短編まとめ

六畳旅行

君で満たされる

 君の匂いが好きだった。

 君が膝の上に乗ったときに香る、頭の匂い。

 夏の夜の汗ばんだ君の、胸の匂い。

 まさに俺の幸せの象徴が、君の香りだった。


 それなのに、テーブルの向かい側に座る君は、こう言った。


「それに……。そんな、いい匂いじゃないでしょ?」


 いい匂いなんだ。信じてくれないかもしれないけど、本当に。


 どんなアロマなんかよりも、俺を癒してくれる、天国に連れて行ってくれる、

そういう匂いなんだ。


「私は、いろんな香水つけたいし、シャンプーだっていろんなのを試してみたいんだもん」


 そんなことをしないでくれ。何で、そんな余計なことをするんだ。ラベンダー畑に生ごみをまき散らさないでくれ。


「私が柔軟剤変えたら、飯田君、怒るじゃん。新しいリンス持ってきたときも、怒ったじゃん」


 怒ってなんかない、ただ少し悲しくなっただけだ。


「意外そうな顔しないでよ……。自覚無いかもしれないけど、怒ってるように見えるんだよ」


 だったらごめん。


 でも……


「私はさ、束縛されるのが嫌なんじゃないんだよ。私だって重いってよく言われるし。だけどさ……、だけど……さ、飯田君のためにやってたことで、怒られるのは……、つらいよ」


 だから、怒ってないんだよ。悲しくなってるだけなんだ。


「本当に、自分でもダメだってわかってるけど……、うれしいんだもん」


 なんで? なんで?

 

 俺は君が好きなのに、何で喜んでくれないの?

 

 俺が告白したとき、あんなにうれしそうだったのに。何でなの?


「ごめん、そういうことだから。荷物、今から詰めるから。もう、私の家に来ないでね」


 行かないで欲しい。お願いだから。


 それでも彼女は、立ち上がって、引き出しから、何着かの服と下着を、空っぽのスーツケースに詰めていた。


 俺はどうにか、彼女にいて欲しかった。


 ただ、気が付けば俺は、洗面所から彼女の持ってきた歯ブラシと、コップと、整髪スプレーを持ってきてた。


「ありがとう……。このスプレー持ってきたとき……飯田君めっちゃ怒ってたよ」

 そういって彼女は悲しく笑った。


 色々と嫌だった。


また一人でこの部屋に住むのが嫌だった。


部屋の中が、エアコンからの風の匂いだとか、アルコールの匂いだとか、そんなので満たされるのが嫌だった。


ただ、ただ、君にいて欲しかった。

何でもするから、君にいて欲しかった。


     *****                     *****


 カレーの匂いが、ふわりと鍋から漂う。


 お玉ですくって、レンジで温めたご飯にかけると、ご飯の匂いと混ざって、まさに「カレーライスの匂い」となる。


 ライスにスプーンを差し込んで、皿を右手で持って、キッチンから、机に運ぶ。

 一掬い、口に運ぶと、吐く息がカレーの匂いになる。



 それでも、必ず、君の匂いがする。


 少し臭い、ちょっと生ごみの様な匂い。


だけど、俺を癒してくれる、俺を天国に連れて行ってくれる、君の匂い。


何でもしたから、部屋に漂う、家を満たす、君の匂い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編まとめ 六畳旅行 @jugoya_daiwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ