神三柱! ~修行と観光、それから……~

まやひろ

リリとペルコと異世界と


「トモくんは相変わらず大人びてるねぇ」

 放課後、ランドセルに教科書を詰めていた僕に鈴香がしみじみとつぶやいた。

「どこがさ」

「クラスのみんな最近は神様の事で盛り上がっているのに全然ノッてこないし」

 鈴香すずかが周囲を見回しながら言う。よく聞くと会話の端々に願い事とか神様とかの単語が混じっていた。

 僕はため息を吐いて軽く笑った。

「ほら、そういう仕草。大人っぽいっていうか……いや、枯れてる?」

「おい」

 鈴香はそれこそ歳相応な顔であははっ、と笑った。


 願いを叶えてくれる神様がいる。


 ヨタ話にもほどがあるけど最近、本当に神様に会ったという人が何人もいる。クラスにもいる。

 ただそれは頭の中に突然神様と名乗る人が声をかけてきて、でも願いを叶えるのではなくアドバイスだけしてくれるそうだ。しかもトンチンカンな。

 そしてアドバイスを話した後は感謝しろだの朝晩崇あがめろだの、やたらと感謝を強要してくるそうだ。

「お礼言わないとわめきちらすって、神様じゃなくて悪魔か妖怪じゃん。もう行くよ」

「まって、アメは持ってる?」

「あ」

 しまった、と眉をひそめる。

「しょうがないなぁ。とっておきをあげよう」

 鈴香はポシェットの中から飴玉を取り出す。

「いいよ」

 まぁまぁ、と鈴香はポケットの中にアメを押し込んだ。

「……ありがとう」

「弟くんたちによろしくねー」

「なにを?」

 僕は軽いとは言えない足取りで教室を後にした。


「トモにいー」「トモおにい」

 昇降口に僕を呼ぶ声が響く。双子の妹のミクとアミが駆け足でやってきたけど、まだひとり足りない。

「ヨウにい、川のところの木に登るって」「登るんだって」

「一番高いとこまで登るって言ってた」「言ってた」

「あいつまた勝手に……」

 弟のヨウはぶっちゃけサルと変わらない。寝ているとき以外、じっとしているのを見たことがない。

 なら双子の妹がおとなしいかと言えばそうでもない。二人は二人で寝るとき以外はひたすら喋るか歌ったりしている。再生が止まらない広告動画みたいだ。

「危なくないように一緒に帰るって決めているのに」

 僕は自分の顔が熱くなるのが分かった。引きずり下ろしてやる、と歩き出す僕の後ろで二人はもう何かはやりの歌を歌い始めた。

「アメやるから黙ってろ」

 ポケットのアメを渡すと、二人はようやく静かになった。アメはこいつらを黙らせるためのアイテム。鈴香に感謝だ。

「あー! にいちゃーん! すごい高いよ! すげー!」

 校門を出てすぐの川の並木道で高い木に登っているヨウを見てめまいがした。

「ヨウ! 降りろって! 先生が来るぞ!」

「えー? でももうちょっと登れそうだからー」

「この前も怒られただろ!」

「大丈夫、落ちな」

 ヨウが握っていた枝がパキっと折れた。

 僕は悲鳴にならない悲鳴をあげながら駆け出す。

 神様! 助けて! ヨウを助けて!

 心で叫びながら落ちるなら自分を下敷きにしてくれ、と滑り込んだ。

 だけど。

「あははー! うわー! 逆さまだー!」

 ヨウは座っていた枝を足ではさみ、逆さまになって笑っていた。そして逆さまのままで幹を滑り降りてくる。

「兄ちゃん、だいじょうぶ? 服がホコリだらけじゃん。ダメだって」

 あっけにとられて立てないままの僕を見てヨウがあーあ、と肩をすくめた。

「ヨウにい、トモにいみたい」「うん、トモおにいのまねー」

 ミクとアミがハモって笑う。服には土ぼこりの汚れだけじゃなく、胸や膝のあたりにスライディングしたときに出来たらしい擦り切れがあり、血がにじんでいた。

 僕は立ち上がり、両手を見る。川辺のじゃり道の小石は鋭く尖っている。両手の擦り傷がじんじんと痛む。

 眼にも砂ぼこりが入ったらしく、痛くて手で顔をぬぐう。

「泣いちゃった? 痛かった? 服が汚れたから? 大丈夫、ぼく、母ちゃんと父ちゃんに言ってあげるよ。兄ちゃんを叱らないでって」

 何を行っているんだ、と思った。

「トモにい、ハナ出てるよー」「トモおにい、赤ちゃんみたいー」

 二人がまたハモって笑う。

 心臓がバクバクしていた。

 汗が体中から吹き出る。

 手が震える。足も震える。体中が震えている。

 頭の中が爆発しそうだ。

「兄ちゃん大丈夫? もう、しっかりしてよ」

 その言葉で僕の中の何かが切れた。

 気がつけばヨウを思いっきり突き飛ばしていた。

 尻餅をついて驚いたヨウが僕を見つめる。

 ミクとアミも息を呑み、互いの手を握り動かなくなっていた。


 ──もう嫌だ。どこか知らない所に行ってしまいたい。


「お前たちなんて……お前たちなんて……!」

 もう一言叫べば楽になる。

 なのに喉のすぐそこまで出かかっている最後の一言が出ない。

 胸が割れそうになるくらい息を吸い、一気に吐き出そうとしたそのとき。


「……きゃぁぁぁああああーーーー!」


 空の上から黄色い悲鳴が降ってくる。

 見上げたそのとき、僕の顔面に何かが落ちてきた。

 一瞬見えたのは、紫色の着物みたいな、だけどダブっとしていないピシッとした服にやたらと飾りをつけている女の子。髪は長くて、大きな目をまんまるにしていた。

 思わず目を閉じた瞬間、僕の顔に足の裏が当たる。女の子の「あ」の一言と同時に周りの地面、空気が突然ガシャッと細かいモザイク画のように分解する。

 モザイクは波紋のように波打ち、バラバラと変化して風景が変わっていった。

 そしてその中に一瞬風景を横切る青白い巨大なものが見え、一気に風景が切り替わる。僕の体もいつの間にかモザイクに変わり、モザイク画の中に混ざっていく。

 ヨウたちが僕の名前を叫んでいるけど、その声すらバラバラのピースに分かれてモザイクの向こう側に消えていく。

 僕の意識は黒いピースに埋め尽くされ、とぷんと闇に飲み込まれてしまった。




「……えー! ……はうえー!」

 知らない声が聞こえる。

 誰? 何かを呼んでいる? もしかして迷子?

 今にも泣き出しそうな声に長男の本能が覚醒し、カッと頭が目覚める。

「大丈夫か!」

 体をがばっと起こすと、少し離れたところに小さい女の子が立っていた。ビクッと身を縮め、目をまんまるにして僕を見ている。

「……あれ?」

 周りにあるはずの見慣れた建物が見えなかった。川も、桜の並木道も何もない。 

「おっ……起きたなら起きたと言わんか、うつけ者めが!」

「あ、ごめん。君は?」

「君ではない。リリじゃ! 気安く呼ぶでないぞ!」

「分かった、リリ」

「不届き者! リリ姫と呼ばんか!」

「リリ姫」

「尊厳が籠もっておらぬ!」

「ハナ出てるよ」

「っ! この……で、でりかしーの無い童子じゃ……!」

 リリが素早く鼻をすすり、咳払いするような仕草をして僕を睨む。

「僕はわらしじゃない。トモ」

「どうでも良いわ!」

 すごい剣幕だけど弟や妹たちのケンカと変わらないから何でもない。

 そう言えば少しお尻が湿っている気がする、と立ち上がって周りを見ると……。

「え?」

 僕は思わず声を漏らす。

 足元は牧場で見たことのある草原に見えるけど、なんか違和感を感じていた。立ち上がってその理由がわかった。草原はリリの背後でぶっつり途切れている。

 リリの後ろだけじゃない。僕の後ろもだ。

「ってことは……」

 見渡すと、ぐるりと周囲の地面が丸く切り出したように途切れていた。

 途切れている地面の先を見ると、ずっと向こうになだらかな地面と森と川、そして遠くに山脈があった。

 森の中や地面の何箇所かから、とても大きくて頭でっかちの釘みたいな柱が伸びていて、てっぺんには草が生えているのが見えた。

 それってつまり……。

「柱の上?」

 リリに言うと、僕をにらむような目で頷く。

 ドキドキしながら端っこに近づくと草が途切れて岩の地面が見えてきた。真ん中は草が生えているけど、周りは石だ。

 そっと下を覗くと地面が遠い。体が吸い寄せられたような気がして慌てて下がる。

 と、今度は上から聞き慣れない鳴き声が聞こえたから空を見上げる。すると、高い空を鳥とは違う何かが飛んでいる。青白くて、長い尻尾がある。鳴き声と同時に口から炎が出たのは絶対に気のせいじゃない。あんな生き物知らない。

 空を見上げると、昼の月が見える。ただし、二つ。

 ここは僕のいた街……いや国、じゃなくて……世界じゃない?

 心臓がどきどきと高鳴りはじめていた。

「もしかして君が僕をここに連れてきてくれた? 君が神様? 本当にいたの?!」

「神? そ、そうじゃ! わしこそ人の願いを叶える神じゃ! 崇めるが良い!」

「ヨウ、いない?」

「う、うむ」

「ミクもアミも?」

「だからここは異世界。元の世界の人間はお前以外誰もおらん!」

「……ぃやったああああああ!」

 感情が吹き出し、頭がぱん、と破裂したような気がした。

「ありがとう! ヨウがいない! ミクもアミもいない!」

「え?」

「お守りしなくていいんだ! 知らない人について行かないか気をつけなくていい! 変なところに登らないか気にしなくていい! 僕、自由だああっ!」

 空に向かって両手を広げ、そして背中から地面に寝っ転がる。

 思いっきり両手両足を広げて深呼吸する。空気が美味しいと思ったのは初めてだ!

「な、何じゃ? 家人かじんと会えなくなったのじゃぞ?」

「全然いいよ! なんにも気にしなくていいんじゃん!」

 僕はバネみたいに体を起こして腕を振り回した。うわ、体まで軽く感じるや。

「いやいや、家族は大事じゃろ? ないがしろはならんぞ!」

 立ち上がって迫るリリが襟をつかもうとするので、僕はさっとリリの両手をつかむ。

「な? こ、ぶぶ、無礼者!」

 ヨウたちのやんちゃに伊達に付き合っていない。子供の乱暴な行動なんてだいたいお見通しだ。

「落ち着いてリリ」

「落ち着いておるわ!」

「いいじゃんか。連れてきてくれたんなら帰れるんでしょ?」

「……そ、それは、まぁ」

 手を離すとリリが離れながら顔を背ける。

「じゃあ問題なし! うわぁ、神様が異世界に連れて来てくれるなんて、すげー!」

 リリは遠くの空を見ながら眉を曲げていた。

「あ、それでさ、まずはどうやって降りようか」

「……知らん。流石に飛べんぞ」

 リリはぷい、と向こうを向いてしまう。なんだかミクが拗ねたときそっくりだ。

「そうなのかぁ。ここだけでもすごくいい景色だけど……ん?」

 ふと、柱の下から長くて黄色いものがにょきっと伸びているのに気づく。

 じっと見ていると黄色いそれはさらに伸び、やがて顔が出た。

 それはとても大きい鳥だった。飛ばずに柱をよじ登ってきたらしい。羽はコウモリみたいな形で、爪もある。

「ペリカン……それともまさか、ケツァルコアトルス?」

「けつる……何?」

「ケツァルコアトルス。翼竜類。本物はこんなに小さくないけどね」

「充分デカいぞ?」

 リリが鳥を見上げながら眉をひそめる。

「本物は羽根を広げると十メートル」

「モノノケか?」

「七千万年前くらいの生物だから」

「へ、へぇ。知ってたがの」

「無理しなくていいよ?」

「知ってた! それよりコレはなんなんじゃ!」

「……なんだろう」

 ペリカンみたいなコウモリみたいな不思議な白い鳥は僕の腕より長いくちばしでぺたぺたと顔を撫で回す。クチバシは案外柔らかかった。

 それから僕の体を見回し、、やがてポケットのあたりで視線が止まった。

「もしかして……」

 ポケットのアメを差し出すと鳥はくちばしでアメをつつき、くえー、と鳴いてアメを咥え、飲み込んでしまう。一瞬、手首ごと食べられるかと思った。

 鳥はまたくえー、と鳴き、今度は遠慮なくくちばしをごりごり押し付けてくる。

「え? 何? 気に入った?」

 くちばしで頭がぐわんぐわん揺り動かされる。だけど全然怖くないし、なんだか可愛い。頭を両手でそっと包み込むようになでると鳥は僕の手にも頬ずりしてきた。

「手なづけおった」

 リリがぽかんとしている。

「そうだ、名前欲しいな。ペリカンでケツァルコアルトスだから……」

「ペリケツとかぬかしたら許さんぞ」

「……ペルコ?」

 リリがまぁ良し、と頷く。

 鳥改めペルコはくえー、と鳴いて背中を向けた。

「もしかして、乗っていい?」

「そんなわけなかろ」

 リリが鼻で笑うけど僕は大丈夫だ、と思った。動物に乗ったことはないから公園のタイヤの遊具にまたがるイメージで乗ると、案外乗り心地がいい。

 僕をのせたペルコが羽ばたく。

「ま、待て! わしを置いていく気か!」

 リリが羽ばたきを見て駆け寄るけど、ペルコが怖いのか手が届くまであと少しのところで足をすくませる。

「おいで」

 僕が手を差し伸べるとリリは少し戸惑い、そっと手を差し出す。僕はその手を握り、一気に引っ張る。

「わぁっ!」

 リリはやっぱり軽かった。ペルコは大きな足でぐるぐると柱の上を外周いっぱいに走り始める。

 だんだん遠心力がかかり、体が外に引っ張られる。

「や、お、落ち……」

 リリが泣きそうな声で背中にしがみつく。

 いよいよ体が斜めになり、遠心力が僕らを柱の外に放り投げようとした瞬間、ペルコはぎゅんと体をひねって翼を広げ、空に飛び出した。

 頭を引っ張られているようだった感覚が一瞬で無重力みたいな感覚に変わった。

「飛んでる……」

 気がつけば視界には空しかなかった。

 映像でならいくらでも見たことがある。だけど今は違う。本当に全部本物の空だ。風も匂いも眩しさも本物だ。

「あはははっ! 空だ! 飛んでいる! 飛んでいるよ!」

 両手を広げて体全体で風を感じようとすると。

「これ! 危ないぞ!」

「大丈夫だよ。足はしっかりペルコを挟んでいるから」

「だからとて、気が気でないわ!」

 リリはペルコの背中に必死にしがみついている。

「大げさだなぁ」

 座り直して周囲を見ると、さっきまで僕たちがいた所が見える。そこはやっぱり頭でっかちの釘で、落ちたら助からない高さだ。

 遠くを見れば、森の奥に小さく屋根の集まりが見えた。街だ!

 細長い建物が突き出ている。あれはきっと『塔』だ。

 鐘があるんだろうか。見張りがいるんだろうか。まだつまようじみたいに小さく細くしか見えない塔一つで想像が止まらない。

 そして、ドキドキのワクワクにさらにおかわりがやって来た。

「あれ何っ?!」

 もう楽しくて声が裏返りそうだった。いつの間にかツバメくらいの大きさでトンボみたいな羽をつけた人のような何かが三人並走して僕たちを見ている。目が合うと手を振り、唄うような声で何かを言っている。

「妖精!」

 それはゲームや映画で見るようなそれよりも生き物っぽく、そして可愛いだけじゃない、どこかに不気味さのようなものも感じた。でも、だからこそそれは今ここにいて生きているんだ、と不思議な感動を感じる。

「アメ食べる?」

 アメを手に乗せて差し出すと、妖精たちはアメに近づいてきてくんくん、と匂いを嗅ぐ。そして僕とアメを何度も見比べてから三人で一緒にアメを掴み、次の瞬間、アメがパキ、と綺麗に三等分に割れた。三人はアメを抱えるようにして舐め、そして目を輝かせる。顔を見るとどうやら気に入ってくれたらしい。

 妖精たちは小さくて、でも透き通る声で何かを歌い始めた。

「綺麗で、でもちょっと怖くて、不思議だな……」

 そういえばこのペルコだって不思議のカタマリだ。

 僕は不思議な鳥に乗って不思議な世界を飛んでいる。

「食い意地は全世界共通じゃの」

 リリがさっきより落ち着いた顔で少し笑った。

「あ! 見て! 島が浮いてる! うわぁ……! あるんだ! 本当にあるんだ!」

 空に浮かぶ色々な大きさの島が見えてきた。ゲームや映画で見たそれに似てるけど、石や土の質感、複雑な形、木や草の生え方。どれも全然違う。

 ペルコはたくさんの小さな浮島に近づき、島の間をジェットコースターみたいに飛ぶ。遊園地なんかよりずっとスリルがあるし、スピードだって段違いだ。

 無意識に手を出すなよ、と言いかけ、今誰のお守りもしていないことを思い出す。僕は深呼吸してまた思いっきり叫んだ。とにかく叫びたかった。

 やがて一番高い浮島まで飛ぶとペルコが一声鳴いてそこに降りる。ちょっと息が上がっていた。

「ごめんね、たくさん飛んでくれてありがとう」

 首を撫でるとペルコはくえ、と鳴いて寝っ転がる。鳥というより猫みたいだ。

 降りた島は柱の上より小さいけど、幹がカクカクしたおかしな形の木が生えてて日陰があるし池もある。魚はいないけど、虫が水中を泳いでいた。

 指をつけると水はぬるく、木は風に揺れて幹がきしむ音を響かせる。普通の自然現象ではあるのに、何もかもが初めてのように感じた。

 寝っ転がって空を見上げると二つの月がずいぶん大きく見え、クレーターに混じって建物?が見える。

 ここは本当に知らない世界なんだ。僕は改めて実感し、感動を噛みしめる。

 ふとカサリ、と木の葉っぱが揺れ、今度はネズミくらいの大きさのキツネみたいな生き物が近づいていくる。

 またアメかな? と思ってポケットのアメを出すけど、キツネネズミはそれには目もくれず、ペルコに登って羽の中に潜り込んみゴソゴソし始める。ペルコがくえ? と鳴いたけどまた寝て、キツネネズミも羽の中で静かになってしまった。

 風景も生き物も見たことのないものばかりだ。

「帰りたくないな……」

「トモ、家族が嫌いか?」

 隣りに座ったリリが心配そうに聞く。その眼には不安の色をにじませていた。

「嫌いじゃない。でも、あの忙しい世界には帰りたくないな、って」

 弟たちの顔を思い浮かべる。ほんの数時間ぶりなのにもう懐かしい気がした。

「あいつらがここに来たら、あっちとは比べ物にならないくらい大変だろうな」

 ヨウは大きくて不思議な形の木に登って降りてこないだろう。ミクとアミはペルコや妖精の声を真似てずっと唄うだろう。

 想像すると吹き出しそうになった。弟たちの相手が嫌でここに来たのに。


 ──でも……。


「リリ、帰るときはどうするの?」

 えっ、とリリが僕を見る。

「この島からじゃなく、僕の世界ね。帰してくれるんだよね?」

 リリが喋らない。うつむいて目が泳いでいる。ちらりと僕を見てはさっと視線をそらす。

 これ、アミがウソをついているときの仕草にそっくりだ。

「ねぇ? まさか……」

 詰め寄るとリリは背中を向けてしまった。

「リリ!」

「できんのじゃ!」

 今までで一番大きい声だった。

「お前を帰すことは、できんのじゃ!」

「連れてきたのにどうして帰せないのさ!」

「連れてきたのではない……」

 リリが振り向く。目に涙がいっぱいたまり、一粒こぼれた。

「わしが! わしがお前に引っ張られたのじゃ!」

 リリが僕の襟を掴んで叫ぶ。

「いや、そんなわけないよ」

「事実じゃ! わしは人を異世界に送る事など出来ぬ」

「そんな! だって神様でしょ?」

「違う! わしらがここに転移したのは、わしとお前と、それから……」

 急に周りが暗くなり、肌寒かった空気が風と共に一気に熱くなる。

 空を見上げると、太陽を遮って大きな鳥……いや、あれは……!

 ペルコがくえーー!とすごく大きい声で鳴き、妖精たちが散り散りに逃げていった。

「わわっ!」

 驚いたリリがしがみつく。

「ドラゴン……?」

 真上に飛行機のように大きい、絵に描いたようなドラゴンが飛んでいた。

 体はガラスのような青白く光るウロコで覆われ、まるで体中が発光しているみたいに眩しい。それにドラゴンの羽って映画とかだと薄いイメージがあるけど、このドラゴンの羽は形こそコウモリのようだけど、膜の部分も厚く、羽の後ろに穴が開いている。

「まずい、に、に……」

 リリが何かを言いかけるのと同時に、羽の膜にある無数のアミダクジのようなヒビに光が走る。羽の後ろの空気が熱で揺らぎはじめた。

「トモ! 早くにげ」

 リリが言い切る前にドラゴンの羽から青白い炎が吹き出し、急降下して突っ込んでくる。

「くえええーーーー!」

 僕とリリはペルコに飛び乗る。ドラゴンが通り抜けざまに尻尾で島を叩いた。島は粉々に砕け、石や木が落ちていく。

 吹き飛ばされたペルコは葉っぱみたいにぐるぐる回り、乗っている僕たちも振り落とされた。真っ逆さまに落ちていく僕にドラゴンが向かってきた。

 ドラゴンの顔がぐんぐん迫り口を開く。牙が水晶のように光り、喉の奥から赤々としたものが見えてきた。

 体が動かなくて呆然としていた僕に「トモ!」と呼ぶ声がする。ペルコが空の上から急降下してドラゴンを追い越す。背中のリリが手を伸ばし、僕も手を伸ばす。指が触れ、そして手が握られる。

 ペルコが錐揉みで更に急降下する。ドラゴンは明らかに怒りの声で吠えるけど弾丸のように落ちるペルコに追いつけない。森の中に落ちるように着陸したとき、ドラゴンは森の上を急旋回し、上空に戻っていく。

 僕たちはみんな散り散りに地面の上に寝転がっていた。

「お、お前、見た目よりやるのう」

 ペルコはくえ、と鳴いてそばにあった湖にずるずると近寄り、水を飲み始めた。

 とりあえず危機は去り、またさっきの問題が浮かび上がる。

「リリ、本当に帰れないの?」 

 空を見上げながら独り言のように言うと、リリは体を起こして僕を見下ろす。

「わしは神ではない」

 驚いて見上げると、リリは今度は顔を背けなかった。

「見習いじゃ」

 起き上がってリリを見る。

「わしの父上と母上は本当の神じゃ。立派な神での、助けを求める者を時に優しく、時に厳しく導く。わしは父上と母上に心から憧れておる」

 空を見上げるリリ。その顔には羨望が滲んでいた。

「わしも立派な神になりたい。いや、なるものと思っていた。だが、実際は様々な修行が必要じゃった。三百年ほど前から修行を始めたが、まだまだじゃ」

「三百?」

「寿命を人間と一緒にするな。父上と母上など齢一万歳超えじゃ」

 長すぎてピンとこない。リリだって見た目は小学校低学年なのに。

「神になる前に出来ることは少ない。見習いのわしに与えられた役目は声を聞き、神託を与えることじゃ」

「最近噂のビミョーなアドバイスを押し付けていたの、リリだったのか」

「押し付けとはなんじゃ! まぁとにかくお前のいた街を担当しておった。そしてあのとき、お前の強い願いを感じたわしは何故か引き寄せられ、そして一緒にあの世界から『んで』しまったのじゃ」

「異世界に行くなんて願ったからって出来ることじゃないでしょ? それこそ神様じゃん」

「別の世界の誰かから見ればお前も神かも知れぬのじゃぞ」

「え?」

「モノによるが神は一柱だけで奇跡を起こせる訳では無い。異世界転移は『創造主そうぞうしゅ』『与力主よりきしゅ』『異動主いどうしゅ』が三位一体となって初めて為せる」

 良く分からないから黙って頷く。

「そして互いの親和性も高くなくてはならぬ。異世界転移はとにかく面倒なのじゃ」

「待って。三位一体って、つまり僕とリリと……」

「アレもお前に引き寄せられたのじゃ」

 リリが空を見上げる。森の上空をドラゴンがぐるぐる回っていた。

「あのドラゴンも神様?」

「神三柱が揃ってこその異世界転移じゃ」

 リリはどうする? と僕を見つめた。


 ──帰るためにはドラゴンの協力が必要。


 たっぷり考え、僕は覚悟を決めてペルコに乗り、森の上に出た。

「創造主が僕って、なんか信じられない」

「安心せい。お前が思っておるような大層な力ではない。この場合は想像、むしろ妄想じゃな」

「妄想って……」

「お前の別世界への憧れがそれだけ強かったのじゃ。ドラゴンは異動。別世界をこじ開ける力を持っていた。そしてわしが与力。転移する力を蓄え、与える者。これらを持つ者の波長、要は相性が組み合わさり、あの時偶然に発動した」

 相性いい? リリはまだともかくあのドラゴンと? 僕は近づくにつれ体中がギラギラと煌めくドラゴンを見て首を傾げた。

「こっちをチラ見して炎を吐いてるんだけど」

「覚悟を決めい。恐らく、いきなりお前に引っ張られて転移させられイラついておるだけじゃ。それが証拠に本気でぶっ叩こうとしておらん。帰れると分かれば悪くはせんじゃろ。多分」

 太陽が山の向こうに落ち始めている。そろそろヨウたちに宿題しているか確認し、風呂にも入れさせないと。

 ──結局忘れられないや。

 僕は諦めと一緒にため息を漏らし、大きく息を吸い込む。

「リリ、どうすればいい?」

「お前の家族を強く思え。それだけじゃ。晶竜しょうりゅうは迷い無き想いを無下にはせぬ」

「晶竜?」

「わしらの世界ではあやつらをそう呼んでおる。さぁ、一発勝負じゃ。晶竜は気が短いぞ」

「失敗したら?」

「そんな事考えてたら成功せん。覚悟を決めろ。創造の神(多分)よ」

「……分かった」

 伊達に長男やってない。腹をくくれ僕。

「ペルコ、上に向かって飛んでくれ!」

 ペルコがひと鳴きしロケットみたいに飛び上がる。晶竜を追い越し高く高く。

 晶竜が僕たちを追って羽から青白い炎を吹いてきた。

「トモ! 強く思え! 道を開くのじゃ! 晶竜を恐れるな!」

 歯を食いしばり、白むほどに高くなってきた空を見上げて思う。

 落ち着きのないヨウを。五月蝿くて騒がしいミクとアミを。大切なあいつらを。

「僕がいない間になんかやらかしてたら、許さないぞおおおっ!」

 空がモザイクになり波紋のように波打つ。真っ青なピースがバラバラと差し替わっていく。

「いいぞ! そのまま……ぐ、ち、力が……」

「リリ?」

「迷うな!」

 僕は振り向きかけた頭を戻す。空を昇っているはずなのに目の前には川と桜並木を真上から見た世界が見えてきた。昇っているはずなのに落ちているような感覚を感じて気持ち悪い。

 それを見た晶竜が吠え、口から炎を吐こうとしている。

「何でぇ?!」

「構うな! 祝砲じゃ!」

「迷惑だああ!」

 叫ぶと同時にモザイクが消え、世界が変わった。

 体が浮き、そして川に落ち始める。

「えっ? わっ? ペルコ? り、リリ?!」

 周りには誰もいない。


 ──ようやった。


 声が聞こえた、と思ったのと川に落ちたのは同時だった。

「ぶはっ!」

 川は浅く、あんまりキレイじゃない。起き上がってぺっぺ、と水を吐いているとヨウたちが僕を見つけて大騒ぎし、来るなと言ったのに川に飛び込み、みんなまとめて濡れ鼠になる。その後、家で全員叱られた。

 後でヨウに聞いたら僕は急に煙みたいに消えたそうだ。そして少しして川の中から出てきたらしい。

「あのとき、興奮しておかしくなった僕がただ川に落ちただけ?」

 異世界なんて気の所為。ただの思い込み。そう考えそうになる……と、思うだろうけど、そんなことはない。だって。

「キュッ」

 机の上でアメをかじっていたキツネネズミが鳴いた。そう、こいつがポケットの中にいたんだ。こんな小さいキツネがいるもんか。

 妄想なんかじゃない。リリも、晶竜も、ペルコも、あの世界も全部本物だったんだ。

 また行きたいな。いや、もっと不思議な世界もあるかも知れない、と思いながら窓を開けて夜空を見上げる。

 と、屋根にどしん、と何かが落ちた音が聞こえ、くえー、と聞いたことのある声が聞こえた。

「トモ! 元気そうじゃな」

 屋根の上からリリが顔を出し、ペルコと一緒に部屋に入って来た。

「リリ?!」

「聞いておろどけ。あの後、父様からお叱りは受けたが転移の才ありと認められ、見習い神から端神はしがみに昇格したのじゃ!」

「お、おめでとう?」

「焦るな。本当の神になるまではあと七つ昇格せねばならぬ。で、父上はお前と一緒なら転移を許すと申された」

「僕と?」

「三位一体を忘れたか? お前は異世界に行きたい。わしは異世界で修行をしたい。晶竜は……あとで聞く。とにかく征くぞ! 待たせている晶竜がキレる」

 空を見ると、見覚えのある姿が飛んでいた。

 また知らない世界に行ける?

 昼間に見た異世界の光景が目の前にあるみたいに思い出される。心臓がどくん、と鼓動し、空気が揺れた気がした。リリがよし、と笑う。

 僕は深呼吸して差し出されたリリの手を握る。

 その瞬間、世界がモザイクになって波打つ。

 部屋の風景はパラパラと入れ替わり、本が喋る巨大な図書館、ロボットどうしが戦う宇宙船の中、黄金の象が踊る輝く神殿、木が歩いている大森林と目まぐるしく変わっていった。

「好きな世界を選べ。お前の行きたいところがわしの修業の場じゃ」

 僕は目をつむり、今自分が行きたいところを思い浮かべる。ぼやけた風景が鮮明に映り始め、モザイクもそれに合わせて風景を固定し始めた。

「……ここだ!」

 その瞬間リリがよし、と手を引っ張り僕をペルコに乗せる。

 くえーーー!

 鳴き声を合図に、僕たちは見知らぬ世界へと翔んでいった。


                                   完

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