30 その後


 それから。


 学校での氷乃ひのは完全無欠の孤高の美少女になっていた。


「……」


「……」


 お互いに無言のまま、教室の席に座る。


 氷乃はあたしには視線すら向けず、声を掛けてくれることはなかった。


 今まで行っていたやり取りが嘘のように。


 隣にいるのに、こんなにも遠い。


 何もかもが泡沫のように消え去った。







 それでも、あたしの日常は平然と流れていく。


 先生は黒板で授業をしているし、クラスメイトは思い思いの時間を過ごす。


 “あー……さっきの問題分かんないな”とか。


 “次の体育二人組作れとか言われたらどうしよ”とか。


 そんなことがあっても相談できる相手はいない。


 無意識的に氷乃を求めようとするあたしはいるけど、それは抑えなければいけない。


 何事もなかったように、それが当たり前のようにしないと。


 ギシギシと心のどこかが歪んでいる音が聞こえても、それすら無視しよう。







 一週間も過ぎれば、だいぶ一人の学校生活にも慣れたように感じた。


 元に戻っただけなのだから当然だ、出来ないわけがない。


 以前まで感じていた孤独感は薄れ、歪んだ音も聞こえなくなっていた。


 人は打たれて強くなる。


 きっと今のあたしは新しい強さを手に入れたのだ。


 人は集団で生きる生き物なのに、一人で生きれるあたしは何て強い個体なんだろう。


 そう思うと、今まで孤独を恐れ、氷乃を求めていた自分がちっぽけに見えた。


 さよなら弱い自分。


 今のあたしは、あたし史上最強だ。







 昼休みになる。


 あたしは席を立って、教室から出る。


 春が過ぎ、夏を迎えようとしているこの時期は気温も暖かくなってきた。


 自然と中庭に人が集まる。


 だから、そんな所へは行けない。


 あたしは階段を上る。


 一番上まで上って、その最奥にある扉に手を掛ける。


 ギギギッ。


 と、異音を立てながら開いた。


 視界には抜けるような青い空が広がるが、しかしそれを遮るように赤茶色の錆びた鉄のチェーンが張られている。


 この扉の先を行く手を阻むようだった。


「おいしょ」


 もちろん、あたしはそれを跨ぐ。


 視界は青空だけになった。


 あたしは知っている。


 扉が異音を立てたのは劣化しているからで、チェーンが張られているのは扉の鍵が機能していないから。


 要は、立ち入り禁止なわけだ。


 でもあたしは無視する。


「ふぅ……やっと一人になれたな」


 昔から置いてあるのであろう古びたベンチに腰を掛けて、あたしはキザな発言を零してみる。


 そう、こうでもしないとどこかに人がいて、本当の意味で一人になれないからだ。


 だから立ち入り禁止区間を訪れた。


「みんな優等生だから、先生に怒られるリスク背負ってわざわざ来ないもんな。その点、あたしは恐れ知らずだからこんな事まで出来ちゃう。なんて強いんだ」


 強いあたしは学校の中で特別な力を持つ先生をも恐れない。


 持ってきたお弁当箱を開く。


 青空の下で食べる昼食、なんて優雅なんだろう。


「……ぼっち飯か」


 おっと。


 決して寂しいなんて思ってない。


 そもそも食事をなんで多人数でとる必要がある?


 そう、人は生理的欲求を満たす時は無防備になる。


 動物の本能が、その弱さを集団という数で補おうとする。


 きっとそうに違いない。


 つまりあたしは、一人という空間を確保することでその弱さを克服した。


 一人で集団を超越したのである。


 わはは、最強じゃん。


「……はぁ」


 しかしなぜだろう、お弁当の味がしない。


 お気に入りのから揚げと卵焼きがあるのに美味しいと感じない。


 そうか、最強の個体になったあたしは舌も最強になってしまったのか。


 最高級の食材じゃないと美味しいと感じられなくなってしまったのかもしれない。


「……いや、それ劣化してね?」


 わけが分からない自問自答が続く。


 ていうか、なんであたしはこんな一人で考えてブツブツつぶやいてるんだ?


 これが正しい女子高生の姿か?


 そもそも女子が最強になる必要あるか?


「いや、こういう女子がいたっていいはず。価値観の多様性ばんざい」


 最終的にふわっとした表現でまとめて、全てを曖昧にしておいた。


 はっきりさせてしまうと、あたしにとって不都合な真実が姿を現すからではない。


 ないったらないのだ。



 




 中間試験のテストが返ってくる。


 氷乃との絶交期間も、あたしは勉強を欠かさなかった。


 理由は単純、赤点は取りたくないからだ。


 決して氷乃との繋がりを失いたくないからとか、もし仲直りした時に低い点数を知られて怒られたくないからとか。


 そんな氷乃との関係性を気にしてのことではない。


 だってもう関係ない人なんだから。


 最強たるあたしは知性の上でも最強に近づく努力をしただけのこと。


「点数上がってるなー」


 あたし史上最高得点。


 それも隣にいる氷乃のおかげだ。


 でも、今はその喜びを分かち合うことすら出来ない。


「あ、いやいや、あたしの努力のおかげだし」


 孤独に耐えようとした結果。


 氷乃との思い出が返ってきたような感覚。


 二人を知ってから、一人になる。


 それは最初から一人の時とは、もう違う。


 人は非可逆的な生き物で。


 一度覚えてしまった氷乃との関りをなかったことにする事なんて出来ない。


 そんな空虚さに、もう耐えられる気がしなかった。


「最強は崩壊した」







「うあー」


 ばふん、と帰るなりあたしはベッドに飛び込んだ。


 沈み込んでいく体に心地よさを感じつつも、心は蝕まれるように重く苦しい。


 それも全部、氷乃のせいだ。


「氷乃に捨てられちゃったからだな……」


 うん、言葉にしてみるとさらに不快だ。


 何であたし自身、捨てられる側という認識でいるのだとツッコみたくなる。


 だけど、氷乃の拒絶は本物だった。


 彼女は本当にあたしとの本当の意味での触れ合いを拒んでいた。


 その届かない部分に手を伸ばそうとしたあたしは、氷乃の手によってしっかりと叩き落されたのだ。


 それが腹立たしいのと同時に、ひどく悲しい。


「どうして、氷乃はあんな向き合い方しか出来ないんだ」


 あたしは人に遠ざけられることは多いけれど、自分から拒否するようなことはしない。


 氷乃は逆で、自分から拒否することで人を遠ざけてきた。


 孤独という意味であたしと氷乃は同じだったけど、その中身は正反対。


 それゆえに、氷乃のガードが最終的に発動してしまったようだった。


「あーあ……ムリムリ、どうしたらいいか分かんない」


 完全にお手上げだ。


 メンタルがツラすぎるので、今は何もしたくない。


 あたしは目を閉じて、何もかも忘れるために眠りにつくことにした。


 明日になってれば何か変わるかもしれない。


「……寂しい」


 今のあたしを表現するなら、その一言で十分だった。


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