事この上ない。
「地下水路もかなり整理されているだろうな」
街の所々に地下水路への入口を見つけた。造りは自国とあまり変わりはないようだ。
南の国では上水路よりも地下水路の方が発達している。それは地表に水資源が少ない為に、地下から汲み上げるしかなかった為だが、同じ発展でも理由は違う。
西の国では豊富な水資源の為に地盤が柔らかく、建物の基礎を築く為に求められた水捌けと言う部分での発達だ。
いずれにしろ両国の土木建築における技術の発展はめざましいと言える。
「余って捨てる位なら分けて貰いたいものだな」
レンは呟いて海方向へ流れていく水路を眺めた。
そう言えば…と、先に見える路地を見た。
あそこだったなさっき見かけたのは。
先程見かけた姿を思い出してレンは目を眇めた。
背が伸びていた。
四王の内、北の王は精霊の血を濃く受け継いで、元々、性の定まらない者だった。
故に精霊王と呼ばれたのだが、闘いの中で聖冠王の命を救う為に自らの性を一つ差し出し、女性をなしたと伝えられている。
だからだろう。文献にはよく中性的だと言う表現が使われた。
170センチと言う身長は女性には高い。
やはりアルシーヌは北の王の血が濃く現れているのだろう。
伝承の時の中、北の王が女性ではなく男性となっていたならば、今ある歴史は…自分の環境は違うものだったのだろうか。
埒もない感傷だと内心笑い、レンはその場を後にした。
竜騎士が駐屯している広場を避けて、レンは市場の方へ赴く。
交易が盛んな国でどんなものが現在流通しているのかを調べるのは、財政には重要だからだ。
喉が渇いたな。
城を出て一刻半は経っているから当然の欲求だ。
手近な出店に持ち帰り用の飲み物が売っているのを見つけて、レンは声を掛けた。
「「これを一つ…」」
幾同音で声が重なって、二人は顔をお互いに見合わせた。
声の方に顔を向けると直ぐに視線があった。そしてその事に驚いた。
長身のレンと視線の高さが重なるのは至極珍しい事だからだ。
少し垂れ目がちの優しげな目元がレンを見て、整った顎のラインに形の良い口元が静かな笑みを湛えていた。
「先にどうぞ」
「そちらこそどうぞ」
「いえいえそちらこそ」
お互いに笑みを張り付かせて譲り合う様子は、何やら少し不穏な空気を孕んでいたのか、通りすがりの人々はチラリと見ては目をそらした。
「はいはい、二人ともこれだね」
店のおばさんが飲み物を握らせて、ベンチを指差した。
「色男二人でそこに座って飲みな。ちょうど空いてるよ」
なんでこいつと。
お互いに顔に一瞬そう書いて、にっこりと笑った。
「そうですね」
「じゃあ座らせてもらいます」
ベンチに並んで座ると程なくして、店は女性客がひっきりなしに訪れはじめた。
「…」
「……」
見事な金髪をチラリと見て、レンは尋ねた。
「この街の人ですか?」
それが否だと知っての質問だ。
レンは気付いていた。金髪の男がアルシーヌの隣にいた青年だと。
「違うが、何か?」
「ほお、ではお一人で?」
「違うが、何か?」
「では連れの女性は今どちらに?」
ライリースはピクリと眉を動かして、笑顔のまま答えた。
「……なぜそんな事を?」
対してレンも微笑を崩さないまま言った。
「休憩時間の世間話ですよ。ただの、ね」
「……」
何故この男はライリースが誰かと共にいると知っているのだろうか。
まして同行者が女だと。
ライリースは自分の外見が目立つ方だと自覚はしている。だから例えば自分を街中で見かけたとして、何故連れの性別が断定できるのか。
アルシーヌは男装をしている。
それも世間のご婦人達を色めき立たせる位の姿で。
それを見かけただけで女だと判断するのはかなり難しい事だ。
だとしたら可能性は一つ。
この男はアルシーヌの事を知っている。
ライリースはふいっと横を向いて目を細めると、ふっと小さく吐息を漏らして笑う。
「彼女は宿で寝てる。……夕べは眠らせていないもので」
わざと含みをもたせてそう言って、横目でレンを見たが、ライリースの見た所表情は変わっていないようだった。
ライリースは飲み物を口に運びつつ男の様子を伺った。
アルシーヌは南の王子を兄だと言っていた。ならば南の国の関係者か。
だが、そうだとしたらアルシーヌを見かけた時に何故何もしなかったのか。
分からない。
取り敢えず言える事は、なんとなく…。
―――この男は好かない。
―――この男は好かん。
レンはライリースの様子を伺いながらそう思った。
何が寝かせなかっただ。嘘くさい。
わざとそう言い放ったのが見え見えだ。
しかしだ。
連れが女だと聞いて驚かなかった。あんな男装をしているのに関わらず。
と言う事はアルシーヌが女だと知った上で同行していると言う事だ。
しかもその事を尋ねた俺を警戒した。
アルシーヌはこの男に事情を話したのか。
レンはライリースをチラリと見る。するとそのタイミングでライリースが言った。
「南の王子…」
「……」
気付いたのか。
レンは少し伏し目がちに飲み物を口にする。
「南の王子が来てるらしいが、どんな王子か知っているか?」
違うのか。
「………さあ」
「なんだ、知らないのか」
「…何でそんな事を聞くのか分からないんだが」
「てっきり南の出身かと思ったもので」
そう言ってライリースは笑って飲み終わった飲み物の器を握り潰した。
持ち帰り用に手作りで作られている、紙に木の樹脂を塗って作られたそれは、ライリースの手の中で小さく姿を変えた。
「……」
「剣の柄の飾り紐は、南の国の名産だろ?」
確かに、自然資源の乏しい南では、動物の毛から加工された物品が名産品として多い。
緋色の組み紐は幼い頃アルシーヌに誕生日に貰った物だ。
「…はっ…、その辺の物品店にいくらでも売ってるぜ」
「そうか…」
さてと、とライリースは立ち上がる。
「そいつはかなり不器用な職人の作品のようだ。文句を言った方が良いんじゃないか?」
幼いアルシーヌが乳母に教えられ作ったそれは、端のふさの部分の大きさが、明らかに左右で違っていた。
「遊び心ってやつじゃないか?」
「ふん…。それじゃ俺はこれで」
「二度と会う事もないだろからお元気で」
それには笑っただけで、ライリースはその場から立ち去った。
もう二度と会うことはない。
言い切ったものの、心の片隅で何かが引っかかったような感じがして、レンはライリースの後ろ姿を探した。
遠目に金髪が煌めいて、そして路地に消える。
ちくりと棘が刺さったような痛みを胸に感じた。
「なんだ……?」
やけにあの金色が脳裏にちらつく。
金色は………。
「……聖冠王の色……」
まさか…な。
以前、アルシーヌと聖冠王が同行していたら…と埒もない事を考えた事があった。
それがもし現実だったら…。
運命などと言う、簡単な言葉で片付けて良いものだろうか。
そんな想いを馳せていると、傾いたオレンジ色の陽光が眼に入り、レンに夕刻を告げた。
そろそろ帰らないとタイガが困るな。
変化の分からない表情の中に僅か浮かぶ、困窮の色を思い出してレンは小さく笑った。
「……殿下…」
たった一言の呟きで、人を反省させると言うのは大した才能だ。
タイガの低い沈んだ声音にそんな事を思いながら、
「すまない」
とレンは謝罪を述べた。
「…いえ、急ぎお召し替え下さい」
そう言うタイガは既に晩餐用に儀礼用の軍服に着替えていた。
タイガから衣類を渡されレンは有無もなく、急いで袖を通した。
それから宰相を交えた晩餐がつつがなく開かれ、その夜は更けていった。
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