よかれと思って――1

 昨日、雛野のボッチ卒業を祝うべく夕飯を作った。その出来事を経て、俺はひとつの決断をしていた。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 雛野が用意してくれた朝食は今日も絶品だった。雛野の料理がなければ満足できない体になってしまうんじゃないかと心配になるほどだ。


 雛野が煎れてくれた食後のほうじ茶を堪能し終えた頃には、ちょうど登校すべき時間になっていた。


「そろそろ行こうか、雛野」

「そうだね。それじゃあ、あきくん、これ」


 席を立って鞄を背負う俺に、雛野が弁当を手渡してきた。この弁当は雛野の真心そのものだ。ありがたく受け取り、俺は雛野に感謝を伝える。


「いつもありがとう、雛野」

「わたしのほうこそ、いつも美味しく食べてくれてありがとう」


 雛野がニヘーと頬を緩める。施しをしているのは雛野のほうなのに、俺にお礼を言ってくれている。健気という表現が雛野以上にふさわしいひとはきっといないだろう。


「俺が毎日快適に過ごせるのは雛野のおかげだ。本当に、雛野には感謝しかない」


 つられて頬を緩めたのち、俺は顔つきを真面目なものに改めた。


「そんな雛野に伝えたいことがあるんだ」

「伝えたいこと?」

「ああ。とても大切な話なんだけど聞いてくれるか?」


 黒真珠の瞳を真っ直ぐ見つめながら告げると、どういうわけか雛野がアワアワと慌てはじめる。


「し、真剣な眼差しで、とても大切な話……も、もしかして、こ、ここ、こくは……」

「ん? 様子がおかしいけど大丈夫か? 俺の話、後回しにしたほうがいい?」

「だ、大丈夫! それで……た、大切な話って、なに?」


 期待と不安が入り交じったような表情で、キュッと制服の胸元を握りながら、雛野が見つめ返してきた。


 どことなく熱が籠もっているように感じる視線を受け止め――俺は告げる。




「明日からは弁当を作らなくてもいいよ」

「はぇ?」




 雛野がすべての動きを止めた。なにを言われたのか理解できていないような反応だ。


 昨日の出来事を経て俺が決断したこと。それは、『雛野の温情に甘えすぎないこと』=『弁当を遠慮すること』なのだ。


 たっぷり一〇秒は硬直していた雛野が、ようやく再稼働して尋ねてくる。


「……大切な話って、お弁当のこと、なの?」

「ああ、そうだ」

「……そっかぁ」

「なんか、もの凄いがっかりしてるけど、どうした?」

「ううん……なんでもないよ」


 なんでもないと言ってはいるが、雛野は『ズーン』という効果音が似合うほど落ち込んでいた。


 雛野の謎の反応に首を傾げつつも、俺は続ける。


「さっき言ったように、俺が毎日快適に過ごせるのは雛野のおかげだ。だからこそ、雛野には負担をかけたくない」


 昨日、夕飯を作ってみて俺は再確認した。やはり料理は大変だと。野菜サラダひとつにさえ手間がかかると。


 ならば、弁当作りに相当な労力が必要なのは想像にかたくない。それが毎朝のこととなればなおさらだ。


「弁当作りがなくなれば、雛野はいまより睡眠時間を確保できるし、負担も減るだろ?」

「それは、そうだけど……」


 どこか納得がいっていない顔つきで、雛野がいてきた。


「わたしのお弁当、いらない?」

「そんなことはない。けど、雛野に負担をかけてまで求められないよ」


 微笑みとともに俺は告げる。これで雛野の負担は大分軽減されるはず。


「……そっか」


 雛野の反応は俺の予想とは大きく異なった。残念そうに苦笑したのだ。


 負担が減るんだから嬉しいはずなのに、どうして残念そうにしているんだろう? どうして落ち込んでいるんだろう?


 残念ながら、雛野の心情が俺にはつかめなかった。

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