お小遣い勇者とガチャの魔王

五色ひいらぎ

お小遣いじゃ勝てない

 通知表を開いたママの顔に、みるみるしわがよった。「1年A組 平坂勇司ひらさかゆうじ」と書いてある表紙が、ママの手の中で細かく震えている。


「ごめん。4、なくなっちゃった」


 僕の言葉に、ママは返事をしない。眉毛の端をぴくぴくさせながら、大きな溜息をつくばかりだ。これは本気で怒ってる。

 4や5が増えたら、お小遣いをアップしてもらう約束だった。でも二学期の通知表からは、ひとつだけあった国語の4さえなくなってた。国語は3、体育と音楽は2に下がって、あとは全部もともと3。


「謝るくらいなら、ちゃんと先生の話を聞きなさい」


 ようやくママが口を開いた。僕の目を真正面からにらみながら、すごく低い声で。

 ああ、逃げたい。早く部屋に帰ってゲームしたい。


「一学期も言ったでしょ。勇司、あなた、成績だけなら4くらいにはなれるのよ。ほら、下がってるのはここ、『主体的に学習に取り組む態度』が――」


 やっぱり始まった、ママのお小言。

 授業をちゃんと聞きなさい、宿題はちゃんと出しなさい、わからないことは先生に質問しなさい……どれかひとつなら三日に一回、全部セットだと月に一回くらいは言われてる。今日は、学期に一度のスペシャル豪華版。全然うれしくない。

 制服のブレザーもまだ着たままなのに、ママの話は延々終わらない。ねえママ、いつもと違うところだけまとめて。同じ話はもういいから。


「……勇司。わかった?」

「わかったよ。わかってるよ」

「なら、いいんだけど」


 お小言がようやく終わった。部屋に上がろうと、学生鞄を持って階段へ向かうと、背中からママの声が飛んできた。


「勇司。このまま成績下がったら……三学期は、お小遣い減らすからね」


 心臓が大きく鳴った。

 今日、一番恐れてたこと――お小遣い減額。でもとりあえず、今じゃないっぽい。なら、もうお話はいいや。

 聞こえているママの声を振り切って、僕は階段を駆け上がった。




 自分の部屋に入って、鞄からスマホを出す。スイッチを押すと、黒かった液晶画面にぱっと光が灯った。「7月20日 17:54」の表示の後ろで、見慣れたブルードラゴンが待受画面に寝そべっている。

 一日のうちで、いちばん好きな瞬間だ。やっと僕の時間が来た!

 ブレザーを脱ぎながら、画面右下のアイコンをタップすると、見る間に画面が白く染まる。ゲーム会社のロゴの後ろから、待ち受けと同じブルードラゴンが飛び出してきた。大口を開けて吼えると、浮かび上がる「ランド・オブ・デスティニー 宿命の大地」の金文字。毎日見てるけど、何回見てもワクワクする!

 画面下の「ゲームを始める」ボタンをタップすると、お知らせが出てきた。


「ガチャが更新されました! 新SSR『雷神剣』水属性に3倍ダメージ! ピックアップは7月25日まで!」


 画面の真ん中で、剣がくるくる回る。刀身では小さな稲妻がたくさん光ってて、柄には雷マークの飾りがいくつも付いてて、超かっこいい。今やってるイベントの敵は水属性だから、これがあったらすごく強い。

 僕は学生鞄から財布を出した。中のお金は……3021円。おとといもらったお小遣いのおかげで、ギリギリ3000円を超えている。けど今日使ってしまったら、来月までは残金21円だ。

 財布とスマホの画面をしばらく見比べた後、僕は、心を決めて普段着――Tシャツとジーンズに着替えて、部屋を出た。




 三十分後、僕は近所のコンビニから戻ってきた。握り締めた3000円、つまり十連ガチャ1回分のポイントカードは、汗で少しやわらかくなっていた。

 コードを一文字ずつ、間違えないようスマホに打ち込む。


「魔鉱石3000個を購入しました!」


 画面が、赤く燃える祭壇に切り替わった。画面の真ん中に「ガチャを引く」ボタンが出た。

 手のひらに、また汗がにじむ。

 一ヶ月のお小遣いは千円。十連ガチャは三千円。三ヶ月に一回だけの、ドキドキ。


(雷神剣……当たれ……!!)


 祈りながら、震える指先でボタンを押す。

 画面が白い光で包まれて、虹色の玉が十個現れた。玉が金色に変われば、SSR大当たりだ。

 三つ目までは銅、ハズレだった。四つ目で銀色、SR小当たりが出た。五つ目から九つ目までは、また銅ばかり。

 心臓がばくばく鳴る中、最後の十個目を、見守る。


「……ダメだ……」


 思わず声が出た。

 十個目、銀色。雷神剣どころか、他のSSRさえ出なかった。

 スマホを、ベッドの上に叩きつける。

 4のない通知表をもらった時より悔しい。どうせ僕は、勉強も運動もたいしてできない。だから通知表が悪いのはしょうがない。諦められる。

 でもゲームは、がんばればなんとかできる。レベルを上げてスキルを鍛えれば、僕でも結果を出せるはずなんだ。

 だのに、アイテムだけが――ガチャだけがどうにもならない。

 いいアイテムさえあれば、ガチャさえ引ければ、勝てるはずなのに。他は全部揃ってるんだから。

 でも愚痴っても、魔鉱石も雷神剣も湧いて出はしない。気を取り直して、僕はゲームを再開した。

 イベントエリアに行くと、大勢のプレイヤーが半魚人モンスターを狩っている。うち半分くらいが雷神剣を持っていて、ものすごい速さで敵をなぎ倒していく。

 僕も手近な半魚人と戦った。でも、ようやく体力を半分くらい削ったところで、他のプレイヤーが横殴りしてきた。雷神剣の一撃で、半魚人はあっさり倒れてしまった。


「おせーよ(笑)」


 横殴り野郎が、捨て台詞を残して去っていく。

 僕は動けなかった。動けないまま、画面の外で泣いた。

 大人はずるい。好きなようにお金を使えて、好きなだけガチャを引ける。

 お金持ちの子はずるい。僕よりずっとたくさん、ガチャを引ける。

 僕だって、ガチャさえ引ければ勝てるはずなのに。


「引きたい……ガチャ、引きたい」


 ベッドに体を投げ出して、枕に顔を埋めながら、つい声が漏れた。


(ガチャを引かせてくれ。好きなだけ、引きまくらせてくれ)

(そのためなら、僕は――)


 ぐるぐる考えるうち、僕の頭は、重くなっていった。

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