第18話
☆ 要 渚
ピンポーン、とクイズ番組で正解したような安っぽい音で僕は意識を取り戻した。まずは自分が死体になっていなかったことに安堵しつつ、ぶつけたおでこの痛みに顔をしかめて時計を見る。夜の七時二〇分。意識を失っていたのはざっと二時間ほどか。期せずして昼寝程度の睡眠を取れたから体がほんの少しだけ楽になったような気がする。ほんとにちょっとだけ。
その間にもドアの呼び鈴が何度も鳴っている。面倒だし居留守を決め込もうかな。ウチのマンションは古いから今時インターホンじゃないし、相手が誰かを確認するためにわざわざ玄関まで行くのもしんどい。頭は今でもフラフラしてるから変に立ち上がりでもしたらまたコケるかもしれないし。
いいや、寝よ。どうせスーツを着たセールスマンだろ。しかしこのセールスマン(仮)なかなか諦める気配がない。何度も何度もピンポンピンポンピンポーン。いい加減うっとうしくなってきたぞ。それにこの感覚、前にもあったような? そうだ。あの時は先生からの鬼のようなモーニングコールだった。ということは――
「要くーん。生きてるー?」
——あぁ、やっぱり先生だ……。これは無視したほうが面倒なことになるな。あの人って早とちりすることが多いから最悪の場合、警察か救急車を呼ばれかねない。なので僕は不承不承ながら玄関へ向かい、ドアにもたれかかるようにして先生と対面した。
「あ、良かった。生きてたね。返事がなかったからどうしようかと」
「……寝てただけです」
「そっか。なら安心。はいこれ今日配ったプリント」
「あ、どうも」
わざわざ自分で持ってくるなんて律儀な人だなと思いながら受け取ろうとしたら先生の顔が急にズイッと近づいて目の前に。内心めちゃくちゃビックリした。
「キミ、汗すごいけど何してたの?」
「え、あ、いやぁ……暑いので」
「それにそのおでこ、たんこぶになってるよ」
「えっ」
マジかと思って触ってみると確かにテーブルにぶつけた箇所がふっくらとしていて鋭い痛みが走った。たんこぶを作ったのなんていつ以来だ。幼少期の記憶を探ってもまるで覚えがないや。危ない場面に遭遇する前に過保護な姉ちゃんに守ってもらってたからな。
「要くん、ちょっと失礼するよ」
なにを失礼するんだ。もしかして家に上がろうとしてる? この人のことだからやりかねないぞ。そう考えていた僕はとんでもなく浅はかだった。飛鳥井先生はいつだって僕の想像の斜め上を行くんだって散々思い知らされてきたのに。
先生は自分のおでこに手をやったかと思うともう一方の手を僕のおでこに当てて熱があるか確認したんだ。たんこぶになっている所にも当たったから痛みが走ったけど僕の心の揺れ動きはそれどころじゃなく、慌てふためいて後退りして廊下の壁に後頭部をぶつけてしまう始末だった。またたんこぶが増えちゃう。
「せ、先生……急になにするんですか」
「なにって、熱があるか確かめたんだけど? 夏風邪なんでしょ」
「それは分かってますよ。僕が聞きたいのはなんでそんな行動をしたのかってことで……」
「キミが心配だから。それ以外に理由がある?」
こうも自信満々に言い切られるとこっちがおかしいのかと錯覚しそうになるから困るんだよ。なんだこの人。性別って概念がないのか。恥ずかしがってるこっちが自意識過剰で馬鹿みたいじゃんか。
「でもこれでハッキリしたよ。キミ、今すぐ寝なさい。すごい熱。火傷するかと思ったもん」
「そうですか? 僕としては朝よりちょっと楽になったくらいなんですけど」
「うっそだぁ」
「ホントです」
「じゃあ今すぐ熱測ってみなよ」
「……それくらいなら構いませんけど」
そして先生の監視のもと体温計を脇に挟む僕。汗ばむ体に触れた体温計を先生に渡すのは気が引けたんだけど温度の計測が終わったら問答無用で脇から引っこ抜かれたのでなす術がなかった。
「何度です? 体感的には七度台に下がってると思うんですけど」
「な、な……」
な? 七度七分ってことかな。まぁまぁ高いけど三十八度を下回ってたら及第点ってところだろう。あとは夜眠って明日の朝に何度まで下がってるかが鍵だな。しかしどうしたんだろ先生。さっきから無言で体温計とにらめっこして。
「先生?」
「四十度もある!」
「……え?」
「ヤバいよこれ。なんちゅう高熱。キミよく平気なツラして会話できるね。ぶっちゃけ救急車呼ぶか夜間急患センターに行くレベルなんだけど」
「や、大ごとにするのは勘弁してほしいです……」
「それは分からんでもないけど……ちなみに薬は飲んだ?」
「の、飲みました」
「ならまぁいいか。お母さんは仕事?」
「はい」
「んー……一人で切り盛りしてる店ならしゃーないと言えばしゃーないけど……あーもどかしー!」
先生は頭をガシガシと掻いた。コロコロと表情が変わるしリアクションが激しい先生を見てると飽きがこなくて面白いな。
「何度も聞くけどホントのホントに大丈夫なの?」
「多分……。午前中は目まいや吐き気が酷かったんですけど今はむしろお腹が空いて敵わないくらいですし。ほら、熱って三十八度台が一番シンドイって言いません?」
「そりゃ、四十度を超えるような高熱のほうが体の免疫が病原体と戦いやすくなってるからね」
「でしょ。だからホントに今のほうが元気なくらいです」
そう言ってる最中に腹の虫が不満を訴えるかのようにグ〜と鳴った。マジで恥ずかしくて僕は二、三発ほど自分のお腹を殴ったんだけど逆効果だったのか、一段と大きな音でまたしてもグ〜。こんな辱めを受けるくらいならもういっそ殺してくれ。
一方の先生はしばらくキョトンとしていたけど時間差でお腹を抱えて笑い出した。この人はなんでこう神経を逆撫でするかなぁ。
「あっはははは! は〜。笑いすぎてお腹いたぁ」
「……」
僕は精一杯のジト目で先生を見る。せめてもの抵抗だ。
「そんな顔しないでってば。なんか作ってあげるから」
「……えっ」
「お腹、空いてるんでしょ。お粥か雑炊なら食べられる?」
「いや、でも……」
え、え? いいのかコレ。先生にそんなことまでさせちゃってさ。いくら生徒のためだからって完全に業務外のことでしょ。
「早く元気になってもらわないとまた出席日数が危なくなるでしょ。それに自分のクラスから留年する生徒を出しちゃったら私が上からせっつかれるじゃん。ただでさえ赴任一年目で立場的に弱いのに」
「と言われましても……」
「あ、もしかして私がズボラだから料理ヘタなんじゃないかって心配してる? 安心して。お粥なら昔から食べ慣れてるから一家言あるの」
そして先生は住人を差し置いてワイシャツを腕まくりしながらキッチンへ向かった。僕の意思が介入する余地は最初から存在しなかったらしい。
先生はエプロンを付けることもなく、勝手知ったるなんとやらで土鍋やおたまに留まらず、「えーっと、塩はここかなー。お、ビンゴ」などと呟きながら必要な調味料までもすぐに探し当て、テキパキと調理を始めた。
「先生、人ん家なのによく一発で見つけられますね」
「んー、なんとなくね、分かるの。多分この辺だろうなってのが。女の勘」
勘、か。まぁ台所なんてどこの家も大差ないだろうし、そう驚くことでもないのかも。そうこうしてる内に先生はあっという間にお粥を作ってみせた。とりあえず見た目に関してはちゃんとお粥だ。どんなゲテモノが出てくるのか不安だったことは秘密にしておこう。
このクソ暑い時期にホカホカと湯気を立てる料理なんて本来なら遠慮したいところだけどお腹が空いてることもあって食欲がグングン湧いてくる。それにどことなく母さんが作るお粥と香りが似ていた。隠し味に何を入れたんだろう。
「夏バテと熱中症対策にちょっと塩味を強めにしてみたわ。あと梅干し。さ、おあがりよ」
「あ、はい。いただきます」
スプーンですくったフワトロの白米はまるで飲み物かと思うほどすんなり喉を通った。熱いけどめちゃくちゃ美味しい。梅干しのほのかな酸味が鼻詰まりにも効きそうだ。
「どう? 美味しい?」
目の前で頬杖を突いた先生が問う。食べている姿をマジマジと観察されるのはちょっと恥ずかしいけど美味しいことに違いはないので僕は素直に頷いた。
「そ。良かった。どうよ。ちょっとは見直した?」
「……まぁ、はい」
「ふふん」
先生がどうだと言わんばかりに胸を張った。おまけにドヤ顔まで。ちょっとムカつく。
「あの……」
「ん?」
「……いや、なんでもないです」
「なによそれ。途中でやめないでよ。気になるじゃない」
「だからなんでもないですって」
どうしてここまでしてくれるのか。僕はそう聞こうとして、実際に喉元まで言葉が出掛かったんだけどやめた。それから詮索されまいと無言でお粥をかき込んだ。すると先生は思ったよりもあっさり手を引いて僕のおでこに軽くデコピンを喰らわせたあとに「それ食べたらもう寝なよ」と言ったんだ。今日の先生はやけに優しくて調子が狂うな。もしかして変な物でも食べたのかな。それか姿形だけ先生で中身は別人にすげ変わってたりして。
まさかな。第一、中身が別人だとして僕に優しくしてくれるような人って誰だよ。そんなの姉ちゃんくらいしか思い浮かばないっての。
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