第7話 読書の時間
秋山の部屋でゲームをして遊ぶ。
実力はほぼ伯仲していて、熱中してしまった。やはり格闘ゲームはこうでなくちゃ。
お互いの癖を指摘したり、もっといい方法を提案したりして競っていると時間を忘れてしまう。
それでも、暗くなる前には辞去しようとした。
「なんだよ。夕飯も食っていけばいいじゃないか」
秋山はそう言ったが、さすがにそこまでしたら親に叱られると断る。
「さっきの話、親父にもして欲しかったが、まあ、やりすぎは良くないかもしれないな。それじゃあ、下まで送ってくよ。店を通り抜けるのはきついだろ」
階段を下りてリビングに向かい、お母さんにお昼を御馳走してもらったお礼を改めて述べた。
「とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「あら。あんなもので良かったらいつでも食べにいらっしゃい。オコゲも遊んで欲しそうだし」
「だね。まあ、こいつは誰に対しても警戒心がないけど、結城のことは特に気に入ったみたいだ」
当のオコゲは前脚を僕のズボンにかけると後ろ脚で立って舌を出している。
構ってやりたいがペットを飼ったことのない僕はどうしたらいいか分からない。
「ほら、オコゲ。おいで」
秋山のお母さんが言うと僕から離れていった。
オコゲを抱き上げたお母さんに見送られてエレベーターに乗る。
ドアが閉まる前に、お邪魔しましたと頭を下げた。
「あんなにバカ丁寧にしなくてもいいんだぜ。まあ、お袋は気に入ったみたいだけど」
「そうかな」
「ああ。これは上手くいくかもしれない」
一階に到着すると秋山は内側のレバーを押さえて鉄扉を開ける。
「ここ閉めちゃうと自動で鍵かかっちゃうから。それじゃ、今日はありがとな」
「いや、誘ってくれてありがとう。本当にカレーも美味しかったし、楽しかったよ」
「それじゃ、来週学校で」
「じゃあ」
別れを告げて扉を通った。
秋山に手を挙げ通路を抜けると不動産屋の脇にあった開口部に出る。
電車に乗って家に帰った。
帰りが遅くなったことについて母は何も聞いてこない。
風呂に入って夕飯を済ませると課題図書に取り組んだ。
日曜日は読書に没頭できたので、夕食前には『ジャン・クリストフ』第一巻も残り百五十ページを残すところまで読み進む。
ふう。なんとか目途がついたかな。
スマートフォンに目を向けると新着メッセージがあった。
秋山からで、友達付き合いがあるなら野球部以外でもいいと許可が得られたと、喜び一杯のイラストスタンプつきで文章が書かれている。
祝意を伝えると同時に僕自身の部活動費がどうなったのかが気になった。
夕食時に母に確認すると一瞬だけ、あっという顔になる。
「お父さんからまだ返事がこないのよ。もうちょっと待ってて」
こりゃ、きっと連絡もしてないな。
「僕からもお願いしたほうがいいかな?」
「たぶん、忙しくて見ていないだけだと思うから、余計なことはしなくていいわ」
「悪いんだけどさ、一緒に入ろうって言ってくれている友達を待たしてるんだよね。催促してもらっていい?」
「夕食が終わったら電話するわ」
煩わしそうにしながらも請け合ってくれる。
ここはもう一押しした方がいいかも。
夕食後に皿洗いを買って出る。
キッチンで洗い物をしていると水音に混じって母が電話している声が途切れ途切れに聞こえてきた。
結構長い間電話をしている。
僕が居間に戻らない方がいいだろうと、ついでにお茶を淹れることにした。
三人分の湯飲みを運んでいく頃には母の通話も終わっている。
期待を込めて母を見るとテーブルについて、湯飲みに口をつけた。
お茶を一口飲んでから母はおもむろに口を開く。
「最初に揃えなきゃいけないものの代金と合宿代は別に出してもいいって」
「わあ、ありがとう」
「残りは小遣いから出すのよ」
「うん、分かってる」
ちょうど対戦が終わったタイミングの瑛次がテレビの前から振り返った。
「兄ちゃん、良かったね」
「そういう瑛次は部活どうするんだ?」
「んー。僕は適当にどこか入る」
「適当ってなんだよ」
母がくちばしを挟む。
「瑛ちゃん、やりたいことがあるなら遠慮しなくていいのよ。まあ、あまり怪我するようなところには入って欲しくないけど」
「なんかさ、運動部はどこもガチなところが多くて。土日も自主練と言いながら半強制のところが多いんだ。先輩のしごきもキツいらしいし。文科系の緩いところに入るよ」
「そう。瑛ちゃんは手先が器用だものね」
「まあねえ」
そんな会話を耳に挟みながら僕は懸案事項が一つ解決したことにほっとした。
秋山に部活動費用の問題が解決したとメッセージを入れる。
明日早速入部届を出しに行こうぜという返信に了承を返しつつ、新たな問題が発生したことに気が付いた。
部活は概ね午後六時までとなっている。
着替えや掃除などを含めると今までと比べて三時間が消えることになる計算だった。
そうなると、今後は読書に当てることができる時間が大幅に減ることになる。
しかも、先ほどの計算は少なく見積もっての話だ。
部活関連の付き合いというのも出てくるだろう。そうなればもっと時間は減る。
そうなると一週間で返却というのは結構厳しいことになりそうだ。
そこで緑川先輩の言葉を思い出す。
円城寺さんへ謎を提供することで本の貸出条件を緩和してくれる可能性があると言っていた。
謎か……。
推理小説なら窃盗から殺人まで、次から次へと新たな謎が湧いてくるけれど、現実の生活ではそんな事件はほぼ発生しない。
父さんが友人から聞いたと言っていたけど、日本で殺人事件が発生すると、所轄の警察署に捜査本部が置かれる。警察署単位で見れば、せいぜい、年に一回捜査本部が置かれるかどうかということだった。
平成初期ぐらいまでは今住んでいる場所の近所でも不良学生によるゆすりがあったそうだけど、最近はそういう話も聞かない。
まあ、円城寺さんもそんな大事を期待してはいないだろう。けれども、僕に面白そうな謎は小さなものでもないんだよなあ。
なくはないんだけど、僕にとっての一番の謎は円城寺さん本人なのだ。
学校施設に陣取っている以上は職員さんなのだと思うけど、本人は教員ではないと主張している。しかも、教員とみなされることも強く忌避している様子だった。
図書関連ということからすると司書さんということも考えられる。
ただ、中学のときに職業について調べることがあって知っているのだが、司書さんの働く場というのは実際のところはごく限られているようだ。
学校にある図書室の場合、ほとんどが司書教諭といって教師と兼任している場合が多い。
明渓学園の本来の図書室に居るならともかく、旧館の地下でとぐろを巻いているというのが解せなかった。
そもそも、正規の職員なのだろうか?
扉に臨時閉室という案内を出して生徒の入室を拒み、声をかけても読書を優先、本を借りたいと言えば面倒くさそうに対応していた。
こうやって冷静に考えてみると社会人としてどうなのかと思う。
普通なら苦情が出たとしてもおかしくない。
それなのに、あの場所に留まって、あんな感じで過ごせているということがとても不思議だった。
それとも、僕が変わっているだけなのか?
わざわざ辺鄙な場所まで借りられるか分からない本を求めて出かけていく人間が少ないのかもしれない。
いずれにせよ、この僕にとっての謎では、円城寺さんに出すには不適だ。
本人にとっては謎でも何でもないし、読んでいた本のタイトルを聞いたときの反応からして、個人的な事情を詮索されるのは嫌がるだろう。
とりあえず、円城寺さんについては緑川先輩という情報源がある。
入部すればいずれ話を聞く機会はあるはずだ。
適当な謎が思いつかず本を読むことを優先した僕だったが、翌日、謎は向こうの方からやって来たのだった。
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