第56話 狂人の散花
そして、いよいよ満月の夜を迎えた。
アイリスとレナードは気まずい雰囲気のまま、馬車に乗ってサーフェス領のアイリスが管理する月影の森へやって来ていた。
道中二人が必要最低限しか口を聞かなかった事を、同乗していたルカスも流石におかしいと思った様だったが、忠実なるレナードの臣下は、彼としては本当に珍しく空気を読んで黙っていたのだった。
そんなぎこちない雰囲気の中、護衛騎士カーリクスを加えた四人は、今、正に月影の森の中で月の花を手に入れようとしていた。
……しかしそれは、想定外の人物に寄って阻まれたのだった。
「……デリンダ様、一体何故ここに……」
アイリスは信じられないと言った顔で、目の前に現れた御令嬢を見遣った。
アイリス達の前には、行方不明だったこの一連の騒動の首謀者であるデリンダが立ち塞がったのだ。
「私、一生懸命に調べましたの。殿下には眠り続ける呪いをかけたのに、何故殿下はお眠りから覚めてしまうのか。すると、どうでしょう、月の花なる植物が、どんな呪いでも打ち消すというじゃありませんか。それで、私ピンときましたの。サーフェス家は月の魔力を持つ古くからの家系。急に出てきて殿下の周りにまとわりついている目障りな貴女が、その魔力によって殿下が眠りにつくのを邪魔してるんだと。だからお父様に頼んで、貴女を消してもらうはずだったのに……。この、疫病神!!」
「言いがかりが酷いわ!!」
デリンダの主張は自分本位で逆恨みもいい所だった。全くもって何一つ理解できない主張を、彼女はそれが正しいと思って、実に堂々と声高に訴えたのだった。
とても、正気には見えなかった。
デリンダの狂気に当てられて一同は怯んだが、ふとアイリスは彼女の手に握られている物を見て更に顔を青くしたのだった。
「……ねぇ待ってそれ……、貴女が手に持っているのは……」
「あら、コレをお探しだったのかしら?」
デリンダは顔色を変えたアイリスに、見せつける様に自分が左手に掴んでいるものを掲げた。その左手には、白く輝く花が引きちぎられて握られていたのだ。
「どうしたんです?」
「……あれが、月の花です……」
なんとデリンダは、先回りをして月の花を引っこ抜いてしまっていたのだ。
「これをお探しだったのでしょう?でも残念でしたわね。手に入れられなくて。」
そう言ってデリンダは手に持っていた月の花をアイリス達の目の前で燃やしてしまったのだった。
「なんて事をするんですか!!」
「さぁ、殿下!私を選んでください!私なら、こんな花に頼らずともその呪いを完全に解呪できますわ!!」
「止まりなさい!不敬です!!」
こちらの声など届いていない様で、デリンダは笑みを浮かべながら両手を差し出して、レナードを求めた。
それはまるで、何かに取り憑かれたかの様に。
「……狂っている……」
そんな恐ろしい姿にレナードは思わず一歩後退った。
ただの華奢な侯爵令嬢の筈なのに、彼女からは恐怖を感じた。
レナードも、ルカスも、そしてカーリクスさえも、彼女の異常さに圧倒されて、その場を動けずにいたのだが、アイリスだけは、臆する事なくその行手を阻む様に、デリンダの前に立ち塞がったのだった。
「貴女は間違っていますわ!月の花は何度でも咲きますから、また満月の夜まで待てば良いだけの事。それまでの間は、私が殿下を守ってみせます。だから、貴女の力など必要無いのです!!」
男性陣が、その異様さに尻込みしているのと対照的に、アイリスは凛としてデリンダと対峙すると彼女のその身勝手な思い込みを一刀両断に否定したのだ。
「五月蝿い!!貴女は目障りなのよっ!!!」
アイリスの言葉に逆上したデリンダは、そう叫ぶと共に目の前のアイリスに向けて手をかざすと急に黒い雷のようなエネルギー波を放った。
魔力の無いデリンダからの魔法による攻撃は想定していなかったので、誰もがこの急襲に即座に反応出来ないでいたが、直撃を受けたアイリスの月の加護の魔法が発動して、デリンダの術は、そのまま本人へと返っていったのだった。
「ああああああっ!!」
自身の放った魔法をその身に受けて、デリンダは叫び声を上げながら地面にうつ伏せに倒れた。
「外術……貴女はそんな物にまで手を出していたんですね。」
アイリスのような生まれ持っての自分の魔力を使った魔法ではなく、魔力を持たない者が自然の理から外れて無理やり扱う魔法を外術と言う。
魔力の無い者が無理やり魔法を使おうとするので、外術はその代償に肉体的や精神に多大なダメージを伴うのだが、黒魔術に傾向していたデリンダは、独学でそんな危険なものまで手にしていたのだ。
そんなデリンダの執念に、アイリスも思わずゾッとしたが、けれどもここで弱気な態度を見せるわけにはいかないと、気を強く持ってデリンダとの対峙を続けた。
「あ……諦めなさい!!偽物の魔法の貴女では、生まれ付き魔力を持つ私を倒せませんから!!」
もちろんコレはハッタリである。
アイリスの月の加護の魔法は一度しか防ぐ事が出来ないのだ。だからもう一度攻撃されたらなす術は無かったのだが、それでもアイリスはデリンダの前から一歩も引かずに強い態度で声高らかに彼女を諌めたのだった。
しかし、そんな言葉ではデリンダは止まらなかった。
地面に倒れた彼女は、起き上がろうと蠢いて上半身を起こすと怨みのこもったドス黒い声で叫んだのだ。
「お前さえいなければ!!!」
跳ね返った術の威力と、術を使った事による反動で、デリンダの身体はボロボロであったが、彼女は地面に伏せたままアイリスの事を睨み付けてそう叫ぶと、手に持っていた松明を力一杯投げつけたのだった。
「きゃあぁぁぁぁっ!!!」
月影の森に悲鳴が響き渡った。
ただし、アイリスの悲鳴ではなく、デリンダの悲鳴が。
「殿下っ!!なんて馬鹿な真似を!!!」
デリンダが松明をアイリス目掛けて投げつけた時に、咄嗟にレナードが彼女を抱き寄せて庇ったのだ。
そうして、彼に掛かっていた月の加護が発動し、松明はそのままデリンダに直撃したのだった。
「な……何故、貴方のような高潔なお方が、このようなただの伯爵令嬢を庇うのですか……」
デリンダは必死に火の粉を払いながら、絶望した様な顔でレナードを見つめた。
「私が、庇いたいと思ったからだよ。」
アイリスを抱きしめたまま、レナードはデリンダを睨んで言った。そこには、普段の様な優しい笑みはひとかけらもなかった。
「だからといって、殿下がそんな危険な真似しないで下さい!そう言うのはカーリクスに任せて下さい!!」
ルカスは主君の思いもよらぬ行動に肝を冷やした。王太子がその身を犠牲にして人を庇うなど前代未聞なのだ。その様な事は決してやってはいけなかった。彼は尊く、護られる立場の人なのだから。
けれども、レナードはそんなルカスの戒めを受け入れなかった。
「それじゃダメなんだよ。私がアイリスを庇いたいんだ。それに、彼女がかけてくれた魔法があるから大丈夫だと思ってたしね。」
それがレナードの想いだった。
彼女だけは、自分の手で守らないと意味が無いのだ。
この想いだけは譲れなかった。
「……残念だけど、私が君の手を取る事は無いんだよ。永遠にね。私が手を取りたいのはアイリスだけだから。」
レナードがデリンダに向ける言葉は、凍土のように冷たかった。彼の目が、態度が、全てがデリンダを強く拒絶した。
そんなレナードからの容赦のない辛辣な言葉に、遂にデリンダは、その場に泣き崩れたのだった。
「なんで……。私の方がずっと前から殿下の事をお慕いしていたのに……。私以上に殿下を想っている人なんて居ないのに……」
彼女は崩れ落ちると、狂った様に泣き続けた。
その姿からは先程の様な異様さは消えて、彼女はただの力無く放心する哀れな令嬢であった。
こうして、この一連の騒動の元凶であるデリンダはカーリクスに拘束されたのだった。
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