第15話 あるいは集い、



 国を憂う青年達の集まりはもちろん聖殿だけではなかった。

 夜になれば酒場にも話の場を移したし、他にもいくつもの集まりがあった。

 その中でも有力な勢力が集まるとされているのが、今この酒場…店の名をトミーズダイナーと言った。


「オーナー、酒追加!」


 談義に熱を帯びていく若者達は飲酒のペースも上がり、いつしかすっかり出来上がりつつあった。

 そうなると話の内容は政治とは全く関係ない方向へ進むもので、ただの飲み会のようになっている。


「おいおい、あんまり飲みすぎるなよ?」


 人なつこい笑顔で店主は酒を運んだ。歳は三十歳前後といった所か。

 酒場の店主にしては筋肉の引き締まった身体で、日に焼けた肌と、海の潮で色の抜けたような茶髪は背の中程まで伸び、後ろで一つに結わえつけられている。


「俺達は国の為に色々考えてんですよー」

「ああそうかい。なら酔った頭を早く冷ましてまともな頭で考えた方がイイんじゃねぇか?」

「うっせえ」


 若者がぶんと振り回した拳を、店主は楽々と開いた手のひらで受け止めた。


「小僧があんまり意気がるんじゃねえぞ?」


 笑顔のままそう言うと、店主のトミーは掴んだ拳をぐっと握った。


「!」


 その強さに、若者は慌てて手を引っ込めた。


「拳を振り上げて、店の物を壊されたらかなわない。まあゆっくり飲めよ」

「あ…ああ」


 若者はトミーがカウンターに引っ込むのを拳を擦って見ていた。


「どうしたんだよ?」


 連れの若者が尋ねた。

 すると若者は掴まれた方の手を出した。手は少し震えている。


「……何て力だよ。骨が砕けるかと思った」

「マジかよ」


 やがて若者達は連れだって店を後にした。

 そうして暫くすると店の中には客人が一人と店主だけになった。


「騒がしくてすまないな。最近は国を憂う青年団とか、そう言うのに便乗してる輩も多いもんでね」


 店主はカウンターに座る男にそう言うと頼まれていた酒を注いだ。


「いや…」


 客人は安酒を傾け、そして店主を見上げた。


「トミーが海賊の末裔だと言うのはあながち嘘ではない気がした」


 客人が言っているのは、先程のやりとりを指しての事だろう。


「…先祖の事は関係ねぇさ。今は、ただ海で泳ぐのが好きな酒場のオヤジだからな」


 オヤジと言うには若い店主はカラッと笑った。


「ふぅん…」


 グラスの氷がカランと揺れて、客人の綺麗な頬のラインにランプの光が反射する。

 トミーはグラスを一つ手に取ると、布巾でキュッと拭き、チラッと客人を見た。


「そうだ、最近はコソ泥が義賊とか言われて巷では人気だって事だぜ?」

「ふん…」

「そいつの顔は仮面に隠されているが、たいそう美しい顔をしていると噂だ」


 客人は黙ってグラスの酒を一口あおった。


「ちょうどあんたみたいな黒髪で」


 客人のグラスがカタンとカウンターに置かれ、ふっとトミーの方に顔を向けた。


「それで?」

「闇夜の月…」


 客人の男はその名を聞いて口の端を歪めた。

 客人はこの店に最近良く出入りしているが、いつも集まってくる若者達を、カウンターの一番端で遠巻きに眺めているだけで、目立った動きはなかった。

 酒の注文以外トミーと口をきく事も。

 それが今夜は話掛けてきたのだ。

 トミーはこの男に興味が沸いた。

 それからトミーはこの男が自分と二人になる瞬間を待っていた事も同時に悟っていた。

 だからトミーは静かに尋ねた。


「何を知りたい」


 酒場には色んな情報が溢れている。

 また、トミーにはその他にも情報を掴む独自のルートを持っていた。

 それを求めて来店する者も少なくはなく、それを売ることもあった。

 恐らくこの男もそれを望んでいるのだろう。

 情報は力。

 これはトミーの持論である。


「……東の情報が欲しい」

「東?」

「そうだ」


 これは稀有な事を聞く。

 トミーはそう思った。

 この男が闇夜の月としたら、聞かれるのは貴族の情報とばかり思ったからだ。


「東、ねえ…」

「なんでも良い」

「東の国にでも移住するのか?」

「…」


 どうやら無駄な事は話したくないらしいな…。

 トミーはそう考えて、グラスと布巾を置いて、腕を組む。


「謝礼はあんたが何者か俺に正体を明かす事だ」

「…あんたの思っている通りだと言ったら?」


 闇夜の月。

 トミーは僅かの間、客人を凝視した。

 素性の分からない男。

 だが、臆する事なく情報屋に正体を明かした。

 なんて潔い。

 そして黒く夜闇の瞳はなんと澄んでいる事か。

 トミーは一瞬でこの男を気に入った。

 義賊と騒がれているからではない。惹かれたのは嫌に真っ直ぐな瞳だ。

 良いだろう。

 この男には情報をくれてやる。


「東は西と同じように小国に分裂した。その上、聖冠王が残した東の国は滅亡した」


 それは誰でも知っている事実。


「しかし、このところあの辺りでは妙な噂が流れている」


 そこでトミーは一旦言葉を区切り、少し声を潜めた。


「かつての東…聖冠王の城…白鳥城に幽霊が出ると」

「…」

「滅亡の途を辿って、十数年。誰も住まう事ない城に黒い影。聖冠王が荒んだ東の国を憂い夜毎現れては嘆いていると…な」

「……ふ…」


 闇夜の月はトミーの言葉を短く笑い飛ばした。


「…幽霊などこの世にはいない。そんな物は後ろめたい人間の後悔が見せる影か、何かにすがりたい盲信的で都合の良い幻覚にすぎない」

「幽霊話は信じないと思ってたさ。…ここからが俺の情報力だ」

「…」


 トミーと闇夜の月の影がランプの灯が揺れるのと同じように壁に揺れた。


「俺の情報では、十数年前に滅びたはずの東の国の騎士が数人、人目を忍んで定期的に城に出入りしているらしい」

「…なるほど」

「定期的に出入りして常駐はしていない」

「情報交換の場…か」


 闇夜の月は揺れるランプの灯を見て、一口グラスに口をつけた。


「どれだけ騎士たちが集まろうが、東の国の王は死んでいる。復興はかなわないだろう」

「ところが王子は生きているとしたら?」

「生きていると?」

「さあ?憶測?」


 闇夜の月は酒代と、それとは別に金貨を置いた。


「王子の情報が欲しい。また何かわかったら教えてくれ」

「ずいぶん羽振りが良いな」

「俺はコソ泥だからな。金銭には事かかない」


 トミーは金貨を摘み上げ、指で弾いて宙で回転させるとパシッと手の平で握った。


「…で、お前本当は何者?」

「言っただろう、コソ泥だと」

「ふん…。まあ良い。他国の情報が欲しいなら少し探ってやろう」

「…」

「見返りは、お前がもう少し世間を騒がせ、貴族の不要さを民衆に知らしめる事だ」

「…人の指図は受けない」

「はは、そうだろうな」


 トミーは戸口から出て行く背中を笑って見送った。

 闇夜の月か…。

 ただのコソ泥ではないな。

 場合によっては手を組める相手かもしれない。


「まずはヤツの正体を掴みますかね」


 そう呟くと、ひとまず店じまいをしようと、トミーは戸口のランプの灯を消した。




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