第五話〝霧の眠り子〟



「チカ……くん……」


 私はチカくんと別々の小屋に連れていかれた。思わず水筒を抱えた手が震える。

疲れ切っていた身体は逆らうことを許さず、そのまま耳長族の男たちに連れていかれる。

彼らの村といえばいいのだろうか、木と藁紐で組み上がった私の家よりずっと簡素な小屋があった。

寝て、雨風を凌ぐだけが目的のような、そんな家だった。


「2人からメガネを没収し……いや、不要だ。縄で縛るだけでいい」

「? それだけでよろしいのですか? 」


 何やら二人が喋っているが、私はそれを把握することもできずに、

チカと離れ離れになって行くことに鈍く抵抗しながら、意識を落としていった。

最後に見えたのは、長くて後部にかけておぼったく伸びている彼らの耳だった。


「こんなものに頼ったら……耳が悪くなる」


最後に聞こえた言葉が、それだった。



※※※



 動物の肉を齧る音で目が覚めた。縄で手足を拘束されているにも拘わらず、

何故かしっかりとしたベッドに寝かせてくれたおかげか、体力は回復していた。


「チカくん……チカくんは……」

「目が覚めたか」


耳長の男は食べかけの肉を葉の皿の上に乗せて、食事を中断する。


「ツレのガキは別の小屋にいる。……お前たちが無害であるという保証はないから……

 悪いがいくつか質問をさせてもらう。いいか? 」


 この言い方、多分向こうも私たちがただの子供であると推測している言い方だ。

直ぐに疑われたり、危害を加える気は無いのだろう。私は軽く頷いた。


「……お前たちはその……南の村の冒険者なのか? 」

「はい……あ、いいえ、……市場が公認して……は、ないんですけど……」

「なんだ。ごっこ遊びか」

「遊びじゃ……」


ムカッとしてしまったが冷静になる。命あっての冒険だ。私は目の前の耳長の男を何も知らない。


「……ふむ、そうか、まぁいい。

 2日後、お前たちの村の市場の副商長が来るらしいからな。そこで引き渡す」

「な、な、なんで!? 」


 市場の副商長なんてすっごく偉い人が、どうしてここに来るのか、私はとても驚いた。

御伽噺の存在である耳長族のことを、その人が知っているとは只者ではないのかもしれない。


「オレ達が〝チカテツ〟を縄張りの一部にするほんの少し前から、

 南の村の市場の人間との交流があった。小競り合いになったこともあった。

 こっちは耳で戦う。霧の中で弓を使って応戦した。

 戦いではコチラが有利だが、数では負けてしまう。

 そこでそちらの副商長が数年前からこっそり、仲良くなる話し合いを提示しているらしい」


 御伽噺の耳長族と取引した珍しい物を市場で売れば凄まじい利益を独占できるはずだ。

耳長族と仲良くなれば、いいことばかりだと私は思った。

しかしかれこれ数年間ずっと、その話し合いが上手くいっていないという。〟


「そいつにお前たちを引き渡す。それで話は終わりだ。

 人質や交渉の材料にはしないだろうな。オレ達は誇り高きミミナガだ。

 メガネに頼っているやつらとは違うのさ、穏便に済めばそれでいい」


 残りの肉を食べ終わったら、今度は弓や道具の手入れをし始めた。

この人たちは何百年もメガネに頼らなかった一族だ。

視界がかなり制限されているというのに、何故ここまで不自由なく生活できるんだろう。

切り株に、鑢の代わりになる粗目の石を置き、そこで太い木の枝を研いでいる。


「良かったな。無事に家に帰れるそうだ」

「はい。ありが……」


 違う! 違う違う違ーーう! 家に帰れると聞いて、安心しちゃったけど、

それじゃあダメなんだ。だって、私とチカくんの旅が終わっちゃうんだもの!

お母さんの元に連れていかれたら今度こそ、もう二度とこんなワクワクに会えなくなる。

あの絵本の……あの景色を目指せなくなるなんて、そんなの嫌だ。


「質問をするのは構わないが、そこまで長く喋るのは良くない。

 お互いに情が移ったら面倒だからな、いいか、食事と寝床は……」


 どうしようどうしよう……ここで冒険が終わっちゃうのはダメだ。

私にはもう耳長の男が何を言っていてもどうでも良くなった。

それどころではない。あと2日……それまでに……



ここをチカくんと抜け出して……ここから逃げるしか……でもどうやって……



※※※



 そのまま1日と半分が過ぎた。結局私は時間の殆どを無駄にしてしまった。

行動の自由が制限されているので、食事と睡眠を繰り返していた。

耳長の男もとりわけ貴重な情報を喋ってはくれなかった。

もどかしいと思いながらも、考え事ばかりしていた。


(てっきりメガネも奪われると思ったけど、この人たちは本当にメガネに興味ないんだ)


 また数十分過ぎて、見張りの男はウトウトと首を揺らし始める。

それもそのはず、何せ今は日の出前の時間、明るくなるギリギリの時間帯だ。

耳長の男は私たち2人に、そこまで厳しい追及はしなかった。それに、食事まで与えてくれた。

だけど、私はこんなところで止まっていられない。やっと面白くなってきたばっかりなんだ。

あの〝チカテツ〟の暗闇を二人で歩いた時のドキドキは、

きっと、もっと続くんだって思ったから、


(だから、私は……)


 その時だった。村が、いいや、ここら一帯の森が揺れたような感覚に落ちた。

音? 鈍くも鋭くもある重低音に小屋が揺れる。耳長の男が飛び起きて急に苦しみ始めた。


「あああ、ぁあああ、う、うるさい! なんだこれは! 」


 目の前の見張りだけではない、村全体がその特別な音に苦しんでのたうち回っている。

私も五月蠅く感じてしまったけど、彼らほどではなかった。


(そっか、この人たちは、〝耳が良過ぎる〟んだ……だからうるさくて堪らないんだ……)


 これはともかくチャンスだった。

村中の視線を掻い潜ってチカくんを探すのは無理かもしれないけど、村の外に出ることはできる……

私は、足をばたばたさせて靴を脱いだ。靴下も、

腕の縄は無理でも、裸足になれば、足の拘束だけならなんとか抜け出せる。

2日もそのままだったんだ。少しずつ力を入れていけば、多少なりとも緩む。


(私と同じことをチカくんも考えているんだったら……村の外で会えるかもしれない……

できるだけ離れないと! メガネが無くても自在に活動できるこんな凄い人達が弱ってるんだ。

これが最後のチャンス……)


 私は窓から飛び降りた。裸足に石ころが刺さる。とっても痛い。

そのまま転んでも這い上がって、挫けずに走る。

時々自分の家の美味しいご飯が懐かしくなるけど、でも、今だけは帰りたくない。

私は見てない。まだ納得してない。

チカくんは、お兄ちゃんと同じメガネを貰えるくらいの凄い冒険者になりたいんだって……

だから私は……チカくんとあの、絵本の景色を……〝メクジラ〟を見るんだ……!!


「う、うぅぅう、ま、待て! 」


 音の正体はわからないままで、しかも裸足で、この霧の中で、

チカくんのお兄さんのノーマルなメガネで走るのは、正直無謀だった。

視界5mの中を逃げるように走る。絶対に走ってはいけないと教えられてきたのに、走る。

耳長族の得意の矢も、音の妨害で飛んでこない。何も考えられなかった。一心不乱だった。

途中の固そうな石で手首の縄を切断する、なんて名案も浮かばなかった。

気分が高揚していたのは、このズシンと響く音のせいなんかじゃない。

家族の中で自分だけ、冒険に心を惹かれていたんだ。

それが、窮屈で仕方が無かった。そんな気持ちが私の背中を押してくれているんだ。


「あ、あ、ああああ! ああああああ! 」


 私は叫んだ。とても気持ち良かったから、いつの間にか謎の音も消えていた。

でも耳長の男たちは追ってこなかった。村中がパニックになっているのだ。当然なのかも、

いつのまにか足がボロボロになっていた。切り傷でパックリ切れている。

でも全然痛くなかった。こんなのへっちゃらだ。風を切る音も、土を踏む音も気持ちが良かった。


「走るんだ。走るんだ。チカくんと合流すれば……絶対なんとかなる……

 もっと面白いモノを……色んな色の景色を……見に行けるんだ! 」


 私は足を進める。ドロドロに汚れて、前も後ろもわからなくなっても走り続ける。

そうしていくウチに、ふと、霧を貫通するかのような、光が見えた。

光じゃない。……生まれて初めて見る色……私はその方向へ行く。

絵本でも観たことが無い、澄んだ薄い、けど豊なその色を、

私は生まれてからの知識ではどう形容すればいいのかが分からなかった。

だから見る、近づいて、ちゃんと見た……


「……タマゴ? 」



※※※



 〝チカテツ〟の中を掘り進んだ時と同じ、未知なるものを掴むドキドキ……

ひとりでに輝くその卵にゆっくり触れて、割れないように確かめる。

心臓の鼓動が聞こえたわけではないけど、絶対に何かがあると確信した。

チカくんがコレを見たら、きっとこの気持ちを分かってくれるに違いないと思った。


「でも温める方法とかわかんないし、こんな無造作に草むらに卵が……

 そもそも何の卵なんだろう? ……凶暴な動物だったら……」


 私はさっきの音と関係があるのかなと思いつつ、その卵を抱きしめて木にもたれかかった。

どっと疲労感が襲ってきた。興奮が途切れたのかも知れない。

やっぱり足の生傷は痛かった。今頃になって痛みが出てきた。

どう考えても持ち運びに不便だったけど、私はその卵を手放せなかった。


「綺麗……霧の中にも負けない……ステキな光……」


 私はその卵に見惚れてしまって、割れないように布や植物で包もうとも考えられず、

しばらくじー……っと、その卵を見つめていた。だから背後から来るその男に気が付かなかった。


「おや? そこのお嬢ちゃん……こんなところでどうしたんだ? 」


 私は慌てて振り返る。今度こそ耳長の男が追いかけてきたのかと思った。

卵を抱えてここから逃げることなんてできない。

だから覚悟を決めたのだが……よく考えたら、耳長の男が追いかけてくるには早すぎる。

それに目の前の男は、私たちと同じような服装に加え、シルバーランクのメガネを付けている。

ついさっきまでこの一帯を襲った謎の音の中で、

これほど自由に動き回れるのは耳長族ではなく普通の人間だけだ。ということは、この人が……


「もしかしてあなたが、副商長の……」

「おぉ、子供なのにオレを知ってるのか、

 それよりその卵……まさか〝空飛ぶクジラ〟の卵なんじゃないか? 」


 私は言葉を失った。〝空飛ぶクジラ〟という言葉を聞いて、思うところがあったからだ。

私が幼少から何度も読んでいたあの絵本に出てくる……

〝メクジラ〟の群れは確かに、空を自由に飛んでいる。

虹色の光は霧なんかに負けずに、山や渓谷の峯に沿って堂々と泳ぐ様は、

この世界にもっと、鮮やかな色と可能性があることを示すかのようだった。


「今、なんて言ったんですか!?」


 副商長の男も詳しいことは知らないようだったけど、どうやら空飛ぶクジラの卵と似ているという。

この霧の中でもこんなに目立つ卵なので、決定的だということだった。

そのクジラの名称のことを、あの絵本ではメクジラ、という名前になっていた。

私の目標……こんなところでそのきっかけに出会うことになるなんて、


「それはそうとして、酷い怪我じゃないか、

 血を止めないと……事情はよく分からないけど、村に帰るんだ。

 さっきの音や耳長族……ここはとっても危険な場所だから……」


 その男が私の足の手当や、卵を包む布をあしらいながら帰る様に言った。

ここまで良くしてもらって申し訳ないけど、それは絶対に嫌だ。

せっかくメクジラの卵に会えたんだ。もしかしたら〝親〟もどこかにいるかもしれない。

チカくんのことも心配だし、何よりも私は全然納得してない。

どうにか事情を説明して見逃してもらえないかな……


「ご、ごめんなさい……実は……」


 チカくんと二人で冒険がしたくて、家出をしてしまったこと、

そのまま〝チカテツ〟までたどり着いたと思ったら耳長族に捕まってしまったこと、

2日間、別々の小屋に入れられていたら突然、地面を揺るがす謎の音に助けられたこと、

その音に紛れて、朝焼けの森を走って行くと、霧をも囚われない光を持つ卵を見つけたこと……


「私! 村に帰りたくないんです!

 この卵、チカくんに見てもらいたい……きっとびっくりしてくれると思うから!

 そしたら……どうなるかわからないけど、とにかく、まだ冒険していたくって! ……」


 この時の私は感情の安定感がどっかに行ってしまっていた。

泣きそうになったり、興奮したり、緊張したり、慌てたり見惚れたり、

思えばここ2日間で上手く休むことができた体力を振り絞っているかのようだ。


「そっか、……正直に話してくれてありがとう。

 でも残念だけど、ただの子供がこんな、村から離れたところまで来ちゃいけないんだよ。

 冒険者だっていうなら、話は違うんだけどね」


 そういうと副商長さんは暫く考える。この人は予定通り今から耳長の村に行って、

取引の為の交渉に行くつもりだ。そこに私がどうこうすれば、余計な混乱を招く。

この人に甘えて保護されたら安全かも知れないけど、もう冒険ができなくなるどころか、

チカくんと会えなくなってしまう。


「……どうしても、帰りたくない? 」

「はい……帰りません。例え危険でも、チカくんを置いて帰るなんてできません! 」


 大きな声で言ったものの、勝算は薄かった。副商長さんは市場の人なのだ。

だから安全を考える義務があるのだろう。私は心細くなり、黙ることしかできなかった。

もう少しだけ沈黙が続けば、卵を人質に、走り出すくらいの気持ちになったかもしれない。


「だったら、今ここでキミが冒険者になるしかないよ」

「冒険者? 私がですか? だって……私はそんな凄い発見……あぁ、もしかして」


そうだ。私が抱えている卵は、非常に珍しい御伽噺のクジラの卵なんだ。


「それだけ立派なモノを発見したのなら、キミはもう立派な冒険者だよ。

 キミがその男の子と村を戻ってきた時、その卵を市場に提出してくれると約束してくれるなら、

 今ここでキミを冒険者にしてあげる。

 ……そうなれば、キミのお母さんは怒るかもしれないけど、村のルール違反にはならない」


 さっきの音といい、今日の私は何か神様に愛されているかのように運が良かった。

何か前に進む力が働いているのかとさえ思った。だから副商人ならではの提案に私は乗った。

これで冒険者用のシルバーメガネを手に入れれば、視野は10m……

ノーマルのメガネよりもずっとずっと遠くまで見れる。


「あ、ありがとうございます! やった!

 ……シルバーランクのメガネが貰えるんですよね。……だったら……」


いいや、違うとその副商人は言った。スチャリと私にそのメガネをかけた。


「キミが新しくかけるのは……ゴールドランクのメガネだよ」


 ゴールドランクのメガネの視野は100m……そこには全く見たことのない世界が拓かれていた。

今日は初めての物を沢山見ることができる日だ。私の視界は初めて広がった。

世界がまだ白黒でモノクロなものが多いのは変わらないかもしれないけど、

目の前が見えるようになっただけで、もやもやが晴れたわけじゃないけど、

これで私はもっと、前に進めるような気がしたのだから


「すっごい……すっごい!

 こんなにも……こんなにも……なんでも見えるなんて……

 ゴールドメガネってほんっとうに……すごい! 」


 私は感動で半分泣きそうになった。

現実にあって、生まれた頃から見たことのない物に触れた感覚。

そうだ。確かにそこに、みんなみんなあったことなんだ。

私は契約を交わし、副商長さんにちょっとだけ食べ物や物資を貰い、お別れの挨拶をした。


「待っててね。チカくん……キミにもこの、すっごく綺麗な卵を抱いてほしいんだ

 このメガネと一緒なら、どこにだっていけるんだもの! 」


植物で簡単な草鞋を作って、リュックに卵を大切に入れて、私はずかずかと再び歩みを続けた。

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