第10話 閉ざされた記憶は今、解放される
はっ、と僕は目覚めた。目の前に広がるのは森の光景。そして周りには、ネロさん、ロズさん、そして――
「紅也!」
僕の名を呼ぶ、蒼さんがいた。その声を久々に聞いて僕は涙が一つ零れた。
「蒼、さん」
意識がはっきりとし、そしてさっきまでの出来事を思い出す。AIアバターの「紅也」は、僕に託してその意識は消えた。そして僕はAIアバターの身体を借りて、箱庭世界へ来ているのがわかる。手足も動かせるし、今だって起き上がった。感覚はまだつかめていないところがあるけれど、それでも動けている。
「貴方、突然倒れたからびっくりしたのよ……!大丈夫なの?」
そうだ、箱庭世界の蒼さんは現実世界の記憶がない。だから、今は以前の『僕』としてふるまわなければならないことに気づく。
「はい、大丈夫です。……皆さんは?」
ネロさんとロズさんは大丈夫だと返事をしてくれた。
「僕のせいで立ち止まってしまいましたね。僕は大丈夫ですので、先を急ぎましょう」
そう、ここで立ち止まるわけにはいかない。この箱庭世界が消えるのに時間が迫ってきているのだから。
「って、まーたオオカミが!」
草影にいたのか、例の人食いオオカミがまた現れた。今度は数頭仲間を引きつれている。恐らく先ほどやられた仲間の気配を察知して、ここへやってきたのだろう。
「あと少しっていうところで……!」
祭壇へはあと少しという所だった。だがしかし、オオカミたちがその道を塞いでいる。するとネロさんが果敢にオオカミの大群へ割って入る。
「ここはやっちまうから、お前ら二人でさっさと行けよ!あ、ロズお前もここで一緒にいてくれ。怪我した時の治療役としてな」
「えーっ!?ちょっとネロ!?」
ぎゃあぎゃあと二人は騒がしくやりとりをしている。そんな中でもオオカミたちはおかまいなしに襲ってくるので、ネロさんは鍬で話しながら一殴りしている。
「わかりました。お二人とも、御無事で」
「おうよー。それはそうと蒼」
「何?」
ネロさんは蒼さんの方を向いて思いっきり笑う。
「じゃあな」
その言葉の意味を、僕はわかってしまった。多分彼女たちはわかっているのだ。この世界が消えてしまうこと、そしてこのイベントをクリアしてしまえば、箱庭の世界が閉ざされてしまうことを。
「ええ……。二人とも、気を付けて」
蒼さんはきっとその言葉の意味を解っていないのだろう。戸惑いながら、ネロさんへ返事をしていた。
二人を残して、僕と蒼さんだけとなった。ここから先、人食いオオカミは恐らく出てこないでくれと信じながら僕と蒼さんは、祭壇の方へと走って向かっている。森の奥から光が差しているのが見える。もうすぐ、あの祭壇までたどり着ける。
「いた……」
祭壇が見えてくる距離まで着くと、そこには一人の男性がぼうっと立っていた。歩いて近づくと、そこに立っている人物がはっきりと見えてくる。
「藍一郎さん……」
僕は見慣れたあの姿を見て、思わず名前を口にした。すると、僕が呼ぶ声に反応したのかこちらへ振り向いてきた。
「……紅也くん。そして、蒼」
藍一郎さんと思しき人物は、僕と蒼さんの名を呼んだ。蒼さんはその声に戸惑っている。
「貴方は、誰?」
「そうか、蒼は本当の自分を忘れているんだな。……紅也くん、君も無茶な介入でここに来ているとは」
それは何もかもお見通しだと言わんばかりで、僕も驚く。僕の目の前にいるのは本当にあの、藍一郎さんなんだろうか。流石に死者の魂がこのようなVRソフトに宿るわけでもなく。
「蒼。君はそろそろ思い出さなければならないね、本当の自分を」
「ど、どういうこと……?本当の自分って……」
蒼さんは突然のことに戸惑いを隠せていない。いきなり本当の自分を思い出さなければならないと言われたら、恐れを抱くのは当然だ。
「藍一郎さん、一体何を」
「紅也くんも一緒に辿ろう。蒼が何故ここにやってきたかという、本当の理由を。そして私がここにいることを」
藍一郎さんがぱちんと指を鳴らす。瞬間、僕と蒼さんがいる空間が真っ暗になった。
「蒼さん!」
暗闇に飲まれ、そして辺りが見えなくなる。まるで停電でも起きたかのように真っ暗で、何もわからない。
『大丈夫。そのまま目を閉じなさい』
どこからか藍一郎さんの声が聞こえた。僕はとりあえずその通りにして、目を閉じた。目を閉じると、そこには誰かの記憶が映し出されている。
――紅也さんとの婚約が破棄されたという話から数日後の事だった。
私はお父さまに直談判をしたけれど、やはり聞き入れてくれなかった。急な決定に私は酷く困惑し、身体もその日から崩しがちになっていたそんな中、私はある話を立ち聞きしてしまったのだ。
それはお父さまに愛人が存在し、その愛人との間に生まれた子供を空庭家の跡継ぎにしようという企みが聞こえてしまった。そして私に預けられているおじい様の遺産を力ずくで奪うという話もあった。この人はどこまで私を苦しめるつもりなのか。そしてお母さまはきっとそれを知らない。……いや、もしかしたらそれを知って海外へ行ったのかもしれないけれど。
そんな絶望の中、私はどうやって生きればいいのかと悩んだ。紅也さんは私を見放した。お父さまは私のことは眼中にない。お母さまは仕事で忙しいから、話すら聞いてくれないだろう。正直、この状況に命を自ら絶ってもいいかもしれない、と思ってしまった。私が生きる意味がないと、今ここでわかってしまったのだから。
ふと、おじい様が生前遺してくれたあるものに気づく。それは大型の本の形をした、VRソフトだった。そういえば、これをもらった時におじい様はこんな事を言っていたな、と思い出す。
『もしも、辛くなったらこの箱庭世界へ遊びにいきなさい。きっと蒼の助けになるよ』
その言葉を信じて、私はその日VR箱庭の世界へ飛び込んだ。苦しいことはない。悲しい事もない。そこにはただ、穏やかで平穏な日々がある。病気を気にしないで過ごせる世界が、そこにはあった。ただ不具合だったのかなんだったのか、現実世界での私の記憶は入った瞬間に消えていた。
蒼さんの独白のような記憶。僕はそこで初めて蒼さんが苦しんでいた事実を目の当たりにした。僕は、やはり蒼さんがこうなってしまった原因の一つを作ってしまったんだな、と再び後悔に苛まれる。僕があの時言わなかったら、と。
すると目の前が光に包まれていく。眩しくて思わず目を瞑る。光が弱まったので、恐る恐る目を開けるとそこには美しい庭園風景と、庭園の中央には白いテーブルとイス、そしてテーブルの上には茶菓子やお茶が置かれていた。
「これは……」
「紅也くんも早くこちらへ座りなさい。久々の再会だ、三人で少し喋ろうか」
気づけばイスに藍一郎さんが座っていた。そして奥には蒼さんの姿もあった。
「蒼さん……」
彼女は涙を流していた。もしかしたら彼女に記憶が戻ったのかもしれない。
「さ、二人とも。いっぱい話したいこと、あるだろう?」
藍一郎さんが穏やかな笑みを浮かべながら、僕たちを見つめていた。
第10話 END
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