第23話 神罰執行

「《大いなる世界樹ユグドラシルよ、私に更なる耐久と速度をお恵みください》」


 アルカナの身体の輪郭に、再び白い光が沿った。


「《灰たる大樹の怒り、その代行者たる私に、力をお与えください》」


 片刃剣を握る手に力が入る。ミシッと片刃剣の柄が軋む。


「《全ての母たる世界樹よ、私に生命力をお与えください》」


 腹部や顎など、先程与えられた疼痛が癒えて消える。そして身体が軽くなったように、感じる。


「神罰、執行」


 アルカナは冷淡な声で告げた。

 彼女の雰囲気が一変した。何とも形容し難い、酷く冷たい雰囲気。

 目から光が消え────元から無いのだが────更にどす黒く虚ろな目になった。

 アルカナは掲げた片刃剣を下げて、身を低くして構えた。

 そして地面を蹴って、情報屋との距離を一瞬にして縮めた。







 ♢








「う、ぉ─────··········ッ!」


 至近距離に近付いたアルカナの片刃剣を、情報屋は身体を後方に反らして回避した。その時に片刃剣が鼻先を掠めた。

 情報屋はそのまま後方転回して、アルカナから距離を取った。背筋に冷たい汗が流れる。


 そして着地と同時に、地面を蹴って此方も攻める。

 アルカナに近付き、回し蹴りをする。

 アルカナはそれを防ぐこと無く、回し蹴りを横顔に受けた。しかし顔を横に向けるだけで、痛がっている様子は無い。


 ─────さっきの祈祷の効果··········か。


 情報屋は冷静に見極める。瞬時に変わるとなれば、それしか思い当たらない。

「チッ」情報屋は舌打ちをする。情報屋の尻目に、片刃剣が映ったのだ。

 横顔に衝突した脚を戻して、その場から離れた。


 情報屋が離れて直ぐに、先程居た場所を片刃剣が通った。

 アルカナがゆらりと身体を揺らし倒れる。


「お?」


 効いていたか?

 情報屋は期待の眼差しを向ける。

 しかし倒れる瞬間、アルカナの右脚が大きく前に踏み出された。そこからグッと身体を前に突き出し、情報屋との距離を一瞬にして縮めた。


「な──────··········ッ!?」


 情報屋は目を大きく開けて驚く。

 アルカナは迷い無く、片刃剣を振った。

 驚いた事により、反応が一瞬遅れて情報屋の胸に斜めの切り傷がついた。


「く─────··········ッ!!」


 切り傷から血が飛び散った。

 情報屋はアルカナから距離を離し、胸元に手を置く。疼痛に顔を顰めて、アルカナの睨んだ。


「クソ··········あんな馬鹿げた距離の詰め方があるものか」


 情報屋は悪態を吐く。冷や汗が流れる。

 胸元から手を離して、血塗れた手の平を見る。


 ─────傷口は··········深く無いようだな。


 傷口の浅さに、情報屋は安堵する。少なくとも、直ぐに死ぬ事は無い。

 しかし戦闘が長引けば、この傷が枷となる。つまるところ、短期戦を強いられることになった。

 情報屋は息を深く吐き出した。


「なに────··········問題無し」


 情報屋は獰猛に笑って、横に走り出した。

 円を描くように、アルカナの周囲を回る。その間に周囲を改めて見渡す。活用出来る物、出来ない物を見極める。

 左腕に巻いた鎖武器を解き、適当な崩壊した墓石に巻き付ける。

 そして鎖を引っ張って、崩壊して少し小さくなった墓石を宙に持ち上げる。

 走りながらくるりと墓石を回して遠心力を加え、アルカナに向かって投げた。


 右手に巻いてある鎖も解き、近くの小さい墓石に巻き付けて投げる。円を描くようにアルカナの周囲を回りながら行う。


 ─────四方八方から一斉に攻撃されては、流石に防げまい。


 それだけでは終わらない。アルカナからでは、死角となる位置から奇襲を仕掛ける。

 自分が攻撃する時期タイミングは、全ての岩────墓石が衝突、或いは砕けてから。その隙を付く。完璧な作戦。


「小賢しい真似を」


 アルカナは周囲を見渡して、四方八方から飛来する墓石を確認する。


「《全ては聖なる大樹の元に回帰する、その理は世界なり、故に全てを消し去ります》」


 アルカナを中心地にして、四方八方に光が広まった。一瞬にして眩い光が全てを呑み込む。


「なんだ!?」


 情報屋の視界も真っ白に染まる。何も見えない。腕で目元を隠して影にしても、何も見えない。

 人は外の情報を得られなくなった 瞬間、強い不安感を抱く。

 漏れなく、情報屋は強い不安感に襲われた。

 何も見えない。何が起きたのか分からない。怖い。恐ろしい。知りたい。

 様々な感情が情報屋の脳裏を巡る。

 視界が戻るまでの数秒間、情報屋はそのたった数秒がとてつもなく長く感じた。


 気が付けば、アルカナに向けて投げた墓石が無くなっていた。足元にも転がっておらず、文字通り姿形全てが無くなっていた。


「あぁ··········」アルカナは情報屋に視線を向けた。「そこにいましたか」

 アルカナは黒い片刃剣を握り直して、情報屋に向き直った。


「次は何をしますか?武術?鎖武器?それとも、先程と同様にある物を使いますか?」


 アルカナは情報屋の術を嘲笑うように、薄い笑みを浮かべた。


「何をしても、無駄ですが··········したければどうぞ、お好きになさってください」


 アルカナは余裕そうな調子で、淡々と言う。

 アルカナの仕草や口調に、情報屋は苛立ちを覚える。握る手に自然と力が入る。

 奥歯を噛んでから、弛緩させる。


 ─────分かってる。師匠に教わったろ?怒りは身を滅ぼすって。


 情報屋は力が入った身体を弛緩させる。

 懐から取り出した葉巻を口で咥える。さらに懐から点火器を取り出す。発条ばね仕掛けの小さなハンマーを火打石にぶつけ、もぐさに着火させる。

 葉巻の先に火がつき、甘い煙が漂う。

 深く吸い込んで、肺に甘い煙を取り入れ嘯く。

 情報屋は葉巻を吸って、気分一新する。


「いつぶりに、吸ったっけな?」


 ふと思い出したように、情報屋は呟く。

 はて、いつぶりだろうか。気にする必要も無い。いつ吸ったって、変わらない。変わるとしたら、気分が変わる事だろう。

 アルカナに覚えた苛立ちだって、今や彼方の空だ。


 吸い終わった葉巻を地面に落とし、足で踏み付けて火を消す。


「待っててくれたんだな?」

「慈悲です」


 アルカナは端的に述べた。慈悲だの慈愛だのは、情報屋にとってはどうでもいい。

 この身が滅べば、それきりなのだ。死ぬ前に何かを得た所で、思い出にすらならない。だから、今を大切にする。この一分一秒という時間が、彼にとっての思い出だ。


「さーて、やりますかな!」


 情報屋は腕を回して、腕の調子を見る。最後の仕事はしてくるそうだ。調子が良い。


「キュイ!」


 甲高い鳴き声が、地下墓地に木霊する。

 石階段のある地下墓地唯一の出入口から、一羽の鳥が出現した。

 真っ先に情報屋に向かい、情報屋が差し出した腕に止まる。唯一の相棒。


「お前も来たか」

「キュイ!」


 鳥は鳴く。

「分かってる」情報屋は笑いながら、懐を漁る。「お前の武器だろ?」

 そうだ、と応じるように鳥は鳴く。

 鳥用の武器を取り出して、両脚に装着させる。

 小刀ナイフを両脚に付けた鳥は飛んで、情報屋の頭上を回る。


「さて、行くか」

「キュイ!」


 情報屋は駆け出す。

 鳥は羽ばたき、情報屋より先にアルカナへ向かって行った。

 アルカナは無言で、片刃剣を振った。

 鳥は身体を傾けするっと避けて、アルカナを通り過ぎた。

 アルカナの目線が鳥に移った瞬間を狙って、高速移動する。鎖武器で近くの崩壊した墓石を待ち上げて、投げる。

 今度は四方八方ではなく、曲線を描くように上から落とす。


 情報屋は鎖武器を回して投擲する。

 十字刃は風を切って、アルカナへ迫る。

 アルカナはチラリと一瞬此方に視線を向け、直ぐに上を向く。

 肩を下げ、呆れた表情をする。そして地面を蹴って、上に飛び上がった。

 鎖武器が当たるとは思っていない。狙いはそれじゃない。ましては、投げた墓石でもない。

 情報屋はアルカナに向かって、駆け出す。


 十字刃を避けたアルカナは、空中でくるりと回転して墓石に足を着けた。そして墓石を蹴った。

 光の一閃が情報屋に向かって、一直線に走った。その光からアルカナが出現し、片刃剣を容赦なく振る。


「お─────··········ッ!?」


 情報屋は上半身を前に倒して、片刃剣を避けた。数本の髪が切れた。

「チッ」アルカナの舌打ちが聞こえる。

 情報屋はそのままアルカナの腹部に突撃した。

 アルカナは脚を持ち上げて、情報屋を膝で蹴る。


「グ、ハ─────··········ッ!」


 アルカナの膝が情報屋の顔面に刺さり、情報屋は身体を起き上がらせる。

 疼痛に顔を歪めて、アルカナを睨む。情報屋はアルカナの奥から来る、鳥に視線を向ける。


 ─────傷が痛んで、思ったように動けん。頼むぞ、相棒!


 胸の傷が痛む。情報屋は相棒の援護に回ることにした。

 アルカナが避けないように、情報屋はアルカナに抱き着く。


「な、何をしているのですか!?離れて下さい!」


 情報屋の予想外の動きに、アルカナは為す術なく抱き着かれた。

 アルカナは赤面しながら悶える。右へ左へと、左右に身体を揺らす。けれど情報屋の抱擁からは抜け出せない。

 腕だけでは力が足りないと思い、情報屋はアルカナに抱き着く際に鎖武器も一緒に巻き付かせたのだ。そう簡単には外れる事はあるまい。


「やれ!相棒!」

「キュイ!」


 情報屋の声に、鳥は鳴いて応じる。一直線にアルカナへ向かう。勢いは十分。狙うは心臓部。

 大丈夫、自分の相棒は心臓部を理解している。だから、確実に狙ってくれるはず。


「ま、待ちなさい!?な、何をなさるのですか!?」


 アルカナは困惑しながら、後方をどうにか見ようとじたばたする。


「貴方ッ!最初からこれを狙って!?」

「ハッ!まさか!最初は俺一人でお前さんを殺すつもりだったさ!」


 相棒は視線誘導で、自分が決めるつもりでいた。しかし失敗してしまった。深手を負い、上手く身体を動かせない。だから、作戦を変更した。


 ──────臨機応変ってやつだな。


 その都度作戦を変える。ある物を全て使う。そもそも、一人で勝てるような相手じゃない事は、この戦いを通して分かってるつもりだ。であるならば、逃げるが勝ち。殺さずとも、負傷させて身動きが取れないのなら、それでいいのだ。


「キュ──────イィ··········ッ!」


 鳥は両脚に装備した小刀ナイフを器用に持ち上げる。

 アルカナの背中─────心臓部と垂直になるように羽で高さを微調整する。

 後は勢いに乗せて、アルカナの背中に小刀を刺した。


「ぁぎ──────··········ッ!?」


 目を大きく開け、アルカナは激痛に顔を歪ませた。アルカナの手から片刃剣が滑り落ち、身体が傾く。

 鎖武器を瞬時にアルカナから解き、抱擁も解く。そして念を押して、鎖武器の先端に着いている十字刃でアルカナの首を切ろうと腕を振り下ろした。

 しかしアルカナに、手首を持たれ止められる。倒れかけた身体を、前に出した脚で支えて何とか倒れないように────膝を付かないようにしていた。


「まだ、生きていたか!」


 情報屋は忌々しげに漏らす。

 アルカナは肩を激しく揺らし、冷や汗を流していた。


「致命傷は、避けましたから··········」

「そうか。大人しくそのまま死ねよッ!」


 情報屋は力を込めて、腕を押し込む。

 負けじとアルカナも、それを止める。

 当然だ。止めなければ、自分の首が切れて死ぬのだから。

 情報屋は脚を持ち上げて、アルカナに膝蹴りを入れる。


「く─────··········ッ!?」


 アルカナは側腹部の疼痛で、顔を顰める。更に対抗するべく情報屋の脚に、情報屋と同じように膝蹴りを入れる。

 情報屋も側腹部の疼痛で、顔を顰める。どちらも致命傷とは行かずとも、深手を負っている。傷口の浅い深いは問わず。

 拮抗状態が続く。

 果たして拮抗状態に終止符を打ったのは、アルカナであった。


「《灰たる大樹の怒り、その代行者たる私に、力をお与えください》」


 アルカナの膂力が上がる。

 情報屋の腕が徐々に首元から離れる。

「クソ!」と、情報屋は悪態を吐く。「卑怯だろ!?」


「はぁぁぁぁぁ··········ッ!!」


 アルカナは叫んで力を込め、情報屋の腕を押し払った。 そしてそのまま情報屋の顔面を殴った。


「ぐ────··········ッ!?」


 情報屋はよろめき、後退する。

 しかしそれをアルカナが許さず、回し蹴りをして情報屋を蹴り飛ばした。

 祈祷を使ったアルカナに、情報屋が勝てる訳もなく、難なく吹き飛ばされて石柱に背中から衝突した。


「ゲボ··········ッ!」


 情報屋は血を吐き出し、石畳を赤く染める。

 身体を起こして、石柱に背中を預ける。


 ─────あぁ··········クソ··········。


 意識が遠くなるのが分かる。気を抜いたら、闇に溺れそうだ。

 上手い作戦だと思ったのだが、どう足掻いても運命は変えられないようだ。


 情報屋は薄れた視界で、アルカナにより相棒が背中から引き剥がされ、地面に叩き落とされる所を見る。

 そして地面に落ちた片刃剣を拾ったアルカナが、こちらへ向かって来るのが見えた。


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