第9話 お願い
部活が終わって片付けのときにゴム弓に名前を書くように言われる。
ちなみにゴム弓代も無料ではない。今度徴収されるとのことだった。
名前を書き終わった油性ペンを元あった場所に戻しにいくと、たまたま緑川先輩がその場に居てペンを受け取ってくれる。
「どう? 長続きしそう?」
「たぶん、大丈夫です」
「そう? まあ道着とか結構お値段するから厳しいと思ったら早めがいいかもね。そりゃもちろん続けてもらえたら嬉しいけどさ」
「道着はいつ頃買うことになりますか?」
「ゴールデンウィーク前ぐらいかな」
「用具代は確かに大きな問題なんですけど、それに関連して教えて欲しいことがあるのですが聞いてもいいですか?」
「なあに?」
「円城寺さんってどういう立場の人なんでしょうか?」
「それと部活がどう関係あるの?」
実は部活動費がネックになっていて、課題図書を購入するとなると厳しいという懐事情を明かした。
「なるほどね。読書時間が取れなくなって返却が遅れて、借りられなくなるのも困るということか。でも、それに関しては謎が助けになるかもって教えたよね?」
「そうなんですが、円城寺さん自身が謎過ぎて、他のことが考えられないというか……」
「そっか。でも、それは教えられないな」
「先輩も知らないんですか」
「ううん。色々と知ってるよ。でも、それを私の口から話すのは良くないってこと。他人に自分のことを噂であれこれ言われるのって嫌でしょ?」
「それはよく分かります」
「親しくなれば、直接聞けるから頑張れ。まずは何か興味を引きそうな謎を見つけるところからだね」
「そう言えば、先輩の謎って何だったんですか?」
「ごめん。話しちゃダメって、円城寺さんに釘されちゃった」
「じゃあ、仕方ないですね」
「その妙にさっぱりとした顔は何かネタがあるんだな?」
「分かるんですか?」
「円城寺さんの真似をしただけよ。それじゃ、戸締りの仕方を教えるわ。秋山さん!」
呼びかけられてすっ飛んでやってきた。意外と動きは機敏なんだよなあ。
部活が終わったが、すぐに打ち解けて、駄弁っていこうぜ、などとなるはずもなく、同級生と別れて家路につく。
秋山も読書が終わっていないという事情を知っているのか誘ってこなかった。
家に帰って今まで以上に集中して本を読む。
翌日、放課後に秋山が部活に行こうと誘ってきた。
ちなみにこの高校には生徒による掃除当番というものもなく業者さんがしてくれる。お陰で掃除を押し付けられる弱気な生徒という図は存在しない。
僕は用事があるから一緒に行けないと秋山に謝った。
「先に借りていた本を返してくるよ」
「じゃ、先に行ってる」
旧館へと急ぐ。
相変わらず薄暗くて静かな廊下を進んだ。
蛍光灯が一カ所明滅していて、さらに雰囲気を盛り上げている。ホラー映画の撮影にぴったりな気がした。ちょっと言いすぎか。
書庫の前には、前回とは異なる貼り紙がしてあった。
『許可なきものの入室を固く禁ず』
相変わらず字は綺麗だなと思う。
固くというところに強固な意思を感じた。
僕の場合はどうなんだろう?
本を返却するという正当な目的はあるが、個別に今日の入室を許されているかといえばそうじゃない。
なんとなく、本は返すように言ったが、入室は許可していないぞ、ぐらいは言いそうな気がする。
そして、困った僕を眼鏡の奥の目で冷ややかに一撫でするのだ。
僕は廊下を注意深く観察する。
返却ポストの差し入れ口に相当しそうな形状のものはなかった。
改めて見ると扉の磨りガラスは暗くなっている。
不在なのかな?
タイミングが悪くて返却できなかったら、どうなるのだろうか。
大きく息を吐いてノックをすると扉に手をかけた。
がたつきながらも扉は横に滑る。
足を踏み出そうとして、パイプ椅子が置いてあることに気付いた。
誰かが引っかけたのか向きが斜めになっている。
椅子の上には段ボール箱が鎮座していた。なにから書き付けが貼ってある。返却の二字が、表の貼り紙と同じ文字で書いてあった。
どうやら、ここに本を返却しろということらしい。
これ、置いた後に誰かが持ち出してしまったら僕の責任になるのだろうか?
それと二巻も借りたいのだけれどな。
鞄からノートを取り出し、最後のページに走り書きをして破り取った。
カウンターのところに行き、紙を置く。
周囲を見回して見つけたサインペンをその上に乗せた。
まあ、後はこのメモに気付いて、無視しないことを祈るほかない。
体育館に向かって、着替えを済ませると弓道場に入る。
秋山は緑川先輩と何か談笑中だった。声を出して笑う先輩が秋山の肩を叩く。
新入生の練習内容は変わらない。
繰り返し同じ動作をした。
先輩たちも自分の練習があるので、常に見てくれるわけじゃない。
型を直してもらっても、数回やっているうちに崩れて、次に見てもらうときには別のところを指摘された。
射場で的に向かって弓を引いている先輩たちは四本矢を放つ度に交代で、的を掛けてある安土へ矢を回収しにいく。
安土というのは土や砂を斜めに盛り上げてあるところで、矢が刺さるようになっていた。
的に矢が当たるとパンという小気味いい音が響くが、安土だとトスというなんとも締まりのない音になる。
矢を回収している間に射場に残った先輩たちは、その間は控えの場所に戻って雑談をしていた。
その間は新入生も自由にしていていいと言われている。
昨日は居なかった同級生が二人いて、少しだけ自己紹介のようなものをした。
かなり日焼けしている女子がおり、くだけた感じで話をしてくる。
「私、新垣。新しい垣根でシンガキね。アラガキじゃないから」
名前とクラスといった基礎情報の交換が終わると、弓道部を選んだ理由が話題になった。
まさか、彼女が欲しいから女性の多いところに入ったなんて言えない。
「何か新しいことをしてみたくて。それにあまり運動神経が良くなくてもいいということだったから」
僕が無難なことを言うと、ミルクチョコレート色の新垣さんはうんうんと頷く。
「だよねえ。なんか四月って新しいこと始めたくなるよね。でも、結城くんって運動得意そうだけど」
「見た目だけね。球技とかは壊滅的だよ。それを言ったら、新垣さんだって」
後頭部に手を当てて新垣さんはアハハと笑った。
「私も見た目だけで、ガチガチのインドア派だよ。地黒なせいでよく誤解されるけどさ」
練習が終わると、新垣さんが提案する。
「ちょっと何か飲んでいこうよ。部活の休憩時間だけじゃしゃべり足りないし。季節限定の新フレーバー昨日からだからさ。試してみない?」
他の四人はすぐさま賛成した。
僕はスマホを確認する。
新着メッセージあり。明渓学園書庫からで、六時半までは待つとあった。
「ごめん、用事があるんだ。折角のお誘いなのに」
秋山が間を取り持つ。
「用が終わったら連絡してこいよ。まだ続いているか教えっからさ」
「じゃ、待ってるから、早くおいでよ」
皆の言葉を背に円城寺さんのところへ向かった。
もうちょっとお金に余裕があれば、一緒に行けたのにと残念な部分と、円城寺さんと話ができるのが楽しみな気持ちがない交ぜになっている。
相変わらず立ち入り禁止の貼り紙がされたままの扉をノックした。
返事がないが、取っ手に手をかける。
その辺りの感覚が雑になってきているのはまずいかもしれない。
扉を引くとカウンターのところにいる円城寺さんが見えた。
体を滑り込ませ扉を閉めると椅子を迂回して近くに行く。
「来たな、少年」
なんとびっくり、円城寺さんが自ら声をかけてきた。
なんと返事をすればいいのやら。
「はい」
当たり障りのない返事をする。
円城寺さんはカウンターの上に本を出した。『ジャン・クリストフ』の第二巻。
「これでいいのだろう?」
「はい。ありがとうございます」
本を鞄に仕舞う。
「では、謎を聞かせてもらおうか? いいブツであることを期待しているよ。そうだ。話を聞くに当たって条件がある。私の名前はどこにも出さないこと。いいね?」
もちろん僕に拒否権はない。
「もし、約束を破れば、人生で最大の後悔することになるよ。これは脅しじゃない。まあ、その椅子にかけたまえ」
円城寺さんは僕に椅子を勧めると自分も深々と背もたれに体を預けた。
僕は秋山から聞いた必ず競馬の勝ち馬が分かるという自称『必勝の神様』の話をする。
「運がいいな。いや、この場合は……」
そうつぶやくと、円城寺さんはフンと鼻を鳴らした。
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