SCENE-006 自覚


 唐突によみがえった記憶の情報量にくらくらと目を回し、山の麓へと続く石階段の途中で座り込みそうになった伊月のことを、すぐそばで様子をうかがっていた鏡夜が〝一の鳥居〟の内側――八坂の里の中では術理的に最も手厚く守られている場所――へと連れ戻す。


 はたから見ている分にはなんの前触れもなく、突然前後不覚に陥った双子の片割れを、鏡夜はひとまず安全な場所――掃除が終わったばかりの社務所の中――へと押し込めた。




「いきなりどうしたのさ」

「思い出したの……」

 年季の入った畳が敷き詰められている和室の床に座り込んだ伊月が、頭を抱えて呻く。

「私、伊月じゃなかった・・・・・・・・


 八坂の家に跡取り娘として生まれる前、伊月は黒姫奈まきなだった。


(さっきまで、私はただの伊月だった……でも、今は違う)

 ほんの数年分しかない〝黒姫奈〟としての記憶よりも、〝八坂伊月〟として過ごした時間の方がずっと長いのに。今の伊月にとって〝八坂伊月〟という存在は、〝かつて黒姫奈と呼ばれていた女〟の生まれ変わりでしかない。


 〝伊月の過去〟が黒姫奈なのではなく、〝黒姫奈の現在〟が伊月。


 そういうものだとしか思えなくなってしまった今の伊月には、もう、自分が襲の後継者として護家八坂の当主に収まるような未来は思い描くことさえ難しい。


 そんなこと・・・・・よりも、伊月にはやらなければならないことがある。




のいるべき場所は、ここじゃない)

 伊月には、黒姫奈の生まれ変わり・・・・・・・・・・として帰りたい場所があった。


 愛情深い親から託されたものでも、由緒ある家に跡取り娘として生まれたことへの責任感からくるものでもない。

 伊月自身の純粋な望みの前で、八坂伊月として生まれ育った故郷や家に対する帰属意識は、あっけなく霧散してしまう。




 レナトゥスと呼ばれる転生者の多くが〝今世いま〟よりも〝前世かこ〟の立場や関係性を重視する傾向にあるのは、なるほどこういう心境なのかと。自分が当事者になってみて初めて、伊月は得心した。


(この先何度生まれ変わっても、私はのままなんだ……)

 それならそれで、諦めもつく。

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