シンフォニーワールド
吉野茉莉
第一章 霧蒸ける森
第一章 霧蒸ける森 1
霧が立ち込めていた。
濃い霧だった、フェンリルもヌーリスも見えない。
この世界には地球の月に相当するものが二つあり、ほぼ一日ごとに交代するかのように現れる。この二つが同時に空に出てくることは滅多にない、この世界の言葉でフェンリル―狼―とヌーリス―羊―といわれるゆえんである。
太陽が空を支配している間でさえこれらの衛星は白く輝いていた、この星に住むものは皆この二つの衛星を神聖なものとして崇拝している。
二つの衛星の違いは、フェンリルが紅みがかって光るのに対してヌーリスは蒼みがかって光っている、ということだった。昔の学者は火山があるとか水があるとかいろいろな説を持ち上げていたが、実際のところは表面を覆っている鉱石の違いによるものだったらしい。
そんな光もはっきりと届かない森の中で一人の男がふらふらと歩いていた。
正確にいえばさまよっているという意味だが。全身を黒いコートで覆い、両手に星型の印がついた革手袋をはめている。黒い革の袋を背負い足取りもおぼつかないように歩いている。
がっちりしているようには見えないが、それなりに引き締まった肉体をしている、自然と身についた筋肉だろう。髪の色は醒めるように蒼く、それとはアンバランスに燃えるように目が紅く輝いていた。
男は空腹であった。最後にまともに食べたビーフシチューが一体何日前のことであったか思い出せそうにない。いくつか残しておいたはずの硬いパンもいつのまにかなくなってしまった。思い出せそうなのは、この森に入ったのが三日前のことであったということだ。
予定では一日前に近くの比較的大きな街についているはずであった。このあたりで一番大きな自治都市ハンクル。南北の品物が行き交うオアシスのような都市。男は何度もこの都市にいったことがあり、幾人かの知り合いもいた。
現金は当の昔に使い果たしてしまったが、あそこまで行けば何とかなるだろうと思っていたのが間違いだった。性格上遠回りできなかった男は何度か通ってきた道を通らずに森を突っ切ろうとしたのだった。
途中までは首尾よく進んでいたのだか、街まで20kmという看板を持ち前の天然ボケで軽く見過ごしてしまったため、こんな結果になってしまったのだ。
「なんだってんだよ」男は思いつく限りの悪態をつき、大きめの平たい岩がごろんとおいてある少し開けた場所に立ち止まった。自らの不注意で見過ごしてしまったのにもかかわらず、そのふてぶてしさは相変わらずだった。
「だいたいこうなったのは…」
「フィロリスのせいだと思うんですけどねぇ、私は」
背中から男に話し掛ける声、半ば飽き飽きした声だ。
「なっ!?」
「だってそうじゃありませんか、この間の賞金を無計画に使い果たし、そのせいで生活費が尽きたことに腹をたて、次の街に急ごうとしたのはだれでしたかねぇ?」
うっ、とフィロリスと呼ばれた男は顔をしかめた。それが事実であるから反論のしようがない。
フィロリスの背に担がれていた黒い袋から、体長が五十cmほどの爬虫類が顔を出した。
どうやら袋の中で優雅に睡眠をとっていたらしい、普段でもフィロリスの肩に乗って自ら歩くことはしない。歩くのは嫌いではないが、フィロリスとは歩幅が違いすぎるため、一人と一匹の同意のもとこういった移動手段にしているのだ。
「だから最初から私の言うとおりにしておけばよかったんですよ、師匠であるこの私にね」
この世界では人間以外の動物が人間語を話すことは何もめずらしいことではない。ただ、人間語を話すということ、これがモンスターと呼ばれる理由なのである。人の言葉を解すもの、その性格は凶暴なことが多く、人間よりも動物的能力に長けているため、人々は恐れるのであった。
しかしこのルーイは違った。フィロリスよりはるかに理知的で言葉づかいも丁寧である。
「ほほう、ルーイさん、いつからあなた様がわたくしの師匠になられたんですかねぇ?」フィロリスは爬虫類をじとっと卑屈なまなざしで見た。ルーイはフィロリスの左肩に乗っている。体重はかけていないが、精神的な重圧をかけている。
「魔術もろくに使えないような人が何をいっているんですか? いったい誰が基礎を教えたと…」
「フンッ俺にはこいつさえあれば十分だね」そういってフィロリスは背中にかけてあった物を抜いた。この世界には珍しいカタナと呼ばれる片刃の剣。それも刀身は1m以上あろうかという大物だ。〝白銀〟〈しろがね〉と名付けられているそれは全身が白く輝き、自らが光を発しているかのようでもあった。
刀身は金剛石繊維〈ダイヤモンドファイバー〉と呼ばれる物質でできている。モース硬度で10というダイヤモンドを特殊な製法で繊維状にしたものを、再度まとめ打ち直すという作業を何度も繰り返す。そのことで使用者に対する衝撃を緩め、効率よくダメージを与えるようにしたものである。それに魔術の中でも自らの氣を使う〝内氣術〟というものを武器にまとわせることができる数少ない材質なのである。
「そういう短絡的な考えだから、いつまでたっても成長しないんですよ。いいですか、そもそも魔術というものは不断の努力と、不屈の精神力でですね……」
ルーイは壊れかけたテープレコーダーのようにいつもと同じせりふを繰り返している。
確かに魔法というのは誰にでも使うことはできる。それはきちんとした体系ができあがっているからだ。魔法原理と呼ばれ、人それぞれに得意とするものがあり、それを見極めるのも大事である。もちろん絶え間ない努力が最も重要であるが、本人の素質も魔術を極めるのには必然なのである。そして自分なりの魔法を使おうというのであれば、それからさらに開発をしなければいけない。
ルーイはフィロリスにそのことをいつも言っているのだが、フィロリスはうんざりといった感じだ。フィロリスはルーイが自分に素質があると思って言っているということもわかるのだけれど、どうも素直になれないところがある。
「おおっじゃあ一勝負してみるか? いつかお前と決着つけなくちゃいけないと思っていたんだよな」
ルーイはあきれた顔でフィロリスの肩から降りた。
「今までの勝敗数覚えていますか?」
「さあな」
「98戦、96負け2分けですよ、しかも2分けともフィロリスの棄権じゃないですか」
白々しくしてはみたが、自分でも一度も勝っていないことはよく知っている。ルーイと出会ってから三年間、魔術の訓練をしてきた。が、何度勝負を挑んでも軽くのされてしまう、それくらい差があるのだ。
二週間前にも勝負を挑んだが、拾い食いしたキノコがあたったらしくそれどころではなくなってしまった。ルーイはフィロリスに注意して自分は食べなかったのだ。
「それはっ、魔力の勝負で剣は入れてないんじゃ!」
「どっちでも一緒ですよ、それでもやるんですか?」
「やってやろうじゃないか!」
その言葉と同時にフィロリスはカタナを両手で握り締めた。
二人の間合いが五メートルほどにひろがる。
「容赦はしませんよ!」
「望むところだ!」
カタナを右上に構え、隙を狙う。
「くっ!」
二歩突進してカタナを振りおろしたが、ルーイのほうが速かった。カタナを上から下へ降ろすわずかなタイムラグでぴょんと跳ねたルーイは、フィロリスの右横を飛び抜け立ち位置を反対に再び間合いを取った。ルーイは体長が小さい分、ストライクゾーンが狭い。
「輝きに彩られる者よ、我が汝の主なり、その呼ぶ声に答えよ、暗き心をもつものを消さんがために」
ルーイの体の周りに小さな光の粒が浮き出してきた。その球は少しずつ周りの何かを吸収するかのように成長している。
「ちっ!」
後ろに跳ねる。発動されたらよけきれない。
初めて聞いた魔法だったが、ルーイの使う魔法の威力は十分に知っていた。魔法を使うときに手加減をするほどやさしくもないということも。
ルーイの使う魔法は主に外界の物質と呼応することでその力を借りるという「外氣術」の類だ。ひとつの物質と完全に呼応するのには時間がかかるため相当の修行が必要だが、大掛かりな技を使うことができる。それも使用するときには決まった呪文を唱えなくてはいけない。それだけタイムロスがあるのである。
ドンッ!!
その時だった。フィロリスの背中に大きなものが突進し、背中を不意にうたれた蒼髪の男は倒れ、平べったくなっている岩にきれいに額をぶつけたのであった。
ルーイの目には大きな紙袋を抱えたフィロリスと同じくらいの歳の少女が切迫したようすで立っているのが見えた。
「三分け」
意識の失いかけるフィロリスにそう声が聞こえた。
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