第8話 雨降る箱庭で思うこと
その日、箱庭世界では雨が珍しく降った。いつもはからりとした晴れを見せてくれるのに、今日は箱庭が不機嫌なのか雨だ。
「……雨かあ」
蒼は紅茶を片手に、室内でお茶を楽しんでいた。いつも通りの蒼に対して、紅也はどこか落ち込んだ表情を浮かべている。蒼はそれが気になって仕方ないが、自分に解決する力があるのだろうか、と思っていた。
蒼も蒼で悩んでいることは一つあった。先日、祭の日に会ったあの老人が発した言葉。もうすぐ箱庭世界が崩壊するという言葉がとても気になっていた。
「(この世界が壊れるって、何?まるで誰かに作られた世界のように言うじゃない)」
一体この世界で何が起きているのか。蒼は気になるが、それを知る術がわからない。そんな事実に思わずはあ、とため息をついてしまっている。
「蒼さん、疲れているのですか?」
「……ん。ちょっと気になることがあって」
蒼の小さなため息に気づいた紅也が声をかけてきた。彼女が発した「気になること」という言葉で紅也は内心反応していた。恐らくは先日のあの話だろうと。
「この間の、あのおじいさんが言っていた言葉が引っかかっているの。もうすぐこの世界が消えてしまうって……」
祭が終わった後、蒼はずっと考えていた。この世界が消えるということは、つまり自身も消えるということ。それはすなわち――
「死、っていうことなのかしら」
紅也はその言葉を聞いて肩をわずかに震わせた。彼女の口からその言葉が出てくるとは思わなく、紅也はその後の言葉に詰まらせる。
「ごめんなさい、なんだかしんみりとさせるような事を言っちゃったわね」
「……さんは」
今しか聞けないかもしれない、と思い、弱々しくなる声を彼は振り絞った。
「蒼さんは、この世界でまだ生きたいですか?」
まっすぐ蒼の方を見ると、蒼はそれに戸惑いの色を見せた。突然、そんな事を言われ言葉も詰まる。
「……そ、そりゃ生きたいけど。でも消えちゃう話が本当なら――」
「僕はそれをくい止める方法を知っています。でもそれは、蒼さんが選択しなければならない。貴女が、本当の貴女として生きている世界へ帰りたいと願うのであれば」
この世界が消えない方法を知っているならそれはそうしたい、と蒼は願っている。だが、今の蒼には紅也のいう言葉から意図が読めない。
「後半のことはよくわからない。私に記憶はないのだから。でも、消えない方法を知っているのなら教えて頂戴!私は、この世界が好きだから」
今までにない真剣な眼差しで紅也に訴えている。意思のあるその瞳から、紅也は逃れることはできないと悟った。
「……わかりました。それについて明日、ネロさんをこの屋敷に呼んでもらっても構いませんか?」
「どうしてネロを?」
「今回の件は、彼女の力が必要だからです」
明日。この箱庭から、蒼がいなくなるかもしれない。その時がこの箱庭という名の夢が解かれる時。彼女が望んでいないとしていても、現実世界へ強制的に返される。だが彼はまだ迷っていた。穏やかな日常の中、このまま彼女と共に果ててしまおうか、と。そうすれば彼女はもう辛い現実には戻らなくて済むのではないかと思っている。だがそれは――現実世界の紅也がそれを許すわけがない。
「それじゃあ、明日ネロを呼んでおくわね。で、具体的には何をするの?」
「この依頼をこなします。場所は眠りの森。そこで僕たちは、とある方を見つけ出さなければなりません」
紅也は紙に書かれた依頼内容を蒼に渡す。内容は『箱庭にある「眠りの森」にて、正体不明の人物を探し出せ』という内容で記載されている。
「誰よ、正体不明って……ん?眠りの森……正体不明……まさか」
「恐らくは、先日僕たちが見たあのご老人の事ではないかと」
祭壇近くで度々目撃されているあの老人こと、空庭 藍一郎。この依頼内容は恐らく彼を見つけ出すことが目的の依頼――いや、イベントだ。どういう意図があってかこのイベントを仕込んだのかは、藍一郎本人に聞いてみないとわからない。
「じゃあその人を探し出して、話を聞けばいいのね。何よ、簡単じゃない」
「それがそうもいかないんです。この依頼を受けてしまうと、眠りの森にオオカミが登場するみたいなんです」
このイベントには障害物といえるものが発生する。それは人食いオオカミという動物が、眠りの森に現れるという。この世界には剣や魔法がないので、攻略としては逃げ回っては隠れるのが一番ではあるが、蒼と紅也はそれが苦手だ。だからこそ闘争心もあり、格闘術も使えるネロを呼びたいというのが理由だった。
「そうね、ネロがいれば安心だけど……あの子、確かお化けとかそういう類嫌いじゃなかったっけ?眠りの森だとそういうの出るって噂あるけれど」
「ま、まあ、大丈夫じゃないでしょうか……」
この間彼女と一緒に眠りの森へ行った際、幽霊に怯えている珍しい姿を紅也は見ている。オオカミが出ればきっと恐怖感はなくなるのでは……と思っているが、果たして。
「明日のために色々準備しておかなきゃだね」
「そうですね」
ついに明日、蒼と紅也はこの箱庭世界から出るためのイベントに挑戦する。彼らはこのイベントがとある人物との邂逅を果たすことを、知らぬままに。
――一方、現実世界。
つい先ほど、箱庭世界の紅也から連絡が入り、僕は仕事帰りに緑都の家へ寄った。
「これでお嬢サマ、救われると思うゾ」
「……」
「まーだ疑ってるのか、紅也」
僕は箱庭世界にいる僕自身を疑っていた。彼はこのイベントに挑戦することはしても、蒼さんの妨害はできる。彼はAIアバターといえど、最早自我を持った僕とは違う存在だ。緑都はここまで急成長を遂げるAIアバターは初めてだ、と驚いていたが。
「もちろんだ。これは『僕』だからわかるんだよ」
それでもあれは僕自身だ。もしも僕が箱庭世界に行ったとしたら、僕も彼と同じような思考と行動を起こすに違いないからだ。僕だって、蒼さんを幸せに過ごして欲しいと願っている。
「……はあ。本当にやるんだな、アレ」
「大丈夫、万が一にと思って誓約書も作ったから」
僕は鞄の中から一枚の紙を取り出す。それはこの後やることに何かが起きても責任を負わせない等と書かれた誓約書だ。友人といえど、これからやることは一歩間違えれば緑都を犯罪人にさせてしまう行動だから。
ため息をつきながら、緑都はその紙を受け取ってサインをする。そして戸棚の奥から緑都は何かを取り出した。それは細い腕輪のようなものだった。
「ほい。この腕輪つけてオレのベッドに寝ろ。……オレが合図したら、お前はあの箱庭世界へ飛べる」
「ああ」
「ただし。あのAIアバターと意識の喧嘩はするかもな。その時はなんとか穏便に、勝て」
「わかった」
穏便に、といきたいがもしかしたら口喧嘩はするかもしれない。僕は僕に怒りを抱いている。色々言ってしまうかもしれないけれど――
「無事、帰ってこれるようにするよ」
「……オレもそう祈っておくゾ。常に監視はすっから。可能な限りだけどナ」
緑都から受け取った腕輪を付ける。つけると、腕輪にある小さな穴からひっそり発光していた。そして緑都のベッドに寝っ転がり、静かに目を閉じる。ひと昔前は、頭に大きなメットを付けなければVR世界にダイブできなかったが、今はそういう大きな設備がいらない時代となった。蒼さんが眠りながら抱えている本型デバイスは、あれも最新技術で作られていると緑都が言っていたのをふと思い出した。
「そんじゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
僕は少し前からわかっていた。このままだとAIアバターの僕は、恐らく蒼さんをあの世界に閉じ込めたまま、崩壊の時を共に過ごすだろうと。そして幸せなまま、彼女と共に消えていく運命を選ぶだろうということも。手遅れになる前に、僕はあの世界へ干渉できないかと緑都に相談を持ち掛けていた。
技術上は可能であると聞いたが、何せ無理矢理遠方のVRデバイスに介入するものだから、その影響は未知数と緑都が不安そうに言っていた。彼も最初は猛反対をしていたが、僕としてはどうしても蒼さんを救い出したい気持ちが勝っていた。
だから僕は、僕に干渉することを決めた。そして蒼さんをどうにかして箱庭世界から脱出させる。
――だから、ごめんね。箱庭世界にいる僕。
ゆっくりと目を閉じ、僕の意識は遠くなっていった。
第8話 END
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