第59話 王太子からのお願い

「我が領の警備不足で、大変申し訳ありませんでした。」


翌日、屋敷の一室で、アイリスの父であるサーフェス伯爵は床に手をついて頭を擦り付けるように、レナードに謝罪をしていた。


レナード自身は、何事もなかったかの様に涼しい顔でその謝罪を受けていたのだが、その後ろに控える、ルカスの表情は険しかった。


月影の森にデリンダの侵入を許して、あまつさえ貴重な月の花を彼女に駄目にされてしまったのだ。失態もいいところなのだ。


「本当ですよ!月の花って復活するんですよね?あれ根っこまで引き抜かれてた様に見えたんですけど。」

「はい、元々満月ごとに生え変わる月の魔力で形成された花なので、次の満月の晩まで待ってくだされば必ずまた、咲きますから……」

「それなら良いんですけど……。しかし、また一ヶ月後ですか……」

「本当に、申し訳ありませんでした!!」


「伯爵、謝罪はもういいから、顔を上げて座って。」

 

ずっと床に頭を下げ続けてる伯爵に、レナードは着席を勧めた。今日の本題はこれでは無いので、いつまでも伯爵にそうして貰っているのは困るのだ。この後用意している大切な話が出来ないから。


レナードは応接セットの向かいに座った伯爵に対して、本題を切り出すタイミングを伺いながら、此度のデリンダの件について話を続けた。


「領内の重要な場所に不審者を侵入させてしまったのは勿論そちらの落ち度だ。早急に警備体制を見直すように。」

「はい、承知致しました。直ぐに見直します!」

「それから月の花は、今回は残念だったけど、次の機会を待つとするよ。だから伯爵、アイリス嬢をこのまま、私の側に置いておいても良いだろうか?」


既に伯爵にはレナードの呪いの事とアイリスの役目については本当の事が伝えられていたので、自分の娘が王太子にかけられた呪いの解呪という大変重要な役目を担っている事は分かっていた。


なので伯爵は、この失態を娘の能力で取り返そうと、隣に座る娘のアイリスを、謹んでレナードに差し出したのだ。

「勿論です。我が娘が殿下のお役に立てるのならば、一ヶ月でも、二ヶ月でも、何ヶ月でもお側に置いて下さい!」


娘の事は可愛いし、出来れば領地から出さずにずっと手元に置いておきたかったが、王太子身の安全に関する重大な役目を完遂するまでは、そのお側を離れる訳には行かないと分かっていた。

嫁に取られる訳では無いし、お役目が終われば娘はまた家に帰ってくるものだと思っていたから、寂しいけれども伯爵はアイリスをレナードに差し出したのだ。


しかし、この時の言葉を、伯爵は直ぐに後悔したのだった。


「そうか、それを聞けて良かったよ。」

伯爵からの言葉に、レナードは嬉しそうにニッコリと笑うと、本題を彼に伝えたのだ。


「それではサーフェス伯爵、貴方の御息女アイリスに、私は婚約を申し込みたい。」


それは、伯爵にとっては、青天の霹靂だった。


娘が王太子の婚約者に抜擢されるなど、そんな事は全く考えていなかったのだ。娘は役目が終わったら、領地に戻って来るものだとばかり思っていたのだ。


レナードから婚約の打診を受けた伯爵は、不敬だということも忘れて、思わず立ち上がると大きな声で

「お話が違うじゃ無いですか!!!」

と叫んだのだった。


「しかし伯爵はついさっき、一ヶ月でも二ヶ月でも、何ヶ月でもお側に置いてください と、許可してくれたではないか。」

「それは、そうですが、そうじゃありません!!」


余りにも急な展開に、伯爵は状況を把握できずに、狼狽えていた。一ヶ月前にルカスが「それはあり得ない」と断言してたのに、たった一ヶ月で何があったのか。とてもじゃ無いが理解が追いつかなかった。



「……アイリスの事は、私の全てを賭けて幸せにする。伯爵、貴方が娘を大切に思う気持ちを決して裏切らない。だからどうか、この打診を認めてくれないだろうか。」

レナードは真っ直ぐに、誠実に、サーフェス伯爵に訴えかけた。王太子の権力を使えば、伯爵の許可などいくらでも簡単に取れるが、彼はそうはしなかった。

アイリスの父親に、きちんと納得して認めてもらわなければ、彼に恨まれる事になるだろうから。

この先ずっと長い付き合いになるのだ、遺憾は残したくなかった。


「……分かっております、貴族としてこんなに名誉な事は無いと。しかし……娘の父親としてのこの気持ちを、分かってもらえますか?!そんな、前触れも無く急に婚約だなんて!!」

依然動揺したままの伯爵は、レナードが王太子である事をまるで忘れてしまったかの様に大きな声を出して取り乱していた。

十六年間大事に育てて来た娘を、本当に急に掻っ攫われるだなんて、簡単には受け入れられなかったのだ。


そんな父親の姿を見て、横に座るアイリスは彼を落ち着かせるためにそっと触れて、どこか不安気な顔で伯爵の顔を覗き込んだ。

「お父様、どうかお許しください。アイリスはこのサーフェスの地も、お父様の事も勿論好きですが、殿下のお側に居たいと、思ってしまったのです。」

そして、父を宥めるためにアイリスは、伯爵の手を取り祈る様に懇願したのだった。


「……これは、本当にお前が望んでいる事なんだね?」

「えぇ、勿論ですわ。」


伯爵は娘の顔をじっと見つめた。

その顔には、以前オーレーン男爵の嫡男との婚約話を聞かせたときに見せた様な陰りなど無く、何かをねだる子供の様な、期待に満ちた目をしていたのだった。


「……そうか、それなら良かった。寂しいけれども娘の幸せが一番だからね。……王太子殿下が我が娘アイリスをご所望とあらば、謹んで、そのお話受けさせていただきます。」



こうして、どこか寂しそうな笑顔でサーフェス伯爵は、レナードの申し入れを受け入れたのだった。

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