第4話 蒼き記憶
箱庭世界の紅也から再び状況報告が送られてきた。それは、あの箱庭世界の中で蒼さんの祖父である空庭 藍一郎さんがなぜかいたという報告だった。
「どうしてあの人が……!?」
メッセージを二度見三度見するくらい、僕にとっては驚きでしかなかったからだ。あの人は、もうこの世にいない存在だ。それは僕があの人の葬式にも出ているし、墓前にも一度訪れている。
この世界で何が起きているのかわからないくらい、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。一体何のために藍一郎さんは、あのVR箱庭を作り出したのか。そんな混乱した頭で思い出していたのは藍一郎さんと蒼さん、初めて会った時の出来事だった。
思い出すのは、彼女と初めて会った時だった。最初はこの縁談に乗り気ではなかったものの、僕の親と蒼さんの祖父の間で既に話が進んでいたため、断ることもできなかった。当時、蒼さんは十四歳。中学生だったので、当たり前だが抵抗があった。けれど、彼女の事情を聞けばそれは放っておけるものではなかった。
初めて空庭家へ呼ばれ、そして蒼さんと初めて会った日。僕を静かにそして優しく出迎えてくれた藍一郎さんは、蒼さんがいる部屋へと案内してくれた。
「すまないね、息子の
「いえ、僕は大丈夫です。お忙しいのは仕方ないことですし……」
蒼さんの父親――空庭 藍人さんはどうやら仕事で忙しい身であり、あまり家にも帰ってこない。そして母親の方――
「蒼、紅也くんが来たよ」
部屋のドアを藍一郎さんが開けると、そこには沢山の時計が沢山飾ってあった。藍一郎さんは時計コレクターとしても有名とは聞いていたけれど、これほどまでにと圧巻された。その時計群の中に、ひっそりと立っていたのが蒼さんだった。
14歳とは思えぬほど、美しい顔立ち。母親譲りの美しさが秘められた、ちょっと神秘的で近寄りがたい少女というのが僕の第一印象だ。
「こんにちは。そして、はじめましてだね」
「……」
話しかけても蒼さんは口を開くことはなかった。藍一郎さんが「ちょっと緊張しているようだ」と微笑んでそう言っていた。
「蒼、挨拶はしようね。これから君はこの人に沢山世話になるだろうから」
「おじい様。私は、その――」
憂いを帯びた表情で、彼女はそうつぶやいた。無理もない、僕と彼女では歳が離れすぎている。十四歳と二十八歳という、世間体的に見ればあまりよろしく思われない歳だ。きっと彼女は僕に対して恐怖と不安を抱えているのだろう。
「そろそろ誰かと話すことくらい慣れなさい。ただでさえ、学校で友達一人も作れてもいないんだから」
「そ、それは……」
僕はあらかじめ蒼さんの状況を聞かされていた。蒼さんは幼少から身体が弱く、それは今も続いている。そのため、学校にもあまり行けていない状況が続き、友人がまったくいないと聞いていた。だから人と会話するのが苦手なのも、それ由来だそうだ。
「いいかい、蒼。これから彼は君の病気の面倒を見てくれる主治医として付き合ってくれるんだ。彼に慣れてもらわないと――」
「それでも、私は……」
そういって蒼さんは部屋の奥へと潜むように座ってしまった。
「これは会う回数を重ねないとダメやもしれんなあ……」
「ははは……そうですね」
この日は別室で僕と藍一郎さんとで、蒼さんの今後の事について話をした。藍一郎さんが丁寧にこの家のこと、そして蒼さんとその家族についても詳しく教えてくれた。蒼さんの父親は蒼さんの存在自体はどうでもいいと思っていること、そして藍一郎さんが持つ財産を狙っていることだった。外部者である僕がそれを聞いていいものかと尋ねたが、藍一郎さんは「これから君は家族の一員になるのだから」と優しく微笑みながら、そう語ったのを印象に残っている。
帰り道、運転する車の中で思ったのは彼女とは真摯に付き合わないといけないと思った事だった。彼女の病気は身体だけでなく、精神にも直結している。精神が不安定だからこそ身体を崩しやすく、そしてなかなか外の世界へ出ることができない。
まずは僕と話すことに慣れてもらわないと、今後が厳しい。診察すらさせてもらえないかもしれない。けれど――
「どうしたら打ち解けてくれるんだろうか」
頭を抱えながら、その日から僕は空庭家に訪れる度に彼女へ何か一言でもいいので声をかけるように、そう心掛けて行動した。
その後数回、空庭家へお邪魔をしつつ、同時に僕の仕事である彼女の診察もした。
やはり精神が非常に不安定で、身体にも影響がきている。彼女にそう説明すると「そう」と一言だけ発して、あとは僕の話をただ聞いているだけだった。会話という会話もろくにできず、こちらの顔すら見てくれもしない。僕にとって相手をするのには骨が折れるくらいには、彼女の心はなかなか開いてくれなかった。
そんな時、藍一郎さんが部屋に入ってきた。にこにこと笑いながら、何か大きな箱を持っている。
「蒼、そして紅也くん。今日はちょっと遊ぼうか」
突然の出来事に、頭の中で疑問符が浮かぶ。一体何を始めようとしているのだろうか。
「ボードゲームでもしよう。すごろくになっているやつなんだが、最近出たばかりでね。私がやりたいんだが、一緒にやる人がいない。どうだ、二人も一緒にやらんかね?」
僕と蒼さんはきょとんとした顔で、目の前にてきぱきと手際よく藍一郎さんはそれの準備をした。藍一郎さんは僕に赤の駒を、蒼さんに青の駒を手渡した。それをスタート地点に置くと、自身のコマである黄色い駒を置き、ゲームが始まった。さいころを振って、出た数字だけ進めていくシンプルなゲーム。けれど当たったマスでは、散々な目に遭うことや、逆に幸運なことにも当たったりと一喜一憂する内容だ。
「あ。2マス戻る……」
蒼さんはしゅんと落ち込んだ顔をしながら、駒を2マス戻した。藍一郎さんはそれを見て、大丈夫だよと慰めている。
「あー……。僕は6マス戻るになった……」
僕はあまりこういったものをやらないが、少しだけ弱いことはわかっている。高校の時、緑都と一緒にトランプのゲームをした時も僕が真っ先に負けていたからだ。こういうことにはどうにも弱いらしい。
「二人とも、似ているのかもだなあ」
「え?」
藍一郎さんが突然そんなことを言い始めた。蒼さんもどうやらこういうゲームものには弱いらしく、藍一郎さんと一緒に遊ぶ時もやはり蒼さんが毎回負けていたと静かに語った。
「あの、おじい様。私、そんなに弱くない……」
「そうかなあ?君は毎回負けている気がするがね?」
ぐぬぬ、と蒼さんは悔しそうな顔をしている。こんな表情を見たのは初めてだった。いつも澄ました表情しか見なかったものだから、少しだけ笑ってしまった。
「……何が可笑しいの?」
「いや、蒼さんも悔しがるんだなって」
蒼さんはさらに頬を膨らまして怒った。
「毎回負けたら悔しいに決まっているでしょう?まったく、失礼な医者ね」
それを見て藍一郎さんはにこにこと笑っていた。多分、藍一郎さんはこういうことを望んでいたのだろう。僕と蒼さんの距離を縮めるために、このボードゲームをやることを。
「よーし、じゃあこういうルール変更にしよう。どのみちこのままだと私が先にゴールする。ならば、蒼と紅也くんどちらかが先にゴールまで行ったら、負けた人が先にゴールをした人のお願いを絶対聞くことにしようか」
「えっ!?」
「……負けられないじゃない」
そうして僕と蒼さんの、お願い事を聞く権利を賭けたゲームが始まってしまった。僕たちはゲームが弱いもの同士だから、決着がつくのに時間がかかったが、その勝負もついに決着がついた。
「……僕の勝ちだね」
「……」
蒼さんは無表情で、僕の駒がゴールしたのを見ていた。
「おー、紅也くんの勝ちだ。おめでとう!……それじゃあ、お願い事でも言ってもらおうかね」
そういえば何も決めていなかった、とゴールしてからはっとして気づく。悔しさに満ちた表情で、蒼さんは僕のことを見ている。早く言いなさいといわんばかりの圧が押されている。
「んー……じゃあこうします。蒼さんともっと仲良くなりたいので、ちゃんとお話をしませんか」
その瞬間、蒼さんの肩がびくりと震えた。藍一郎さんはそれを聞いて、豪快に笑う。
「いいねえ、そのお願い事。どうだ、蒼。今日は楽しかっただろう?」
「それは、そうです、けど……」
そっぽ向く蒼さんに、僕は話しかける。
「蒼さん。きっと僕との歳が離れているから、恐れられているかもしない。でも僕は、貴女の病気を一日でも早く改善していきたいと思っている。そしたら蒼さんが自由に外で遊べるようになる時も来るかもしれない。僕はその思いで、ここに来ているんだ」
震える手に、僕はそっと自身の手を重ねた。小さく、そして緊張で冷たくなっているその手を。
「……それでも嫌ならはっきり嫌と言ってもいい。僕じゃなくても、優秀な医者は他にいる」
「そうじゃ、ない」
蒼さんは震える声でつぶやく。
「私は、貴方の事を悪く思っていない。ただ警戒していたの。私に近づく人は皆、奇異の目と富を手にしたいという下心を持った人だったから。……でも貴方はそうじゃないと、ここ数回会って思ってた。でもわからなかった。どうしていいのか、わからなかった……」
初めて彼女の口から聞いた本音。それは幼い頃から、ずっと纏わりついてきたいわゆる呪いのようなものだったのだろう。それで彼女は他人と仲良くしようという気持ちが一切なかったのは、そこから起因していたというわけをようやく知れた。
「少しずつ、僕に慣れてもらえたらいい。僕を利用して、他人と触れることを知ればいい。それでいいんだ。……多分、僕がここにいるのはそうなんじゃないかなって」
その時だった。僕の手の甲に一つの雫が落ちてきて当たった。それは蒼さんの目から溢れる大粒の涙。
「蒼、大丈夫だ。彼は君のことを悪いように扱わない。……そういう人を選んできたのだから」
横で、にこっと藍一郎さんは笑った。全ては彼が出会わせたようなものだった。
その後は蒼さんも次第に僕に慣れてきた。むしろ彼女から攻められたりする日々を送るのだが、それはまた別の話。
僕と蒼さん、そして藍一郎さんとで集まってはよく遊んでいたが、それは半年後に叶わなくなってしまった。藍一郎さんの急死により、彼はこの世を去ってしまった。莫大な遺産とそしてコレクションしていた時計を、全て蒼さんに託して。
遺書はどうやら生前に書いていたそうで、それを聞いた蒼さんの父親が激怒し、なんとしてでも蒼さんから遺産を奪おうと横で狙っているというのを、あの家のお手伝いさんから裏で聞いた。
それから、蒼さんは一時期元気を無くし、体調を崩しがちだった。僕はその度に駆けつけては治療にあたっていた。それが彼女にとってどうやら大きな支えと感じていたようで、体調がようやく安定してからは彼女からある一言を僕は聞かされる。
――私は、貴方の事が好き。貴方は……紅也さんはどう思っているの?
夕暮れに染まる部屋で、蒼さんからの突然の告白に僕は少し戸惑った。けれど、僕もまた一緒に過ごしているうちに、自然と彼女の事を好ましく――そして愛するようになっていた。歳が離れていようとも、僕の心は彼女に対して惚れこんでいたのだから。
蒼さんにそう伝えると「嬉しいわ」と満面の笑みで僕に抱き着いた。小さな身体を僕は優しく受け止めた。藍一郎さんがこの世を去って寂しいかもしれないけれど、僕は僕なりに彼女の傍で支えてやると、その時誓ったのだ。
多分、藍一郎さんはそう思って僕と蒼さんを引き合わせたのだろう、と。
思い出せば、この3年間は彼女に対してつきっきりのことが多く、こういう人生になるとは思わなかった。でも家が医者家系である僕にとって、以前の日々が窮屈と感じていたからこれで良かったのかもしれない、と今になって思う。
彼女と出会ってから退屈だった日々は僅かに色がついて、そして共に過ごしては、互いにその日々を楽しんでいた。それで、それだけでよかった。なのに――
後悔するより、まずは彼女をあの世界から脱出させないといけない。それが今の優先すべきことだ。
メッセージを最後まで読み切っていなかったのを知って、僕はスマホの画面をスクロールする。すると、箱庭世界の僕が珍しく私信を書いていた。
『蒼さんは、この世界だと友人を作って楽しんでいる。僕は今、迷っているんだ。現実世界に返してもいいのだろうか、と』
第4話 END
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