第18話 疑念
暫くの間アイリスとレナードは、他愛もない話をしながらお茶を楽しんでいたのだが、用事から帰ってきたルカスによって、このささやかな憩いのお茶会は解散となってしまった。
「休憩は確かに大事ですが、本日中に目を通して頂かないといけない書類がこんなにも残っているんですからね。」
ニコリともせずにルカスは淡々とそう告げると、無言で机の上の書類達を指さしたのだ。
「分かっているよ。本当にルカスは融通が効かないなぁ……」
レナードが渋々と言った感じでソファから腰を上げると、自分の執務机に戻って行ったので、アイリスも紅茶セットを片付けて、自身の定位置である部屋の隅へと戻ったのだった。
「それで、そっちはどうだった?」
大量の書類に目を通しながら、レナードはルカスに報告を促した。
「申し訳ございません。本日も、特段報告出来るような新しい情報はございません。」
「……そうか……」
淡々と業務をこなしながら顔色一つ変えずにレナードはルカスからの報告を受けたが、その声からは幾ばくか落胆の色が感じ取れた。
ルカスは今、毎日時間を見つけては、レナードの命令で彼にかけられた呪いについて秘密裏に調査を行なっているのだ。
けれども、その成果はどうやら芳しくなくて、未だに彼らは有力な情報を掴めて居ないようだった。
そんな二人のやりとりを眺めながら、アイリスは初めてこの執務室に来た時の事を思い出していた。
◇◇◇
「それで、当面の呪いは私が一時的な解呪を致しますし、月の花が咲きましたら、完全な解呪も出来ますが、ですが、それだけでは根本的な解決にはならないのではないでしょうか……?誰が呪いをかけたのかが分からないのであれば、また、殿下が呪われる事があるのではないでしょうか?」
レナードと話をして、アイリスは侍女として側仕えになる事を承諾したのだが、そもそもの話この呪いを解呪したところで呪いをかけた人物が特定出来なければ、レナードはいつまた呪いをかけられるか分からない危険な状態なままなのだ。
だから自分が一時的に呪いを解くだけでは殿下の身の安全は保障されないのだと気づいて、アイリスはその御身を案じた。
「勿論分かっている。そちらも内密に調査を進めているよ。」
そんな風に心配そうに見つめるアイリスに対してレナードは穏やかにそう言うと、ルカスの方をチラリと見て彼が首を横に振らない事を確認してから、自分たちが行っている具体的な対策を教えてくれたのだった。
「まず、この呪いはどうやってかけるものなのか。その手順が記した文献や口伝が無いかをルカスに探してもらっている。手口が分かれば、いつ私が呪われたかハッキリするかもしれないから、そこからある程度絞り込めると思うんだ。」
「成る程……、確かにそうですね……」
アイリスは納得して相槌を打った。
「それに貴女のお陰で、私が呪いで眠ったとしても直ぐに目覚めることが出来るようになったので、敵に呪いが解けたと思わせる事が出来るだろう。そう勘違いしてくれたら、敵は次の手を仕掛けてくるかもしれないから、その時にしっぽを掴めるんじゃないかと思ってるんだ。」
レナードは平然と説明を続けたが、それは中々の爆弾発言であった。一国の王太子が囮となって、その身を危険に晒す覚悟でいると言っているのだから。
「危険ではありませんか?!殿下が自ら囮になるなんて……」
「危険には慣れているよ。それに、今回の件で身辺警護も強化したし、私は私の事を護ってくれる人たちを信頼するよ。」
慌てるアイリスと対照的に、レナードは平然としていた。それどころか、狼狽えてるアイリスを落ち着かせようと、優しく微笑んで見せるほどの余裕すらあったのだ。
そんなレナードの様子から、アイリスは彼が覚悟を持って見えない敵と対峙しようとしているのだと理解したのだった。
(殿下は、お覚悟が決まっているのね……)
レナードの身を案じるものの、その気概に触れて、彼のやり方にこれ以上は口を挟めなかった。
「……呪いをかけた人の目処って全く付いていないのですか……?」
ふと、何気なく思っていた事を漏らしてしまったが、アイリスは直ぐに、(しまった!)と、自分の迂闊さを反省した。
アイリスのその一言で、部屋の空気がピリッと張り詰めて、しんと静まり返ってしまったのだ。
一瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのは、いつもより険しい顔のルカスだった。
「愚問ですね。貴女だって薄々は勘づいているのでしょう?」
ルカスはアイリスを見遣ると、冷淡な声でそう言った。
「……申し訳ございません。それを私の口から言う事は、憚られます……」
「それが賢明ですね。」
アイリスは、これは口に出してはいけない事だと察して、自身が考えられる最適だと思われる言葉で答えたのだが、どうやらそれで正解だったようだ。それ以上はルカスも何も言わなかった。
誰も口に出さないが、ここにいる皆が薄々は分かっていた。レナードが失脚する事で一番誰が得をするのかを。
(第二王子のアーネスト様……)
呪いをかけた人物に心当たりがあるとしたら、真っ先に浮かぶのはやはり第二王子、もしくはその彼を担ぎ上げようとしている一派だろう。
そう考えるのが当たり前なのだが、だからと言って何の証拠もなしに、王族を疑うなどと口に出来るわけがなかった。
部屋に重苦しい空気が流れる中、レナードはパンっと小さく手を叩いてこの場の空気を変えた。
「憶測はあくまで憶測だからね。」
そう言って、皆の胸の内の疑念を抑え込むと、それからアイリスに向き合って、彼女を気遣うように微笑みかけたのだった。
「アイリス嬢は私の身を案じてくれているんだね、有難う。大丈夫、きっと直ぐに犯人の手がかりは見つかるから。」
こうして、レナードが場をまとめた所でこの話は終わったのだが、この日から五日経っても、犯人の手がかりは何も掴めないままなのであった。
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