32 クールで孤高は認めない


 学校に行く。


 隣には艶やかな黒髪の美少女が座っている。


 氷乃朱音ひのあかねである。


 今日も孤高にクールに、まるで世界で一人いるのが当たり前かのように佇んでいる。


 気に入らないね。


 ああ、気に入らない。


 勝手にあたしを小説のモデルにして、勝手に取り消された。


 そんな一方通行は許せない。


 あたしの話を聞いてくれたっていいはずだ。


 氷乃に話しかけるタイミングを見計らう。


「……まあ、放課後になるよな」


 一日中、悶々としていたら夕方になっていた。


 陽はすっかり夕焼け色に染まっている。


 氷乃は席に座ったまま、ノートに何かを書き留めていた。


 また小説でも書いているのだろか。


 でも、あたしとしては好都合だ。


 しばらくすると教室に人影はいなくなる。


 氷乃とあたしだけになるが、氷乃は口を開かない。


 ノートに書き込んでいくシャープペンの音だけが教室に鳴り響く。


 声を掛けるのなら、今しかないだろう。


「ねえ、氷乃。ちょっといい?」


「……」


 返事はない。


 さらさらとノートに文字を書き連ねるばかりで、視線すら向けやしない。


 完全にあたしのことを無視している。


 なるほど、そっちがそのつもりならあたしも好きにさせてもらおう。


「ねえってば」


 あたしは立ち上がり、氷乃に迫る。


 席に座ったままの氷乃の頭頂部を見下ろす形になり、その表情は窺い知れない。


「……」


 あくまで無視を貫いてくる。


 昨日までのあたしはその態度に屈していた。


 だけど、もうそんなの認めさせてなるものか。


「話を聞けっ」


 あたしは手を伸ばしてノートを掴む。


 視線をノートにしか向けないなら、あたしに向けさせればいい。


 奪い取って、あたしの話に引きずり込む。


「――!?」


 そこまでするとは思っていなかったのか、氷乃が初めてあたしの方を見た。


 その瞳にまだかつての感情の色を孕んではいなかったけど。


「……返しなさい」


 久しぶりに向けられたあたしへの氷乃の声音はひどく冷たいものだった。


 無機質で、透明。


 かつて氷乃に抱いていた冷徹なイメージそのもの。


 だけど、彼女がそれだけの人間ではないということをあたしは知っている。


 だから、臆することはない。


「返さない」


 あたしは氷乃のノートを背中に回して隠す。


 氷乃はぴくりと目を吊らせた。


「匂いを嗅ぐだけに飽き足らず、今度は本人を目の前に窃盗? とうとう犯罪者の域に達したのかしら」


「いいや窃盗じゃない。仲良しの人からノートを借りるのは普通だ」


「貴女とは仲良しじゃなく赤の他人。ノートを貸すのも許可していないのだから窃盗そのものよ」


 氷乃はあたしとの距離を離そうとする。


 でも、それは手遅れだということに気が付くべきだ。


 あたしは背中に回していたノートを開いて、ぺらぺらとページを見る。


「勝手に見ないでっ」


 氷乃の声音にようやく熱がこもる。


 伸ばしてきた氷乃の手から逃げるべく、あたし一歩後ろにステップする。


「これだけあたしの名前を書いておいて、赤の他人は無理でしょ」


 そこに綴られているのは氷乃とあたし。


 彼女が描いた二人の世界。


「それは貴女ではなく、貴女と同名の創作物よ」


「モデルはあたしだろ」


「そうであっても、そこに書かれているのは貴女じゃない」


 これだけあたしと氷乃の名前が出てくるのに。


 実際のあたしと氷乃は無関係だなんて。


 そんなのまかり通るはずがない。


 そんな道理はあたしが通さない。


「もういいわ、話すだけ無駄。あの写真をバラまいて、今回のことを口外してもいいのよ?」


 それは氷乃の逃げ道。


 あたし個人に対する感情はないのだと、氷乃は常に一枚の壁で隔ててきた。


 そんな薄くて、有るのか無いのかも分からないものなのに。


 氷乃という人間は常に何かを間に挟まないと向き合えないのだ。


「いいよ」


「……え?」


 氷乃はぽかんと口を開く。


 想像していなかったのだろう。


 それを提示すれば常に逃げられると思っていたから。


「写真をバラまいて、ノートを取ったって口にすればいい」


「……本気? そうしたら一人の貴女がもっと苦しい立場になるのよ。もう友人を作る機会なんて得られないわよ」


「一人にはならない。あたしには氷乃がいるからな」


 氷乃の視線が鋭くなる。


「勝手な事を言わないで、私にそのつもりはない」


「いーやムリだね。だって氷乃がバラすなら、あたしもバラすから」


「……何の事かしら」


「壁ドンしたことも、図書室に行ったことも、一緒にご飯食べたことも、登下校もしたことも、氷乃の家に行ったことも、あたしの家に来たことも、勉強もして、百合について語り合って、保健室に顔を出してくれて、あたしのこと拒否って無視し始めたことも……全部なっ」


「……」


 呆気にとられたのか、氷乃は言葉を失う。


 ――バンッ


 と、あたしは机の上に勢いよくノートを置く。


 そんなにコレが大事なら返してあげるさっ。


 でも、こんな物より大事なものがあるじゃんっ。


「いいか、あたしと氷乃の間にはもうこれだけの物語が積み重なったんだ。それをなかったことになんか出来ないからなっ」


「なにを勝手な……」


「これがその証拠だろっ」


 机に置かれたノート。


 そこには何ページにも渡って、氷乃が綴った物語がある。


 でも、それこそがあたしと氷乃との結びつきの証拠だ。


「こんなに書いちゃってさっ」


「それが何だというのっ」


 氷乃の語尾が強まっていく。


 触られたくない部分に触れられて、焦っているのかもしれない。


 でも、そんなのもお構いなしだ。


 氷乃が嫌がる部分でも、あたしは何回も触ってやる。

 

「最初は1ページに収まる告白しか書けなかったのに。どうしてこれだけ書けるようになったんですかねっ」


「そ、それは……」


「あたしと一緒に過ごしてきたからじゃんっ。氷乃があたしの事を知って、あたしも氷乃の事を知ってきたから。その分だけ小説になったんだろっ」


「……」


 氷乃は言葉を失う。


 彼女が認めたくない部分を、あたしがさらけ出し続けている


「これだけ向き合ってきたからじゃん、これが氷乃のやりたかったことなんだろ? なら最後までやりきりなよ、何逃げてんだよっ」


「私は逃げてなんか……」


「いいや逃げてるね。氷乃は怯えてるんだ、あたしとの距離感が掴めなくなるのを怖がってるんだ」


 どうして氷乃がそうなってしまうのか。


 その原因までは分からない。


 でも、彼女がそうしないと人と向き合えないことはもう分かっている。


 常に何かを隔てて距離を取ろうとする彼女は、人と向き合うことに怯えている。


「そんなの私の勝手じゃない」


「なら小説なんか書くなっ、人間関係なんて描くな、恋愛や感情を知りたいなんて言うなっ」


「……っ」


「矛盾してるんだよ。人を知りたいなら近づくしかないし、距離を縮めるしかない。その分だけ何かぶつかるかもしれないし、傷つくかもしれない。でも、それでいいじゃんっ。その分だけきっとお互いを知ることになるんだよっ」


「……だから、私はそこまでの事を求めてなんか……」


「“求めてない”なんて言わせないっ。これだけあたしと絡んで、あたしのこと書いてるくせにっ。もっと素直になんなよっ」


 多分、それが答え。


「あたしは全力で氷乃と向き合うからな。これまでのことを、なかったことなんかにさせないからなっ」


「……」


 そう言い切ると、氷乃は口をぱくぱくさせた後、諦めたように口を閉じた。


 視線を下げて、ノートに目を見やる。


 そこに綴られた物語を確かめるように。


 肩の力を抜くように、彼女は息を吐いた。


「……そう。私の過ちは、モデルを貴女にしてしまった事のようね」


 そんな自嘲気味なことを言いながら、彼女はいつもの面倒な口上を発揮する。


「降参よ」


 素直じゃないなぁ。


 もっとストレートに仲直りとか言えばいいのに。


 でも、まあ、それも氷乃だからな。


「ああ、よろしく朱音あかね


「……ええ、詩苑しおん


 クールで孤高と呼ばれた彼女が、柔らかく微笑んでいる表情を見て、他のことはどうでもよくなった。


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