34 新たなる一歩


「やっぱり次はお泊り会じゃね?」


 あたしの提案に、朱音あかねは分かりやすく難色を示した。


「……は?」


 非常に面倒くさそうである。


 なんでだよっ。


 学校の帰り道、夕日もいつもより早く引っ込んでしまうのではないかと心配になるほど陰鬱な態度だった。


「いや、いいじゃんっ。それくらいしてもっ」


「どうして“次”がお泊り会なるものなのかしら、意味が分からないわ」


「意味なんていらないんだよっ」


 仲良くなったらお泊り会するんだよっ。


 そこに理由なんているか?


 魂がそうしたいって叫んでるんだよっ。


「意味がいらない……? それは必要もない行為と捉えていいかしら?」


 そして朱音は明後日の方向に話を展開していく。


 そういうことじゃないだろ普通。


「必要はあるっ。楽しいじゃん、一緒に夜を過ごすのとかさっ」


「夜を一緒にすると楽しいの……?」


「楽しいだろ」


「具体的に何をするのかしら」


「いや、何をするとかじゃなくてさ……」


 あ、いやダメだな。


 何でもないことをするのが楽しい! なんて、そういう曖昧な感覚は朱音には届かない。


 例を提示しなければいけないんだ。


「ほら、恋バナとか夜にすると盛り上がるんだよ」


「……散々したでしょ?」


「小説のなっ! それは違うんだよっ。もっとあたしたちの話がしたいんだよっ」


 やだやだ。


 もう小説の設定とかいうトリッキーな話題はいい。


 あたしは、あたしと朱音の話がしたいんだよっ。


 それに興味があるし、楽しいんじゃないかっ。


「そう、私達の恋バナ……ね」


「ん? お、おう……」


 え、なんだ。


 朱音が急にしおらしく、もじもじしながら視線をあたしから外した。


 なんだ、その戸惑いの中に少し恥じらいを感じさせる反応。


 ……ん?


 待てよ、落ち着いて考えろ朝日詩苑あさひしおん


 あたし達は仲直りした。


 そして“小説のモデル”からその先へ、もっと“個人的な仲”になろうとしている。


 果たしてそれは何なのか。


 友人か、あるいは……?


 あ、いや、まさかねぇ。


 変なこと考えてないで、話を前に進めよう。


「だから、お泊りいいでしょ」


「分かったわ……詩苑しおんがそこまで言うのなら、そうするわ」


「お、おう……」


 改めて、朱音に名前を呼ばれるとドキッとするな。


 嬉し恥ずかしというか。


 でも小躍りしたくなるような感動もある。


「……」


「……」


 え、なにこの沈黙。


 お互いの雰囲気を察しつつ、ちょっとドギマギして何も言えないこの感じ。


 でも、嫌じゃない。


 話す内容がなくて困っている沈黙では決してない。


 これが深い仲のなせる空気感、なのか?


 無言の静けさの中、跳ねる鼓動が伝わらないようにあたしは息をひそめた。



        ◇◇◇



 とんとん拍子に話は進み、さっそく今日の夜にお泊り会は開かれることになった。


 場所は朱音の家に決定した。


『詩苑の方から提案してもらったのだから、場所は私が提供するわ』


 ということらしい。


 その理屈は分かるようでよく分からないが、そんなことは正直どうでもいい。


 大事なのは今晩は朱音と一緒に過ごすということだ。


「た、楽しみすぎる……」 


 お泊り用に着替えとか化粧品とか色々リュックに詰め込んでいたら時間が掛かってしまった。


 なんせ人の家に泊まった経験なんてなくて、こんな準備もしたことないんだよね。


 へへ……。


 思わずにやけながら夜の空気を吸いつつ、辿り着いた先は朱音のマンション。


 まばらに零れる窓からの光。


 朱音の部屋からもその光は漏れている。


 あー……朱音が生活しているんだなってのが伝わってくる。


 当たり前すぎるくらい当たり前のことなんだけど。


 そんなことすら初めての経験だから、何か感慨深い。


 外階段を上がり、扉の前へ。


 チャイムの音を鳴らす。


 ――ピンポーン


 数泊の間が空いて、ガサガサと空気を含んだ音が聞こえてきた。


『はい』


 インターホンから朱音の抑揚の少ない声が響いた。


「あ、あたしだよっ」


『……今、行くわ』


 すたすたと扉の向こうから足音の気配が聞こえてくる。


 え、なんかリアルくね?


 こういうの何かリアルくね?


 なんか仕事終わりの夫婦のようにも感じられるし、就職して同棲を始めたカップルのような気もするし、あるいは今日は親がいないとお泊りにきた学生カップルのような……。


 あれっ、なんで全部を恋愛沙汰に絡めてしまっているのかな?


 これも小説のモデルを務めてきた弊害かなっ。


 日々重ねてきた時間のせいで変な勘違いしちゃってるのかなっ。


 テンションが変な方向にブチ上がり始めているが、それを止める術を知らない。


 これがお泊り会というものか……!?


 ――ガチャッ


 扉が開かれる。


 その先に、黒髪が揺れていた。


「こんばんは……? いらっしゃい……?」


 言い慣れていないのか、それとも適切な挨拶がどちらか悩んでとりあえずどちらも言ってきたのか。


 朱音は小首を傾げながら、ぼそっとつぶやいていた。


 し、しかも……ショートパンツにTシャツ姿だと……!?


 白く透ける素足は夜を照らさんばかりに光り輝き、柔らかい生地感のTシャツは、朱音の細身でありながら凹凸のあるボディラインを浮かび上がらせていた。


 わおっ。


 何より今まで制服姿しか見て来なかった朱音の生活感というギャップと、夜の高揚感と、お泊り会の変なリアルさが相乗効果を起こしまくっていた。


「こんばんはっ! お、おおっ、お邪魔します!」


「……貴女は夜の方が元気なの?」


「え、ええっ!? そ、そういう事はしたことないから、まだ分かんないというかっ」


 朱音がいきなりとんでもない事をブッコんできたっ。


 これがお泊り会……?


 夜のテンションというやつか……?


「はい……?」


 あ、違う。


 朱音が目を丸くして首を傾げている。


 あたしの態度がおかしくなっているのを、訝しがっているだけだ。


 勝手に舞い上がりすぎてしまった。


 落ち着け、あたし。


「だ、大丈夫っ。き、気にしないでくれっ」


「え、ええ……」


 ――キィィッ


 と、扉が閉まっていく。


 あたしは家の玄関へと足を踏み入れる。


 朱音の生活空間でのお泊り会。


 ドキドキとワクワクがあたしの胸中には渦巻いていた。


「どうなることやら、乞うご期待……!」


「貴女、一人で何を言っているの?」


 あ、やべ。


 声に出てた。


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