其の五『同窓会』

 次の日。ミノルは久々に高校時代の友人に呼ばれ、大人数での飲み会に参加した。大人数とはいっても、高校三年生の時のクラスメイト、その一部だったので、プチ同窓会といった具合だった。


『ほとんど同窓会だってのに、行く必要あるか? 自慢できること一つだってないだろ』声が聞こえた。ミノルにとっては、酒を飲めれば何でもいいような気持ちすらあった。


「成瀬じゃん! 久しぶりー!」


 甲高い声に迎えられる。案内された個室には、すでに十人程の男女が席について、酒を飲んでは騒がしくしていた。懐かしい顔が並んでいた。

 ミノルは先入観で、こういう飲み会は和風な座敷の上で行われるものだと思っていたが、今回は明治モダン的な、ハイカラな内装な店だった。どことなく、クロエの店に雰囲気が似ているかもしれない。しかし、実際はあちらの店ははっきりとアングラ的な匂いがする。


「成瀬ますますカッコよくなってない⁉」てきとうに座った席の、その隣に座っていた女が甲高く叫んだ。――誰だっけな、こいつ。


「え、それな⁉」

「思った、磨きかかってるよね」


「ミノルきもー。萎えるわ、そういう感じ」


 文句を垂れた男には覚えがあった。女も何人かは覚えていたが、もしかしたら高校時代は女好きじゃなかったのかもしれない。


『どいつもこいつもうるせえんだな、ダチってのはさ』


「久しぶり、ハルト」ミノルは文句を垂れた男に挨拶をした。


「おう、久しぶり。てかお前、女子は無視かよ」


「いや別に、そういうつもりじゃねえけど……」


 ミノルは思わず笑った。ここに、こんなところに、懐かしい友情が落ちていたのか。


「んで、調子どうよ」と、ハルト。


「あー、調子? クソッタレだね。俺大学辞めたし」


「え⁉ やめたん⁉ じゃ、今何してんの」


「何? んー、何だろ。カスかな」


「カス? カスってなんだよ」とハルトは笑う。「具体的に、朝起きたら何してんの?」


「何って……まず俺、朝に起きねえし」


「だっはっ! ウケる、ガチで生活リズム壊れてんのか!」


「そう、まあ、それは大学辞める前からだけど」


 こんな生き方をしていても、自己嫌悪は抱いていない。そこがミノルの最も駄目なところかもしれなかったが、自己嫌悪なんていう感情は、抱かないに越したことはないという意識があった。


「じゃあじゃあ、夜は何してんの」ハルトはすでにいくらか酒が入って、鬱陶しいテンションに入っていた。


「スロットとか、競馬とか、あとまあ、大概は酒飲んでるかな。そうでもねえか。よく分かんねえや」


「だ……ッ、はっはっは! ほんでカスを自称するに至ったか、お前相変わらずおもれえな‼」


 それから何杯か、十何杯か飲んだ。クラスのみんなはそろそろ顔も赤くなって、変なテンションで変な会話をしていた。ミノルは何杯飲んでも自分だけ変に冷静で、逆に恥ずかしい気分になった。何人かはすでに眠そうにしていた。――こんなギリギリまで飲むもんなのか。そういう冷静さが自分では嫌な気がした。


 ミノルの隣に、懐かしい顔が座った。トイレ帰りだったらしく、席替えの多い集団の中、漏れなく何度も人が入れ替わっていたミノルの隣の席を、ここぞとばかりに獲得したらしかった。


「久しぶり、かっこよくなったね」女だった。


「女子ってそれ言わないと死ぬルールとかあんの?」


「まあね、ただの社交辞令だよ。本音じゃない」


「へえ。お前、墓前の花なにがいい?」なんとなく、ブルーを思い出した。何故かは分からなかった。


「はっはっ、うそうそ、ごめんごめん」


 女は嬉しそうに口角を釣り上げて、手を叩いた。女の名前はたしか、カナだったか、ハナだったか、そんな名前だ。


「でも、ホントかっこよくなったよ。てか、昔からかっこよかったんだけどね」


「なに、ホントに何、みんなして。気持ち悪ぃな」


「ははっ。みんな思ってること言ってるだけじゃない?」


 女は言って、ミノルから体を離すと、テーブルに肘をついた。


「俺のこと口説こうとしてる?」


「ふふ。うん、みんなが油断してる隙にね」


「あっそ。まあ頑張れよ」ミノルはなんだか面倒な気分になっていた。


「何それ。ふふっ。成瀬は私のこと、覚えてた?」


「まあ、それとなく。ハナだったよな?」


「ハナって……! カナね! 私の名前、カナだから!」


 女は名前を間違えられたのにも関わらず、嬉しそうに笑うと、ミノルの方へ体を預けた。


「ああ、そうか、そんなんだったな。悪ぃ悪ぃ」


 ミノルはさらに何杯か飲んで、段々と意識がふらついてきていた。気持ちがいい。


「それで、成瀬、私のことどう思ってんの? あり?」


 彼女は酒が入ると声が大きくなるタイプらしかった。


「どう? どうって、そりゃあ……」


 分からなかった。彼女のこと、好きでも嫌いでもないようだった。――あり? なし? なんだそりゃ、どう判断しろってんだよ。めんどくせえな。


 ――だいたい、女って生き物はいつもこうだ。ちょっと優しくしてやればほいほいついてくるクソチョロメンタルのくせに、いったん仲が深まれば、付き合ってなかろうが構わず気色悪い独占欲を出してくる。男の浮気は許さないくせに、女の浮気は不安な気持ちの結果だから男に責任があるらしい。クソくらえだ。男を自分の所有物か何かだと誤解してやがる。ああ、もう、なんか全部めんどくせえな。同級生も、女も、社会性だとか、将来性だとか、政治だとか、組合だとか、年収がどうこう、教養がどうこう、常識がどうこう、全部、全部、めんどくせえ。


「――正直、あり」ミノルは口を開いた。


「え! マジ⁉ 私さ、高校ん時から成瀬のこと好きだったんだよ」


「ありがとう、気持ち伝わるよ。俺いいこと考えたんだ」


「え、え、なになに」女はどんな想像をしているのか、興奮気味だった。


「俺たち、二人だけでさ、遠いどこかに行こう。誰も俺らのことを知らないところ。何も持たず、誰にも知られずにさ、」


「え、え、え、いや、でもさ……、」


「ビルのないところだ、それがいいに決まってる。俺らでそこに一軒家を建てよう。でも不動産とかは話したくないし、二人で一から建てるんだ。素材を買い集めて。で、家の周りに二メートルくらいの壁を立てよう、」


 ミノルは早口でまくしたてた。


「いや、でも、ちょっと待ってよ、何で急にそんな興奮して……、」


「でも近所の何人かとは仲良くするんだ。小学校の近くは嫌だけど、遠すぎない所にしよう。子どもとの交流は大事だから。それで、それで……、俺たち、そこで静かに生きていくんだ。老いて、死ぬまで。この街の奴らには見つかることもなくさ、静かに生きて、静かに死のう。……ふたりっきりで」


「ねえ、ねえ、待って、成瀬。無理、無理だから。どうしてそんな飛躍するわけ」女は困惑していた。「急にそんな、無理に決まってるでしょ」


「は? なんでだよ。完璧だったろ、今の」


「何言ってんの、急にそんな。絶対無理だから」女は苛立っていた。


「急じゃねえよ、すぐじゃなくていい。将来的にって話」


「じゃあ、具体的には? どこに行くの? なんでそんなことするの?」


「なんで? 何でって……、そりゃ、ここがクソッタレだからだよ。全部捨てて、やり直したいんだ」


 ミノルはたしかに酔っていたが、妙に冷静で、自分でもわけの分からない状態だった。


「ねえ、成瀬」女の声が少し低くなった。「そんなの、無理だから。人生の負債って、逃げれば消えるわけじゃないと思うよ。どっかで清算しなくちゃならないんだよ、たぶん」


「なんでだよ、そんなのクソだ。何でどいつもこいつも嫌なことばっかやって生きてんだよ」無意識に、声が少しふるえていた。


「だって、だって……人生って、その程度のものだもん……」女は急に悲しそうな声色になった。


「は? なんだ、てめえ。気色悪ぃな。」心臓がうるさく鳴っていた。


「じゃあてめえはこのクソッタレな街で一生苦しんで死ねよ、クソ女。嫌なことも我慢して、好きなことにはごくたまにしか触れず、そんなのが人生だなんて、そんなの嘘だ! このクソアマ……!」


「ううん、嘘じゃないよ、嘘じゃない。ホントだよ。人生って、みんなそう。たった一瞬の幸福のために、ずっと耐えるんだよ。みんな、耐えてるんだよ」女の目には涙が浮かんでいた。


 周りの元同級生たちはいつのまにか、ほとんど眠ってしまっていた。数人の起きている者は、ただ黙って、怒鳴りあう二人を見つめていた。


「耐えてるって、……はは、クソだな。……お前らって、明日死んでもそう言えんの? なあ? 明日死んじまっても、耐えた甲斐あるってほざけんのか……!」


 ミノルがテーブルを強く叩いて、その上の食器やら何やらが音を立てた。ミノルは息を荒げ、少しずつ頭が冷えていくのを感じていた。冷静になって、なんでこんなことで怒鳴っているんだと馬鹿らしく感じた。


「ねえ、ねえ……怒鳴らないでよ、怖いよ、成瀬……」


「おいおい、おいおいおいおい、ミノルくんさぁ、女の子泣かしちゃダメだろー」聞き覚えのある、鼻につく声が聞こえた。「だいたい、カナは間違ったことは言っちゃいない」


 武田という男だった。

 高校時代、惚れてた女がミノルに惚れてただとかで、以来ずっと陰湿な嫌がらせを繰り返しては、クラスメイト全員に呆れられていた、筋金入りの陰キャ男だ。


「カナはな、お前に現実を見てほしいんだよ――」


「カナとか馴れ馴れしく呼ばないで、気持ち悪い」


「――で、でさ、だから、お前、ありえねえこと言うなってことだよ」


 武田が言った。酔いきっているようだった。カナは鼻をすすっていた。


「なに、おまえ」


『なんだこいつ、殴ろうぜ』まだ、酒が足りない。


「お前さ、まだヒナミのとこいるんだろ? そんでお前、どうせヒモだろ? そんで、しかもお前、ヒナミのことめんどくさいと思ってるだろ? いいか、めんどくさいのはお前だよ、誰がどう考えたってな」


「呼び捨てすんなよ、本人とは目合わせて話すことすらできねえくせによ。キショいんだよイ〇ポ童貞野郎」


「うるせえ、静かにしろ。お前、ヒナミのこと重い女だと思ってるだろ? 違ぇよ、お前が軽薄すぎるんだよ。ヒナミはお前のこと尊重して、大切にして、尽くしてくれてるんだろ? お前はあいつに何してやったんだよ? 何かしてやったのか? やってねえだろ、どうせ。お前、家事すんの? 洗濯、料理、掃除、買い出し、なんかひとつでも手伝ったことあるのか? ねえだろ、ねえよな? そんなお前が、お前ごときが何がどうしてヒナミのこと見下せるんだよ。オイ。お前、一日中、酒、女、煙草にギャンブルだろ? そんで家事もてんでダメなんだろ、そんなお前がなんでヒナミを重いだのめんどくさいだの思っていいと思ってんだよ。キショいのはお前だよ。まずギャンブル中毒とアル中治せよ、社会不適合者。大学もやめたらしいな、お前どうすんだよ、将来。まさか一生ヒナミのすねかじり続けんのか? 働けよ、今からでも。ホント救いようねえなお前。てかさ、お前佐藤さんにも可愛がってもらってるよな? お前どうせあの人のこと下に見てんだろ? 佐藤もカスだから付き合いやすいとか思ってんだろ? でもな、お前と付き合ってくれてるだけで十分良い人だから。しかも酒も奢ってくれるんだろ? お前どうせ一円も出さねえんだろ? そんで佐藤さんのこと下に見てんの意味わかんねえから。俺からしたら佐藤さんも暴力漢のクソダサ野郎だけど、お前に付き合ってやってるってだけでマジで尊敬するよ。俺だったらマジで、マッジで無理だもん、お前みたいなやつ。生理的に無理。理性的にも無理だよ。お前、周りを不幸にする天才なんだよ。お前のせいで俺は高校もクソつまんなかったし、女もお前に取られたしな。でも、これで結果が出たよな。お前は道から外れ、俺は真面目に生きてる。そういうことだ、クソ野郎。成瀬、俺はお前が嫌いだし、どうせここにいる皆もお前の事うざがってるよ」


 武田の言葉には、彼にとって都合の良い妄想や推測が多く含まれていたし、ほとんど私怨だった。いつもなら問答無用に殴って黙らせていただろう。しかし、ミノルは何故か、何かが悔しくて、何も言えなかった。

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