第四章 静寂 4

 沈黙を破ったのはルーイ。

「ですけど……」

「私の妻はクラウディア、クラウディア=ミルカローネでした」

 ルーイの言葉を遮りエルフィンが言う。

 それは質問の答えだ。

「クラウディア、彼女は非常に優秀な術者でした。医術にも長け、研究所付きの医師でした」

 フィロリスが名前を反復する。

 そういえば、昔そんな名前の医者がいたような気がする。いつも何かで怪我をするたびに優しい笑顔をくれた人。レインに親近感を得ていたのもそんな記憶があったからかもしれない。

「私が彼女と出会ったのは、まだ私がアステリスクの一研究員だったころでした。元々彼女は病弱で、子供を産む、ということには私は反対しました、しかし彼女の希望もあって、レインが産まれたのです」

 ロングロッドをテーブルに架け、両手を組み膝にのせるエルフィン。

「そのうち、レインが4歳の時です、私はシーグル研究の責任者になりました。そのこと自体はとても喜ばしいことでしたが」

「何か……あったんですね」

 ルーイがエルフィンの表情を読み取り言う、フィロリスは天井を見上げたままで誰とも目を合わせていない。

「レインが研究所をクラウディアと訪れた時でした、私たちが目を離したとき、誤って柵を越えて転落してしまったのです」

 エルフィンが、言葉に重みをおくように沈んだ声で言う。

「転落自体はたいしたことではありませんでした、怪我もほとんどせずに、ただその瞬間、私が見たものは信じられないものでした」

「信じられない?」

「衝突する、そう思ったとき、レインの体が軽くなったようにふわりと浮いたのです。その現象は私だけに確認できるほど小さなことでした」

「私が出した結論は、それが精霊による仕業だということです」

「精霊の……」

「詳しい正体は一瞬のことで分かりませんでしたが、受身を取るわけでもない様子でした、おそらくは風系統の精霊でしょう」

「レインさんは何と?」

「『その』もののことを、レインはシルフィと呼んでいました、レインの友達だと」

「そんな」

 精霊は勝手にこの世界には来ない、いや来れないのだ。精霊がこの世界に姿を現すためには術者の精神力の媒介が必然となる。

「純粋な子供であるがゆえだったのかもしれません」

 子供の時に不思議な経験をするものは多い、見えないはずのものが見えたり、聞こえないはずの声が聞こえたりと。それはまだこの世界に存在が安定していないためだ、しかしそれは世界の『常識』を学んでいくたびに薄れていく、が、それによって触れることの出来るものは人々の思念であったり亡者の私念であったりするわけで、精霊とは全く別物なのである。精霊はこの世界に漂う元素などではなく、別世界の住人なのだから。

「信じられますか? 生まれて4年しか経っていない、しかも訓練すらされていないのに、精霊と同調しているのですよ」

 ルーイは驚きを顔に出さずに小さく頷く。

 契約もせずに精霊と会話することは出来ない、ましてや力を借りるなどということは。それはもはや才能云々で語るレベルではない、人としてあるまじき能力なのだ。

「とにかく、私はこのことを秘密にしました。フィロリス達シーグルには申し訳ありませんが、娘を実験体にはしたく無かったのです」

 研究員としてはあるまじき、親としては当然の行為。そのことにフィロリスがどう思っていても口を出すべきではない。そもそもフィロリスには親などいないのだから。

「クラウディアにはそのことをきちんと打ち明けました、そして彼女とレインには研究所を離れてもらうことにしたのです。彼女は彼女の故郷であるハンクルへと帰りました、いつか私が現れることを信じながら」

「そうか……」

「あの事件のあと、原書を持ち去り私は行方をくらましたことにしました、各地を転々とし、足跡を紛らすことに一年をかけました、そしてハンクルに辿り付いたとき、彼女はもう……」

 言葉の出ないフィロリスとルーイ、彼女の母親が3年前に病気で亡くなったことはレイン本人から聞かされている。

「身寄りがなくなった彼女を私は引き取りました」

「どうしてレインさんには本当のことを?」

「アステリスクに気付かれたのか」

 沈黙。

「ええ、理由は恐らく原書を持ち去ったことからでしょうね」

 それでも、と言いかけてフィロリスは言葉を濁した。真実をレインに言うべきなのか、それは彼女を危険に晒してまで言うべきことなのか彼には分からなかった。親という存在そのものが元からいない彼にとって、それは考えられることではないような気がした。

「あの本は?」

「あれは、古代の精霊たちの封印を解く、一つの鍵です。彼らをこの世界に呼び出すためには媒介が必要になります、かつては精神力だけで呼び出せたかもしれませんが、強大な力を持つ精霊はそれだけでは能力不足です。あの本はそういった部分を埋めるもので、アンスールドラゴンを召喚したときにも使いました、あの時は私の召喚術師としての知識とグレンの精神力を最大限まで引き出して実験を行いました」

「その本をあなたが」

 あの事件の時の責任者はエルフィン本人である、遺物の管理責任者も同じくエルフィンだ。

「ええ、処分しようかとも考えたのですが、魔術による封印が施してあり、しかもそれ自体の存在が魔導具と化してしたので、私の力では不可能でした」

「マドウグ……」

 ルーイが息を漏らす。

「魔導具とは、鉱石の持つエネルギーを微妙なバランスで配合し、それぞれに適した能力をもたせたもののことを言います、一般に言われている特定の魔法を発動、などは結果であって本質ではありません」

 このような研究のほとんどは口伝で、しかも偶然性が高い。そのため、文献として残ることがなかったのだろう。

「しかしそれだけではただの術式と変わりありません。魔導具として存在するものは、歴史を積んだものです。あの本と同じ物を複製したとしても同じ効果が得られることはありません、そうして時間と人の手により魔力は連綿と受け継がれているのです。これが護符などと違う点でしょうね。ですから数千年の時を得たあの本は解説書であると同時に強大な魔力を秘めた魔法書でもあるのです」

「では、あなたが研究していたのは」

 レインが言っていた、エルフィンは魔導具の研究をしていると、時間によって受け継がれなければ魔導具としての効力を発揮しないのであれば、そもそも研究することは不可能である。物質に特定効果をもたらす護符や物質結界などの術式を研究した方がいい。最近ではどれだけ使えるか、という魔術が研究の中心であり、より強大な魔術を求めるものは少ない風潮がある。

「そうです、あの本の封印をはずして処分するつもりでした、魔法はおろか熱や物理攻撃でさえ傷をつけることが出来ません」

「今のところは?」

「そうですね、八割方の封印は解いています、それによって私もいくつかの召喚が出来ましたから」

 エルフィンが原書で呼び出した精霊を思い浮かべる。

「それは余計に厄介ですね」

「ええ、単独で使うにはまだ相当な精神力が必要でしょうが、封印が不安定になっている以上扱いを間違えばどうなってしまうか分かりません」

 フィロリスが体を起こす。

「その本とレインを、取り戻せばいいんだな」

 唐突に言うフィロリス、その顔は真剣だ。

「あいつらが封印を解いてまわるとしたら、レインは必要になる」

「そうですね、場合によってはアステリスクが解明してしまうかもしれませんし」

 アステリスクの技術力は他地域の群を抜いている。蒸気機関を開発したのも、現在移動方法の中心となりつつある飛行船を開発したのもアステリスクだ。シーグルという生物兵器を研究しているし、公表されていない闇の科学はそれこそ計り知れない。

「ですが、もうしばらくは安全でしょうね」

 完全に解明しない限りはレインを丁寧に扱うだろう。もちろん丁寧というのは死なない程度に、という意味で監禁されて眠らされるのは当然のことだ。

大っぴらにランドヒルにアステリスクが長期間滞在するのは不自然だ、間もなくエスカテーナも嗅ぎ付けるはず、かといって急いでサンドリバーに戻ろうとすれば足がつくかもしれない。逃げ道くらい用意しているだろうが。だからただ帰るだけでも一週間ほどは要するだろう。

「けど時間はそうないか」

 突然の空気の揺れ、不自然で教会の中まで伝わるのが風によるものでないことを表している。

 この結界、作るのに苦労したのですが、というエルフィンの呟きが聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る