第21話


 それから私は何食わぬ顔で授業の準備や朝礼を済ませた。その間もチラチラと視線を感じることはあったけど堂々としていればなんのことはなかった。そうよ、変に縮こまるほうが相手に付け入る隙を与えるんだもの。胸を張っていればいい。

 そしてホームルームを行うべく自分の教室へ向かったのだがそこでまたしても問題が発生した。教室からほど近い階段の踊り場で要くんが所在なげに佇んでいたんだ。普段なら早く教室へ行くよう促すんだけどあんな事があってから初めて顔を合わせたのでどうもやりづらい。


「おはよ、先生」

「……うん。おはよ」

「どうしたんです先生。なんか元気なさそうに見えますけど」

「生徒の家で爆睡かました直後に元気百倍でいられるほど神経図太くないのよアタシャ」

「そんなこと気にしてたんですか」

「そんなことってねぇ……。まぁいいや。その調子なら風邪も治ったんでしょ?」

「おかげさまで。先生のおかゆ、すごく美味しかったですよ」

「そ。なら良かった。じゃあとっとと教室へお行き。ホームルーム始めるから」

「あー、そのことなんですけど」

「どったの」

 思わせぶりな態度が気になって思わず足を止めたら曖昧な笑みで「今は行かないほうがいいですよ」と言われた。

「なにそれ。どういう意味?」

「……言葉の通りです」

 それじゃ答えになってない。こうしていても埒が明かないので私は制止する要くんを置いて教室へ向かった。が、ドアを開けた直後にすぐさま彼の言葉の意味を理解することになる。


 私の目に飛び込んできたのは色とりどりのチョークで黒板にデカデカと書かれた『先生・要クン結婚オメデトー!』という字。それから私の名前と要くんの名前が記された相合傘だった。正直驚いた。そして意味を理解した途端、秒で冷めた。わざわざ耳を傾けなくてもヒューヒューとはやし立てる猿みたいな声が届いてきて不愉快だ。まさかここまで噂の広まりが早いとはね。さすがに予想外。


 丸井先生や校長はこの学校の生徒のことをいい子たちばかりって言ってたし、私もつい最近まではそう思ってたけど残念ながらその評価は覆さないといけないみたい。でもそうだよね。高校生って言ったって所詮は子どもなんだもの。

もっとも、度を超えた悪ふざけを思いついて実際に行動へ移したのはせいぜい五、六人で大半の生徒は止めるに止められず、といったところでしょ。その証拠にあからさまに気まずそうな生徒も少なくないし。


「先生、聞いたぜ。要ん家に泊まったんだって? 先生が生徒と不純異性交遊はマズいっしょ」

 クラス一のお調子者こと田中くんが先陣を切る。でも微妙に情報が間違ってるな。

「要なんてこの黒板見た瞬間に顔真っ赤にして出てっちゃったもん。先生追っかけなくていいの? 未来の旦那だろ? でもさ先生、あんな陰キャのどこがイイわけ?」

 落ち着け。相手にするだけ無駄だ。とはいえ言われっぱなしというのも趣味じゃない。要くんのことは気になるけど少し我慢してもらおう。多分まださっきの所にいるはずだし。


「未来の旦那かぁ。私の旦那になる男は大変だねぇ。こんな動物園で未成熟の獣と同じ檻に入れられてるんだから」

 その瞬間、にわかにクラスがざわついた。そりゃそうよね。教職に就く者が口にしていい言葉じゃないんだもの。実際に『は?』やら『ヤバない?』やら不満を口にする子もいた。けど残念。こんな幼稚な落書きを静観している時点でキミたちはもう同類なのよ。私は教員免許を持っただけの人間だから飼育員にはなれないのさ。

「コレ、一限目が始まるまでには消しときなさいよ。それで割を食うのはアンタたちなんだからね」

 それだけ言って私は出席も取らずに教室をあとにした。主犯のお調子者たちは想定していた反応が得られなくてさぞや困惑しているでしょう。でも私にはそんなことどうだっていいの。今は彼のそばにいてあげないと。

 幸か不幸か要くんはさっきと同じ踊り場にいた。


「ごめんね要くん。私のせいで嫌な思いさせちゃって」

「いえ……。僕のほうこそ迷惑掛けて申し訳ないです」

「全然迷惑なんかじゃないって。私がグースカ眠っちゃったのが悪いんだし」

「いや、そっちじゃなくて……」

「というと?」

「先生との一件を学校にチクったの……母さんなんです」

 あぁ……そうか。情報が広まるスピードが早すぎた理由はそれか。

「土曜の朝、母さんに色々問い詰められたんです。『あの人は誰なの。あんな時間まで何してたの』ってすごい勢いで捲し立てられて誤魔化すに誤魔化せなくて……」

「それでゲロっちゃったと」

「……です」

 本気で責任を感じているのか、要くんは申し訳なさそうに肩を落としている。でも彼には責任の一端すらない。それもこれも全て私の見通しが甘かったせいだから。


「要くんのお母さんは私のことなんて言ってた?」

「何も言いませんでした。全部打ち明けたあとに『……そう』とだけ」

「そっちのほうが不気味ね」

「ですよね。僕も怒られると思って身構えてたのでちょっと拍子抜けしたくらいで……」

「ふむ。じゃあさ、私からもひとつ聞きたいんだけど」

「なんです?」

「結弦って名前の人に心当たりある? 私がキミのお母さんと鉢合わせた時にその名前で呼ばれたの。呼ばれたって言うよりつい口から出ちゃったって感じでさぁ、様子もかなり変だったから気になって……要くん、どうしたの?」

 私が結弦という名を出した途端、要くんが明確に動揺した。血は繋がってないとはいえ親子揃ってこの反応はますます怪しい。


「……結弦は僕の姉ちゃんの名前です」

「あー、あの写真に写ってたお姉さんね。結弦さんって言うんだ。え、でも私そんなに似てなくない?」

 スナックの店内を散策した時に見つけた家族写真に高校生だった頃の結弦さんが写っていたけど私とはまるっきり別タイプに感じたんだけどなぁ。顔がアップになっていたわけじゃないから不鮮明だったけど垂れ目で黒髪ロングなたぬき顔の結弦さんは愛嬌があって可愛らしかった。

 一方の私はどちらかというと吊り目で、天然パーマな髪は生まれてこのかた肩以上に伸ばしたことがない。ひいき目に見てもルックスの共通点なんてないはず。


「要くん。結弦さんって今どこで暮らしてるの? 会えたりしない?」

「……無理です」

「もしかして今はお姉さんとも仲悪いの?」

「……」

「ちょっと。もしもーし」

 要くんは壊れたロボットみたいに口を閉ざしてしまった。しかし私としてはここで引き下がるわけにはいかないのだ。結弦さん本人にこっちから連絡することなんて出来ないし、私はあの母親から良い感情を持たれていないみたいなのでそちらを頼ることもできない。残されたキーマンは要くんだけなんだもの。


「要くん。この通り! なんとか結弦さんとコンタクト取れないかな」

「……分かりました」

「ホント!?」

「直接見ないと信じてもらえなさそうなので……」

 やった。押しに弱いところを突いた後ろめたさが心をチクリと刺したけど一歩前進ね。

「先生、今日の放課後空いてます?」

「空いてる空いてる。ってか空ける」

「はぁ。じゃあ、またあとで」

 この時の私は要くんがどうしてこうも微妙な反応を取るのか全く理解していなかった。結弦さんと私は同い年で向こうには家庭があるからお邪魔するのを遠慮してるのかなと考えていた程度だった。

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