第六章 それぞれの一日 3
森の向こうで大砲の音が聞こえた。小さな鳥達の羽ばたきが共鳴する。それ以外、森は未だに静けさに包まれていた。
何をするでもなく、ただ独りで男が座っていた。傷は癒えていなかったし、立ち上がることもままならない、気を抜けばいつでも倒れてしまいそうだ。
だが男は持ちこたえる、彼らが自分の代わりに戦っている間、ただ寝ている気分にはなれなかった。
「レイン……」
いつか、この時が来るような気はしていた。そのための覚悟もしていたつもりだ。
自分の命を使ってでも、レインを助けようとも思っていた。
死は恐ろしくなかった。
結果、自分は何も出来ていない。
自分が実験体として扱ってきたはずのフィロリスに頼り切っている。
男、エルフィンは、今まで自分でした来たことを振り返っていた。
それで何が変わるわけでもない。
罪が消えるはずもない。
自分でもわかりきっていた。
それでも、考えずにいられなかった。
考えることで、何かを消化しようとしていたのであった。
エルフィンに親はいなかった。もちろんそれはフィロリスと意味合いは違い、彼は保護施設で育ったのだ。当時の研究所で働いていた研究員はほとんどがそういった身寄りのない人間で構成されていた。研究内容が秘密であったため、それが外部に漏れることを恐れての当然の行為だ。エルフィンも、エトヴァスも。
自分の物語の始めはそこにあったとエルフィンは思う。
自分がなぜ施設にいたのかは誰にもわからない。戦争の影響か、単に捨てられただけか。
最初は、ただ魔術の始まりが知りたかっただけだった。
魔法を学んでから、エルフィンの頭にあった興味。
魔法の起源
誰が最初に考え出したのか、魔法の大元とは本当は何なのか。
そのために必死で魔法を勉強した。
丁度アステリスクが保護施設を回り、後の研究のために才能がありそうな子供を引き抜いていった。エルフィンも例に漏れずその一員となった。
機会を与えられた彼は、文字通り寝る間も惜しみ、魔術の研究に走った。彼にはそれ以外に何の興味の持てなかったのである。
そして過去の研究データをもとに、シーグル理論を構築した。
フィロリスやライゼンを創りだそうとしたのは、エルフィンに他ならない。
その研究が実り、ある程度の実用段階まで研究が進むと、彼は研究者から魔術科学研究所の所長としての地位についた。エルフィンが所長だったことは、フィロリスは知っているが、恐らく、彼がフィロリスを創りだそうとしたとは考えていないだろう。
それもエルフィンにとっては単なる一歩だった。
より完全に、『原型なる魔法』を見つけ出すことが彼の目標であり、生きる目的だった。
クラウディアと出会うまでは。
彼は『前へ進む幸せ』ではなく、『あり続ける幸せ』を知った。
そのころから自分のシーグル研究について疑問を持つようになった。命を創りだし、使えなければ処分する、使えれば使えなくなるまで酷使する。
こちら側の都合で創られ、消えていく命。
それからライゼンが創られ、続けてフィロリスが創られた。
培養液の中で育てられる子供達。
使われるために創られていく命。
本当に自分のしている行為は正しいのか。
本当にこのままでいいのか。
深まる疑問。
その疑問が決定的になったのは、レインの誕生である。
レインはエルフィンに優しさを与えた。
そして彼は『守る幸せ』を知った。
シーグル研究に懐疑的な意見を持つようになった彼は、上層部から危険視されていたのは言うまでもない。研究員からは絶大な支持を保っていた彼も、その姿勢から徐々に孤立していった。
そして訪れる時。
研究所の崩壊。
あれはエルフィンが仕組んだ、全てを帳消しにする方法。グレンが暴走することも、研究所が崩壊することもわかっていた。だから、彼は無理を承知で行った。
あそこまで見事に破壊できる能力者と実験の機会を待ち続けていたのだ。そのためにフィロリスとグレンを利用した。何と言われても構わない、利用したのは事実である。
大方の予想を越え、彼の思惑は成功した。
自分は姿を消し、レインをアステリスクから遠ざけることも出来た。
幾人かのシーグルも逃がすことが出来た。
これが罪滅ぼしになるとは思っていない。この程度で重ねてきた罪が軽くなるとも思っていない。
彼が残してきた研究は、今でも引き継がれてアステリスクで行われているのだろう。結局のところシーグルが創られ続けているはずだ。生き残ったシーグルも実験体として扱われているだろう。今までも、そしてこれからも創られる命。
それでも彼は後悔していない、全てはレインのためだ。
これからエルフィンに残されていることは一つ。
レインに嘘をつき通すこと。
前へ進むために命を弄んできたことを。
クラウディアの死に目に会えなかったことを。
父であることを。
レインのことがアステリスク側に漏れてしまったのは、全くの不覚だった。完全に処分したと思っていたが、細かなデータの欠片から修復してたどり着いたのだろう。『原書』はあの場に捨てておいた方が良かったかもしれない。そうすれば、レインを守ることだけを考え、その他を見なければ、レインの存在に気がつかれなかったかもしれない。
もちろん、そのことと自分が父親であることを打ち明けることとは何の関係もない。
これ以上、レインに負担を与えて一体何になるというのだ。
その決心だけは変わらない。
そういえば、一度だけそのことでラストレシピエントと話をしたことがある。
あれはもう、十数年も前の話。
自分は何と聞いただろうか、思い出せそうにない。
代わりに彼がこう返したのは憶えている。
「それでも、彼らは大事な僕の子供さ」
あの時笑って返したが、今ならその気持ちがわかるような気がする。
自分の子供が、どれだけ自らの犠牲を払っても守るべきだ、ということが。
エルフィンは、静かに待っていた。
彼らに待ち受ける紅と蒼の明るい夜を。
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