第六章 それぞれの一日 5

 男が、座っていた。

 膝には古めかしい本、『原書』が置かれている。

 数十人の兵士が慌しく準備をしている。そろそろ太陽が完全に沈む時間だ。

 祠の入った先の巨大な空間に、彼らがいる。入り口だけが祠で、その先は完全に洞窟となっていた。ここから細い道を抜けると、別な空間が広がる。中央部に中規模の地底湖があり、祠の入り口から入るほんの僅かな光をほのかに反射している。

 最初の空間にある現地民が儀式を行うであろう祭壇に男は腰を下ろしていた。横には寝かされたままのレインがいる。エトヴァスの手によりあれからこうして意識を失ったままだった。

 遠くで声がする。一般兵の声だ。

 一般兵といってもアステリスクでは上級兵に当たる、訓練に訓練を重ねたエリートなのである。

 しかし、男にとってはただの『人間』。

「おい、なんだって俺達があのバケモノなんかと一緒に仕事しなくちゃいけないんだ?」

 バケモノ、男が心の中で苦笑する。

 いい響きだ。

「よせよ、聞こえるぞ」

「聞こえたって構いやしねぇ、人間じゃねぇんだからな」

 兵士の声は嘲笑ではない、存外のものに対する侮蔑。

「俺だって初めてみたぜ、あれがジェノスかよ」

 アステリスク特務部隊『ジェノス』

 人造のもののうち、特に戦闘能力、特殊能力に長けているものによって組織化された部隊。一人で一個大隊と匹敵する能力を持ち、ほぼ単独で任務に当たる。

 噂では流れているが、上級兵士でも滅多に目にかかることがない裏の部隊。彼らがどのようにして創られ、存在しているのかは公式にも非公式にも極秘裏にされているが、兵士達はどこから聞いたのか、『人造の人間』だということを知っている。

 その隊長がライゼンである。

 隊長といえども集団行動は行わないから、その役職自体に意味はない。それはジェノスの中で最も能力が高い、という表れだ。

「あの時、何人が死んだと思ってるんだ? 四十五人だぞ?」

 あの時、ヴァーベルク部隊がエルフィンの精霊によって壊滅状態に追いやられた時、推定死者数は四十五人とされている。全て灰になってしまったので、推定というしかない。

「ああ、ハインケルもその中に入ってたんだ、クソ!」

「それを何とも思わねぇのかよ、あいつは」

 客観的にいうならば、ライゼンにそのような愚痴を言われる筋合いはない。彼らは彼らの任務を受け、そして任務に失敗しただけだ。恨むなら指令を出した本部とその力量と、エルフィンのせいにするべきである。

「ハインケルは、まだ小さな子供がいたんだ、俺は帰って何て言えば……」

 感情的に捉えるならば、彼らの気持ちがわからないわけでもない。怒りの捌け口を自分以外のどこかに向けたいと思うのもわかる。ましてや帰って来たのが特殊技能者であるエトヴァスと、バケモノであるライゼンだけ、という状況で責められるのはどちらか明白だろう。

 だが、ライゼンは感情的に物事を捉えることが出来ない、そんな機能は最初から備え付けられていないはずなのだから。

 もし、ライゼンにそのような感情があったとして、彼はライゼンに何と言って欲しいのだろうか。

 すまない、自分のせいでこうなってしまった、とでも言えばいいのだろうか。

 取り留めのない考えがライゼンの中に浮かび、そして消えていく。それも再現性のない流れる思考。

 これからの出来事に備えて意識を高めようとするが、思いのほか上手くいかない。

 フィロリスと出会ったことで、少しの乱れが出ているのだろうか。

 計画に支障はない、むしろ好都合だ。

 これは機会。

「ん、ん」

 レインが寝返りを打つ。だがその様子はライゼン以外に見つかっていない。いくら意識が薄いときに行ったとはいえ、五日間近くも眠り続けていたのだからエトヴァスの術は上出来だろう。それなりの能力者だから今回の作戦にライゼンはエトヴァスを組み込んだわけだが。

 そう、今回の作戦のほとんどはライゼン一人で立案、実行されている。作戦本部以外でこのような真似が出来るのは、ライゼンが実績と存在を上層部で買われているからである。

 ゆっくりと目を醒まし、横に座るライゼンに目をやるレイン。

「そのまま、目を閉じていろ」

 前を見据え、レインに表情を悟られることなくライゼンが言う。

 レインが一瞬慌てた顔でもう一度目を閉じなおす。

「普通にしていればいい」

 思いっきり目を塞いでいるレインにライゼンが言い換える。

「ここは?」

「しばらく動くな」

 レインの問いには答えない。

 夕暮れが迫りつつある、そろそろ二つの星が輝きを増してくるだろう。

「すぐに終わる」

 レインがゆっくりと周りの音を確かめていく。

 大勢のひそひそ声、水の滴る音、その反響音。

 足音が近づいてくる。

「気付かれるな」

「ライゼン様、時間です」

 エトヴァスが声をかける。

 そう言い、前を向いたエトヴァスは背筋が寒くなる。

 無表情の常とするライゼンが、口元を歪ませて微笑んでいたのだ。

 こちらに目を合わせたのを了解の合図と見て、エトヴァスはその場を去る。レインのことは気が付いていないようだ。

「あの」

「なんだ」

 簡潔に返す、その言葉に感情がない。

「私、どうして?」

 ここにいるのだろう。

 そこでレインの声が止まる、多少なりとも恐怖心を持っているのだろう。

「直にわかる」

 なぜ、この時期にあわせてライゼンが動いたか。

 ライゼンは強力だ、それにエトヴァスと共にエルフィンと直接の面識がある。しかしライゼンは強力であると同時に秘密兵器なのである。

 なぜ、すぐにアステリスクへと戻らず儀式を行おうとするのか。

 ルナの日が半年に一度しかないため、出来るだけ機会は逃したくないというのはわかる。本当にレインが使えるかどうか試すためだとも言える。だがそれよりも優先すべきなのはエスカテーナに見つからない、ということ。それを破ってまで強行する利点は何か。

 なぜ、単独行動を主とするジェノス、それも隊長であるライゼンが集団行動をしているのか。

 ライゼンが作戦行動の指揮を執っている理由を誰も疑問に思っていない。今までの行動ならエトヴァスがいれば成り立っている。極端な話、強引にことを運べばライゼンだけでも十分足りうる。そのことについては一般兵も薄々気がついているから、あの時の四十五人が無駄死にしたのでは、と思いライゼンを内心責めているのである。

 なぜ、フィロリスに連絡をし、ここへ来させようとしたのか。

 当然ライゼン以外の誰にも知らされていない。そうすることの意味がないからである。わざわざ儀式の邪魔をさせる必要はない。

 全てはライゼンの中に。

「え、あ」

 レインが不思議な声を上げる。

 ライゼンがレインを抱きかかえていた。

「いや、え」

 レインの声がうわずる。

「私、重いですよ」

 この場に置いて、あまりにも場違いな言葉を小声で漏らす。

「大丈夫だ」

「あなたは、誰?」

「さあな」

 ああ、そうなんだ。

 目を閉じていてもわかる。

 どんなに強い、冷静な言葉を出していても。

 レインはその声だけで感じていた。

 この人は、とても優しい人だ。

 そして、どことなくフィロリスに似ていた。

 ライゼンが奥の地底湖へと足を進める。

 さぁ、フィロリス、ここからが『始まり』の時間だ。

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